青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2012年6月(1)>

(872)小倉尚継 論述集 その43
(873)小倉尚継 論述集 その44
(874)小倉尚継 論述集 その45
(875)小倉尚継 論述集 その46
 
(872)小倉尚継 論述集 その43 2012年 6月 2日(土)
【アンサンブルをつくる 〜 良い音を選ぶ耳や心の働きを育てる その1】
    (音楽の友社・教育音楽中高版、昭和60年4月号)


 幻の合唱


 指揮者の腕がかすかに動いたとき、ビロードの布を撫でるような柔らかく暖かい声が、ドイツ語特有の鮮明な子音を伴って流れ出た。それは控え目ではあるけれども、絶え間なく湧き出る泉のように場内に満ちあふれ、たちまちの内に真空の世界を作ってしまった。

 私はその中にすっぽりと吸い込まれ、ア・カペラ合唱の魔力に身動き一つ出来ない状態になっていた。


 やがて曲は姿を変え、リズミックに躍動し始めた。一匹の白い母犬が走り、その後を何匹かの子犬が追い、くっついては離れ、離れてはまたくっつき、丘の上を登ったり下ったりする。その姿は愛らしく、丘の緑と空の青さに、白い毛並みが美しく輝いている。

 こんなまぶしい情景が浮かんでくるような色彩と絡み合いの妙を、今、60名の混声合唱団が歌っているのだ。


 曲は再び姿を変え、今度は重量感をもって怒濤のように押し寄せてきた。すごい力だ。

 しかし、あくまでも深く、明るく豊かに輝く声だ。しかも、きらきらと生気に満ちている。端正で透き通るような和音の中に身を任せると、心洗われるようなその美しさに、無条件で目頭が熱くなる。頭はだんだんうつろになり、考える力も薄れていく。


 突然、シーンと静まり返り、一挙に静謐の世界に入った。体が羽毛のように引き込まれていく。


 陽と陰、動と静、山と谷の対比だ。その窪地から訴えかけようとするのか、ひたすらに、そして切々とささやきかける。全身を使ったピアニッシモはフォルテ以上に心を打つものだ。

 「参った・・・」


 次の瞬間、最強に戻り、壮大なカデンツを鳴らした。バランスのよい充実した響きに目をみはり、完全に心奪われ、そして指揮者の腕の止まるのを見た。見事な終結だった。


 満場の拍手は、合唱団の最後の一人が立ち去るまで止むことをしなかった。



 (つづく)
 
(873)小倉尚継 論述集 その44 2012年 6月 3日(日)
【アンサンブルをつくる 〜 良い音を選ぶ耳や心の働きを育てる その2】
    (音楽の友社・教育音楽中高版、昭和60年4月号)


 幻から現実へ


 前回(論述集その43)の文は自分が理想とする合唱、いわば、未だ見ぬ“幻の合唱”を紙面に描写したものである。


 いつの日か、自分と合唱団に足りないものがすべて充足された時、このような演奏が出来るのだろうということである。



 この演奏の舞台裏を考えると、数々の継続的な訓練と研究の積み重ねが想像される。

 発声法は別として、その大半が統一と調和を目的としたものであるとするならば、これこそ、アンサンブルの優れた合唱ということができるのではないか。



 アンサンブル・・・・・もともと、オペラの中の重唱や小規模の重奏などに使われた言葉で、全体・集合・統一・調和の意を表すという。

 どちらかというと、演奏者が他を聴いて、音量・音質・速度等を調整するということになり、多人数の合唱に当てはめることには多少無理があるかも知れない。


 しかし、終曲の目的が「バランスのとれた良い演奏」ということであるならば、調整役が歌い手であろうが指揮者であろうが、アンサンブルについての徹底の仕方を研究しておく必要があろう。




 幻の演奏を現実のものとするために。



(つづく)
 
(874)小倉尚継 論述集 その45 2012年 6月 6日(水)
【アンサンブルをつくる 〜 良い音を選ぶ耳や心の働きを育てる その3】
    (音楽の友社・教育音楽中高版、昭和60年4月号)


 アンサンブルと発声


 澄み切った和音を響かすためには、しっかりした発声による倍音感覚を身につけて置いた方がより良く、対位的な部分を効果的に歌うためには、曲の構成を理解した音量の加減が必要であろう。

 また、声の軽重・明暗など、どんな声質を選ぶかは全曲を見極めることで解決されることである。


 このように、アンサンブルに関するいくつかのことをとりあげてみても、発声法と密なつながりを持つことが分かる。


 発声法がしっかり体得されていなければ、響きを立てることも、音量・音質調整も自由自在というわけにはいかない。


 良いアンサンブルは良い発声と切り離すことは出来ないのである。



(つづく)
 
(875)小倉尚継 論述集 その46 2012年 6月 9日(土)
【アンサンブルをつくる 〜 良い音を選ぶ耳や心の働きを育てる その4】
    (音楽の友社・教育音楽中高版、昭和60年4月号)


 アンサンブル指導の実際


 (a) 少人数分散方式で


 歌い手の方からみるならば、合唱団員が多くなればなるほど、アンサンブルを考えて歌うことは難しくなる。

 二百人、三百人、あるいは千人の「第九合唱」で、歌い手の考えたアンサンブルを大切に歌おうとしても殆ど不可能に近い。

 それ故、指揮者を信頼し、指揮者の指示に従うのである。

 だから指揮者が研究不足であったり、指示が曖昧であったりすれば、その分、成果はあがらない。


 さて、高校生の合唱団は、ある時期、行き詰まりを感じたり進歩が止まってしまうことがある。その時こそ、1パート2人か3人にして、合唱団をグループ割にした形で、曲中のここぞと思う部分を歌わせてみる。


 少人数分散方式とでもいえる、いわゆるアンサンブル本来の姿での練習であるが、その部分をとりあげた理由は明確にしておかなければならない。


 彼らはその理由、たとえば、高音域をもっと美しくとか、弱音のハーモニーを整えてとか、そんな目標をもって短時間で研究し励まし合い、全体合唱よりも一層責任をもって、しかも全知全能をふりしぼって歌うことになるのである。

 目標達成できなかったら、また他日機会を与え、自ら考えて歌う経験を積ませてやる。


 このアンサンブル練習の後、全体あわせをするならば、音楽が素晴らしく向上していることに驚くであろう。



 もしも変わっていなかったとすれば、それは事前の目標指示が適切でなかったか、安易な妥協が存在していたからである。



 (つづく)


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