【東北大会3つの“残念!” その1】
よーいドンで走って、誰が一番先にゴールしたかということを見極めるのは簡単。どうしても判定がつかなければ写真判定も使える。しかし、合唱コンクールはそうはいかない。
五人の審査員の内、ひとりでもとんでもない点数をつけると、順位ががらりと変わってしまいます。このことで泣いた団体数知れず、その中に我々も入っていたことは当然のことである。
その中から特に強く残念!と思うものを三つあげてみよう。
@ 昭和40年、西高校が三年生までそろった年、この時は声が抜群に美しく張りがあって、東北代表になること間違いなしと予想していた。だから生徒達に、絶対大丈夫だから思う存分歌いなさい、と、誉めながら激励していた。東北大会は弘前市民会館で、初代校長・正井寛三先生もおいでになった。
私は自信満々で、生徒も落ち着いて(いたと思う)舞台に上がった。課題曲は「闇と水仙」という曲で、ややゆっくり目の曲だった。
私は慎重に、練習よりもゆっくり目に指揮をした。生徒達はきれいな声で歌いだした。1ページぐらい進むと声がうわずってきた。こんなことは今までなかったのに、早く正しい音に戻れ、と思っても戻らない。
誰がうわずったということなしに、全体がそうなっているのだからどうにもならないのだ。
歌が進むにつれてますます上がってきた。客席が少しざわついてきた。誰にでも分かるほど音が上がって、戻れないまま課題曲を終えた。背中に汗がじわじわ湧いてきた。
自由曲は「白のロマンス」で、得意とするレパートリーである。これなら大丈夫だろうと思っていたが、そんなに甘いものではなかった。曲が始まるとすぐ音がうわずり、そのままの調子で最後まで行ってしまった。これまで、あんなに素晴らしい演奏をしていたのに、この日だけ音が上がってしまったのである。
あまり誉めすぎたのか、第一位を狙っていたのにギャフン、大きな大きな残念!
(つづく)
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