(855)小倉尚継 論述集 その26 |
2011年 1月 1日(土) |
心に響く演奏会を
〜発表会を楽しく演出しよう〜(平成8年6月)
◆その10・まとめ◆
平常の演奏会は2時間以内というのが、私の持論ですが、今回は特別な企画だったので時間が長くなってしまいました。(これは反省)そして二度とない演奏会かもしれないので、2枚のCDに収めておきました。
演奏会を実施する際、一番大切なことは、お客さんに「時間を無駄に過ごしてしまった」と思われてはならないということです。
指揮者も団員もその点には責任を持ち、1曲だけでも美しさを感じてもらうとか、楽しさを味わってもらわなければなりません。
そんな誠意の表れの1つが、適正な演出ということになるのでしょう。
過度な押しつけにならないよう音楽的な良心を働かせながら、心に響く楽しい演奏会を創っていきたいものだと思っております。
(つづく)
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(856)小倉尚継 論述集 その27 |
2011年 1月 9日(日) |
【自己表現を育てる合唱指導 その1】 平成元年4月
昭和63年度NHK全国音楽コンクール全国大会の批評を、本誌1月号で大変興味深く読ませていただきました。
深いご経験をお持ちの先生方のご意見ですので、毎回大変よい勉強となっております。
その中の一部に、中学校・高校両方に関わることですが、本テーマと通ずる次のようなご意見がございました。
「声を寸部の狂いもなく統一するという技術的なことに気をとらわれず、歌う生徒一人一人の個性、気持を優先して楽しいコーラスにまとめて欲しい」
私はこのご意見を何度も読みましたが、今ひとつ、賛同できないのです。
(つづく)
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(857)小倉尚継 論述集 その28 |
2011年 1月16日(日) |
【自己表現を育てる合唱指導 その2】
(前回の続き)何故なら、これまで文字通り一糸乱れぬ合唱を心がけてきましたし、そういう教育も受けてきたからです。
自分は時代遅れなのかもしれません。
しかし、もしも全国大会に出場した学校が、声を統一する訓練を怠っていたら、「声が不揃い」ということで審査の先生方から一蹴されるでしょう。
その前に全国という舞台に出ることができなかったと思います。
合唱と一人一人の個性尊重は、単純な意味では相容れないものではないでしょうか。たとえば、ボニージャックスやダークダックスが人数を十倍に増やし、更に指揮者を付けたら、一人一人の個性を出せる余地が残るでしょうか。指揮者の求める合唱団の個性は生まれても、個人の個性は埋没するでしょう。それが合唱だと思うのです。
下手な人でもみんなと一緒になって、いつの間にか快い演奏ができた、それが合唱だと思うのです。
そこで、本テーマの自己表現能力とは、個人の個性ではなく、もっと広く合唱団員の表現力と解釈して、筆を進めてまいります。
(つづく)
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(858)小倉尚継 論述集 その29 |
2011年 1月22日(土) |
【自己表現を育てる合唱指導 その3】
◆その@ 表現力を考える
●歌う立場で
第22回全日本合唱コンクール全国大会は、昭和44年大阪フェスティバルホールでおこなわれました。
この大会で青森県弘前メンネルコールが一般の部最優秀賞を受賞しました。
私はこの時テノールの一員として歌っていましたが、全国大会も最優秀賞も初めてのことでした。新聞の批評には、「さわやかな新風」とほめられたものでした。
自由曲は木原孝一作詞、清水脩作曲「黙示」でした。原爆を憤る内容で、地底から湧き出るようなバスの音に「人間の顔ではない」という囁きが幾重にも重なり、背筋が寒くなるような歌い出しです。
「見ろ、暗黒の海と陸を貫くウラニュームの雲を」で怒りが高まり「人の子よ、自らの手では滅びるな」と警告して、間もなく歌い納めます。
激しさから静けさまで、起伏に富んだ曲の特徴を十分表出したのでした。
正に50人の男性の絶唱と言っていいでしょう。
全国一の表現力を持つための練習を支えたもの、それは「歌が大好き」「指揮者信頼」の二つでした。
隣の人のブレスをカバーしてやるとか、声が出るようになって表現の幅が広がったとか、陰影が濃くなったなどというのも、この二つがなければできるはずがありません。
これは高校生も同じです。
(つづく)
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(859)小倉尚継 論述集 その30 |
2011年 1月30日(日) |
【自己表現を育てる合唱指導 その4】
●指揮者の立場で
昭和57年第35回全日本合唱コンクール全国大会が広島市でおこなわれました。
青森西高校を指揮、初めて金賞をいただいた年(「小倉尚継 論述集 その3〜11」参照)です。
自由曲はコダーイ作曲「聖霊降臨の村祭り」でした。題の通り、祭りでにぎやかにはしゃぎまわる村人たちの様子を歌ったものです。
日本の曲は音取りが難しいのですが、この曲は音は優しく、表現の仕方が難しい曲だと思います。強弱・テンポ・曲想の揺れがあり、非常に変化に富んだ曲でした。宗教性と民族的世俗性が同居する曲です。
他の合唱団の真似事でなく、この76人の生徒と自分という集団でなければできない音楽、個性的な合唱を作り上げなければならないと、みんなで決めたのでした。
マジャール語の意味は、聴衆にはわかってもらえないかもしれないので、音の美しさで内容を訴えよう。
そのためには、
(1)声に輝きを
(2)ピッチ安定
(3)レガートと鋭さの対比
(4)進行感あるフレージング
以上のことを全員共通理解し、練習はそのことに徹することにしたのです。目標がはっきりした練習は楽なもので、いろいろ工夫が生まれ、生徒の目つきが変わってきます。そこには相互の信頼感も生まれ、深まってきます。
本番を歌い終えて気分爽快、生徒達の満足顔。
この時の批評は「個性的で衝撃的なコダーイ」でした。
(つづく)
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