かわらばんNo.10号

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2007年 5月 7日

『 ダンディーな人の告別式 』

5月3日憲法記念日、すがすがしい朝である。駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、10:40頃であろうか、胸のポケットに入れていたケイタイが暴れ始めた、暴れ方がメールではない、せわしいのである。いそいで受話器のONボタンを押したら、瀬賀さんのお父さんが昨日(5/2)亡くなったとの連絡であった。

5月1日の夕方JEXERで瀬賀さんと会ったのに、その後の出来事だったのだろう。とりあえずGWの真最中なので、分かる範囲の状況だけでも皆さんに知らせた方が良いと思い、家に戻りメールを送った。

夕方には瀬賀さんの会社の方からFAXが入り詳細が分かった。6日お通夜、7日告別式との事。6日は別の外せない会合があり行けない。7日の告別式に出席する事にした。皆さんから生花を手向けたいとのメールが続々と入って来たので、早速生花を頼んだ。

7日告別式は午前10時との事で早めに家を出た、途中錦糸町で待てど列車が来ない、やっと遅れた津田沼行きが来た、とりあえず乗ったが津田沼で次が来ない、待っていたら、千葉までの方は各駅停車を利用した方が早いとのアナウンスがあり、あわてて3番線の各駅停車用ホームに行った。もしかすると葬儀はしたくなかったのかな?やり残している事が?なんて思ってしまった。それでも開始10分前には着く事が出来、早く出て良かった。

ライフケア高品会堂総合葬祭式場で告別式が始まった。柔らかな電子オルガンが流れる中、係りの案内で、導師入場、厳かにお経が始まり、途中にお焼香が入り40分位のお経が終り、導師退場。そして喪主の代わりに長男である瀬賀滋彦様の挨拶が始まった。

『父、哲夫は77歳であり、今年は喜寿である、そして両親の金婚式でもあり、お祝いをする予定であったが、その前にこの様な事になり残念である。しかし父は多くの素晴らしい人とのめぐり会い、幸せな人生を送ったと思います、きっと喜んでいるでしょう。』と挨拶を締めくくった。

一旦出席者はロビーの方へ移り、係りの人がお別れの準備に入った。しばらくしたら柔らかい電子オルガンから「千の風になって」の曲が流れて来た。最初は親族の方が棺の中へお花を入れ、その後に参列者がお花を入れたが、その時に見たのは棺の中に、トレーニングシューズと鳥打帽子が入っていた。もしかしたらスポーツマンでおしゃれな人だったのかもしれないと思った。参列者の中には北海道から来たグループもいて。生前は幅広い交流をしていた方の様に感じ取った。

いよいよ出棺である、葬祭式場玄関前に止めてあるキャデラックのマークが付いた霊柩車に親族の方々が手を添えて棺を後ろのドアーから乗車させた。ドアーがしまると皆さんが両手を合わせ一礼した。新たな旅立ちである!行ってらっしゃーい。

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