青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2012年12月>

(910)小倉尚継 論述集 その81
(911)小倉尚継 論述集 その82
 
(910)小倉尚継 論述集 その81 2012年12月10日(月)
【東北大会3つの“残念!” その1】


 よーいドンで走って、誰が一番先にゴールしたかということを見極めるのは簡単。どうしても判定がつかなければ写真判定も使える。しかし、合唱コンクールはそうはいかない。

 五人の審査員の内、ひとりでもとんでもない点数をつけると、順位ががらりと変わってしまいます。このことで泣いた団体数知れず、その中に我々も入っていたことは当然のことである。

 その中から特に強く残念!と思うものを三つあげてみよう。


 @ 昭和40年、西高校が三年生までそろった年、この時は声が抜群に美しく張りがあって、東北代表になること間違いなしと予想していた。だから生徒達に、絶対大丈夫だから思う存分歌いなさい、と、誉めながら激励していた。東北大会は弘前市民会館で、初代校長・正井寛三先生もおいでになった。

 私は自信満々で、生徒も落ち着いて(いたと思う)舞台に上がった。課題曲は「闇と水仙」という曲で、ややゆっくり目の曲だった。

 私は慎重に、練習よりもゆっくり目に指揮をした。生徒達はきれいな声で歌いだした。1ページぐらい進むと声がうわずってきた。こんなことは今までなかったのに、早く正しい音に戻れ、と思っても戻らない。

 誰がうわずったということなしに、全体がそうなっているのだからどうにもならないのだ。

 歌が進むにつれてますます上がってきた。客席が少しざわついてきた。誰にでも分かるほど音が上がって、戻れないまま課題曲を終えた。背中に汗がじわじわ湧いてきた。

 自由曲は「白のロマンス」で、得意とするレパートリーである。これなら大丈夫だろうと思っていたが、そんなに甘いものではなかった。曲が始まるとすぐ音がうわずり、そのままの調子で最後まで行ってしまった。これまで、あんなに素晴らしい演奏をしていたのに、この日だけ音が上がってしまったのである。

 あまり誉めすぎたのか、第一位を狙っていたのにギャフン、大きな大きな残念!


(つづく)
 
(911)小倉尚継 論述集 その82 2012年12月30日(日)
【東北大会3つの“残念!” その2】

 昭和47年東北大会。これも又弘前市民会館だった。

 課題曲はコートレーの「見よ、開きそめしバラを」、自由曲は「あいや節」。

 この課題曲は、若い娘に「若い期間は短いものですよ、ごらんなさい、あのバラの花は今開き始めているけれど、あっという間にしおれて散ってしまうのですよ。さあ、若い内に人生を楽しみなさい・・・・」という意味のフランス語の曲だった。これを明の星短大のエステル・バリ先生にご指導していただいた。そうすると、古い時代の平板なように見える曲が、一気に生気に満ちた曲に生まれ変わったのだ。バリ先生は素晴らしい方だ。カナダに帰られたのがとても残念だ。

 自由曲は私の曲ですから別にどうという心配もなく、舞台では非常に良い演奏をしたと自信を持って発表を待っていた。ところが、ところがである。

 五人の審査員の内、四人の方は97か8点、しかし、一人だけ74点だった。このお陰で銀賞になってしまったのである。聞くところによると、その方は民謡が嫌いだということだ。ご本人と直接話したわけではないので確かなことではないが、そんな話が伝わってきた。それが事実であれば、民謡を選んだだけで順位が下がってしまうではないか、と文句をつけたとしても誰も聞いてはくれない。点数が出てしまった以上、修正も出来ない。ただ泣くだけである。残念!

 ちなみにAN女声合唱団は同じ課題曲で金賞となっていることをつけ加えておく。


(つづく)


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