青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2012年11月>

(906)小倉尚継 論述集 その77
(907)小倉尚継 論述集 その78
(908)小倉尚継 論述集 その79
(909)小倉尚継 論述集 その80
 
(906)小倉尚継 論述集 その77 2012年11月 6日(火)
【最近の二大出来事 その2】
(平成10年12月青西高「峰潮」原稿)


2.抒情歌CD作成

 私の故郷浪岡町で、平成8年12月、自作合唱曲による「ふるさとコンサート」を実施した。

 会場となった中世の館は懐かしい顔で一杯になった。その中には小学校の恩師がお二人おられ、青森市在住の三浦定吉先生は、打ち上げ会にも出席して下さった。

 その席上、先生は「小倉君、こんな詩でも曲になるものでしょうか」と、1編の詩を示された。それは先生の初恋を歌った「青春を想う」という詩だった。


 「ただひとすじに君を想えて わが青春は終えぬ
  あの日あの時土手の草むら 春の陽だまりで
  君が手のぬくもり 今も忘れじ
  夢多き若き日の 追憶は君のためにあり
  燃えたぎる胸の内 明けもせで木枯らしに立ち
  オロオロと爪を噛み涙する
  水色のワンピース ひるがえす君の姿
  夏空のキャンバスに描き続けて・・・後略


 私は恩師の詩作詩心を初めて知り、驚き、そして嬉しかった。3日で作曲、コンピュータによる小オーケストラの伴奏をつけ、私が歌って恩師宅に持参した。二人でその歌を材料に酒を酌み交わし、昔話に花を咲かせた。


 恩師の詩作が爆発したのはそれからである。次々に新作詞が生まれ、私も次々に作風を変えそれに応えた。作品を持参して恩師と語り合うのが最大の楽しみとなり、二人の創作は速度を落とさず続いた。

 結局、平成8年12月から翌年12月までで次の14曲が完成した。

 @青春を想う    A栄えある一期生  B愛しの妻よ   C短歌みどり子
 D短歌よしのの櫻  E短歌 母     F小樽の街は   G札幌カニ音頭
 H悲哀のタンゴ   I蛍雪の丘     J旅はバラード  Kかまくら
 L鴉と猫      M短歌による家族


 私はこれらの曲をCDに納めることを提案、平成10年2月に「恩師と教え子による抒情歌14章『青春を想う』」というタイトルでCDが完成した。

 2曲目の「栄えある一期生」は三浦先生と私達の学級歌である。新制に切り替わった第1期生という意味で、三浦先生は学級の全生徒にこのCDを発送された。おかげで全国のあちこちから連絡が届き、大いに懐かしさを楽しんだ。

 8曲目「札幌カニ音頭」は、恩師と私が札幌雪祭りを見物したときの歌で、後にそのカニ屋さんから自店の歌にしたい旨ご連絡があった。

 恩師の作詞のいたるところに家族を思いやる気持が歌われ、改めて恩師のお人柄を知ることとなった。青森駅前音楽堂では、CDを置いて下さり、販売にご協力いただいた。

 創作することもコンピュータを扱うことも難しいことではあるが、三浦先生にとっては古希からの、私にとっては還暦からの挑戦だった。おかげで大切な宝が生まれ、恩師と教え子の永遠の財産となることであろう。


(つづく)
 
(907)小倉尚継 論述集 その78 2012年11月15日(木)
【作曲の喜び〜わが歌150曲の履歴 その1】
(平成4年青高生徒会誌41号原稿抜粋)


 竹田童謡作曲コンクール最優秀賞は最高に幸運な出来事だった。何故なら、その後どの作曲コンクールに応募しても全くひっかかりがないからである。合唱でも作曲でも全国レベルに肩を並べることはさすがに難しく、少しでも手をゆるめるとすぐにはじき出されてしまう。自分では最高だと思っていても、それ以上のものがいくらでもあるわけだから入賞は容易なことではない。そんな意味で平成4年は作曲面で実に幸運な年であった。

