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気仙沼港の連絡線発着所
仮の施設
『 覚 悟 を 決 め て い る 』
2019年01月19日(土)No.163号
2019年01月19日(土)快晴。東日本大震災後、気仙沼への訪問は4回目であるが、復興が遅れていたので気掛かりであった、今回はその確認でもある。
11時45分、気仙沼駅に着き、駅前の観光案内所で復興状況を確認のために入った。前回(2015年3月10日)の訪問時は復興が全然進んでいなかったが、今回は一部、進んだらしい。ただこの一年で、気仙沼に戻りたいと言う人が、急に千人も減ったそうです。理由は震災後、気仙沼港の土地が22cm隆起したが、その分を考慮せずに当初計画通り、内湾防潮堤工事を一部進めた。その件で住民と行政の意見が対立し、工事が進んでいない事が原因らしい。

(左)2019/1/19・(右)2013/1/13の写真
自動車は来ないが信号機だけは働いている。
気仙沼駅から歩いて港へ行く事にした。土曜日なのか、メイン道路なのに人は歩いておらず閑散としている。港の周辺は一部工事が進んでいるが、原発の問題は無いのに、復興が進んでいない。震災から8年もしたら、子供の学校問題・職場の事を考えると、気仙沼に戻れないかもしれない。
お昼も過ぎたので、毎回行っていた、“お魚いちば”のレストランで、かいせき丼と白子の天ぷらを食べた、新鮮なので美味しかった。レジの人に話しを聞いたら、内湾防潮堤は出来ないかもしれないと話していた。

(左)2019/1/19・(右)2015/3/10の写真
横断歩道のペンキは塗り替えられたが
ほとんど利用されていない
“お魚いちば”のお土産店では、南三陸チャウダー等を買い込み、店員さんに、ここでも内湾防潮堤の話を聞いてみたら、海が見えなくなるので怖い、と話していた。帰り際に“また来てね、私達はここで頑張っているから”と言っていた。
気仙沼漁港で、観光客相手に一所懸命働いている皆さんは、決着しない内湾防潮堤はいらないと “覚悟を決めている” 感じであった。道路と土地のかさ上げ工事は進んだが、残った建物はそのままで、住民は戻ってこない。早く気仙沼に多くの人が戻って、盛り上がる事を望みたい。
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