 さて、曲を作り出すということは辛さ4分、楽しさ6分というところでしょうか。常に壁にはばまれて逡巡する苦しさはあるけれども、何もないところに自分の曲を誕生させ、時間と空間を占有できる。その痛快さを思えば数十回の試行錯誤などは帳消しにでき、まだ十分に余りがある。

 作曲には長時間を要するが、シューベルトもモーツァルトも高速だったという。一説には空中にウヨウヨしているメロディーを五線に書き写したとか、ひらめきがそうさせたともいうが、ロシアのストラビンスキーは、そんなことはあり得ないことで、作曲は目的を持って鍛冶屋のようにコツコツと音を並べることで成立するというのである。よほどの天才でない限り、作曲はどうもこの後者の説が正しいようである。


(つづく)
 
(908)小倉尚継 論述集 その79 2012年11月19日(月)
【作曲の喜び〜わが歌150曲の履歴 その2】
(平成4年青高生徒会誌41号原稿抜粋)


 私が自作品の数を増やした時期は、男声四重唱団ブルービーバーズが活動していた頃であった。ブルービーバーズは昭和40年から約20年間自作のレパートリーを歌い続けたグループである。構成員は弘前市在住の野呂馨先生、奈良武則先生、青森市の山口道廣先生と私。伴奏は青森市の西谷安正先生であった。

 ブルービーバーズのリサイタルのために、好むと好まざるに関わらず作詞作曲したのである。このことが長く続いて、私の作曲は速くなったし、鍛冶屋的作業にも辛さを感じなくなった。断言できることはひらめきが作曲させるのではなく、締め切りが作曲を完成させるということである。この期間とその前後の作品約150曲を紹介しておきたい。

 A.ブルービーバーズのための作品

 1.楽譜第1集「津軽の空コァキンキラキン」に収録した16曲
                         昭和40年から45年にかけ発表
雷様の話・しがまの嫁こ・くまん蜂の話・キンキラキンのキン・あすなろ・うばすて・森林鉄道・小僧っこまだだが・世界一の話・まりつき唄・たんぽぽひとつ・てんぽだ名前こ・奴踊り由来・とりこアメ来たど・ほらくらべ(以上北彰介作詞)・イダコに託す大鰐の悲話(小倉作詞)


 人間は大人になっても子供心を持つ。ある時間童心に返り、心洗われ、新活力を蓄積し明日へ向かう。この考えのもとにまとめた昔話達である。題して「津軽昔こファンタジア」。そして徐々に社会性のある内容に移って行く。


 2.楽譜第2集「津軽、歌の風物誌」に収録した31曲、昭和46年から49年に発表

陽こあだね村・冬の月(以上高木恭造作詞)、吹雪の中の囚人・バックミラーに映る顔・グスのバラード・なんじょ歌・「津軽の糸」全7曲(以上北彰介作詞)
「りんご物語」台風15号洞爺丸を襲う・りんご音頭など全8曲(小倉作詞)
「砂子瀬風土記」屁ふり嫁この話・山菜小唄など全10曲(小倉作詞)

「津軽の糸」は盲目の三味線奏者・高橋竹山さんを歌ったもので、竹山さんご本人の演奏で初演した。「砂子瀬風土記」は目屋ダムの底に沈んだ砂子瀬集落の幸せを祈って歌ったものであった。


 3.楽譜第3集「ふるさとに歌あり」に収録した21曲、昭和50年、51年に発表

   「むつ湾に生きる」ほたて末広音頭など全10曲
   「志功ひとすじ道」東京弁ポルカ・おもだかの花など全11曲

 「むつ湾に生きる」は陸奥湾環境保全を願った組曲だった。そのことについて一言。

 “世界はペルシャ湾岸やイギリス北部の油汚染に困惑し嘆いた。むつ湾には毎日多量の生活排水が流れ込み、ビニール片が漂い沈み、まさかりの首には最悪の恐怖が用意された。むつ湾はいつまでカレイが釣れ、アジが釣れるのか、そして美しい海としての自浄機能はいつまで保てるのか。それはここに住む私たちの英知と実行力にかかっている”

 「志功ひとすじ道」は棟方志功さんの画業への大賛歌であった。(追記: 平成13年10月、志功さん生誕百周年にあたり、青森県民文化祭の開会式で演奏。青森市合唱連盟150人の混声合唱と管弦楽伴奏により全曲演奏された)


(つづく)
 
(909)小倉尚継 論述集 その80 2012年11月25日(日)
【作曲の喜び〜わが歌150曲の履歴 その3】
(平成4年青高生徒会誌41号原稿抜粋)


4.楽譜第4集「弘前城物語」に収録した12曲、昭和52年青森市、53年弘前市にて発表
   「弘前城物語」為信の軍は進む・四季の中の弘前など全12曲

 今度は歴史物に挑戦。東奥日報社発行、工藤英寿著「弘前城物語」が主参考資料となった。

 この歌全曲により、津軽為信がどのように行動し築城はどうなされたか、青森開港は、五層の天守閣焼失は、三層天守閣再建はなど、弘前城の歴史を歌う。


 5.ビーバーズ、終わりの2リサイタルから31曲、昭和54、56年に発表
   「今昔青森十六景」松風に偲ぶ幸畑墓苑・萱の茶屋の水・新町花ことばの歌・
            堤川に祈る・古川市場の少女など全16曲
   「津軽沖縄千里を越えて」ありがとう沖縄・琉球、島めぐりの歌・守礼の門を仰ぎ見る時・
            星の砂など全15曲


B.女声合唱曲・その他

 1.女声合唱曲第1集「じょんから節」に収録した17曲(昭和40年から45年までの作品)

         @抒情小曲・・・春を待つ・たんぽぽのワルツ・夏を呼ぼう・すずかぜ・山のトロッコ・
           のんのん雪・折り紙折りましょう・卒業賛歌

   Aわらべうたによる小曲・・・雪が降ったらなど5曲

   B民話・民謡による合唱曲・・・じょんから節など4曲

 女声合唱の殆どは青森西高校合唱部のために編作曲したものである。「たんぽぽのワルツ」は、NHKあなたのメロディーで伊東ゆかりの歌で放映された。作詞の成田久男さんは青森西高校の事務長さんで、お金も肥料も無しで咲くたんぽぽに感激して作詞なさったものだった。



 2.女声合唱曲第2集「津軽民謡風俗めぐり」に収録した6曲(昭和46年から52年まで)

   あいや節・十三の砂山・津軽山唄・地蔵祭り・お山参詣・虫送り

「あいや節」は民謡のあいや節と出稼ぎ事故とねぶた祭りを組み合わせたものだが、後に縮小して「あいや節幻想曲」とした。NHK全国コンクールで八戸市根城中学校がこの曲で全国金賞を得てから全国各地で歌われるようになった。



 3.その他の小曲18曲

 青森国体音頭・大鰐国体スキー青春めぐり逢い・道程・南部の歌によるふるさと幻想曲・童謡 (祭りが好き・志功さん・楽しい夜店・友達・運動会ポルカ・雪国ファンタジー・大きな原っぱ・猫が見てた・友達は宝物・幸せ地球のひとりごと・はずむ宵宮めんこいりんごっこ・あき缶ブルース・おすもうさんへ)

 「作曲は4分の辛さと6分の楽しさ」とは前述したとおりであるが、辛さがある以上、自分から進んで作業するには必ずためらいがある。必要性と締め切り日の存在こそが作業遂行の力となる。
 必要性とは作曲の依頼を受けるとか、学校の宿題やテストであったり、時には賞金稼ぎであってもよい。とにかく、何もないところに自分だけの新時空を誕生させること、その喜びが作曲にはあると思う。



 理論はあとで必要になってくる。君もあなたも、さあ五線紙を持って、音楽の魔法の戸口をノックしよう。


(つづく)


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