2008年 3月11日(火)No.33号
2008年3月11日(火)会社から帰り郵便受けを開けたら訃報が入っていた。誰かなと思いながら、見たら小、中学校の同級生であった。三月九日永眠されました謹んでお知らせいたします。と書いてある。以前から体調を悪くしていたがまさか!ショックである。通夜3月12日(水)午后六時〜七時。告別式3月13日(木)午前十時〜十一時 (新宿二丁目)。
小学校で出席をとる時や何かを行なう時、彼が一番で私は常に2番目である。アイウエオ順である為、アは同じだけど次の字がキとツの違いである。目立ちたがり屋は1番の方が良いが、2番目は何かをする時に1番の人が行なった反応を見てから出来るので楽である。
お通夜の日は町内会、学生時代の人達等大勢の方々が参列された。特に小学校の同じクラス半分以上の人が集り、お通夜の後は結局クラス会のようになった。その後2次会、3次会と皆さんは家がこの近くなので知り合いの飲屋で語り合ったが、そんなに悲しく感じなかった。どうしてなのだろう?最近のニュースを見ていても良いニュースがない、暗いニュースばかりである。この地球から早く卒業をしたいと考えているのかも?順番が来るのを楽しみにしているようでもある、そう思うのは私だけかな?
60歳を過ぎると体力的にも、能力的にも現役と違い判断力も落ち行動も遅くなる。それはそれなりの行動にすれば良いのであるが、64歳は中途半端な年齢である。気持ちの持ちようで、やろうと思えば出来る。また出来ないからと言っても誰も文句は言わないし責任がない、頑張らなくても通用する。人生を無駄な時間で費やしている感がある。しかしながら人生の幕を引く時、その引き方があると思われる。
先日の日曜日に娘夫婦と孫の5人で食事をしに行った。座敷で仕切りがあって6組位が入れるところであった。少し早めに行ったのでそこには1組しか来ていなかった。食事が済みデザートのあんみつが出てきた。
最初に来ていたファミリーも我家と同じ家族構成であり、孫は女の子であるが同じ年齢位であった。その子がこちらをちらちらと見ている、どうも興味があるみたい!暫らくすると座ったまま体をよじらせながら足をずらせ、こちらに少しずつ寄って来る。お母さんが来て、挨拶をして連れて行ったが、その内またこちらの方に近寄って来た。何かを言いたそうであったがまだ喋れない、あまり可愛いのであんみつに入っていた寒天をスプーンで口に入れてみた、そうしたら美味しそうに食べた。
お母さんが来たので、何歳になるのですか?と聞いてみたら。1歳と10ヶ月との事であった。我家の孫と同じである!しかし何で歩かないのだろう?その件は直接聞く事が出来なかったが。お母さんが連れ帰る時、抱き上げると足はぶらぶらしていて力が入っていない。もしかしたら下半身不随なのか?生まれながらなのか?生まれた直後に何かの事故にあったのか分からない。
だんだんその子が、かわいそうになって来た。しかし本人はニコニコ嬉しそうに近づいて来て仲間に入りたがっていた。このまま大人になったら車椅子生活になるのか?今、医療が発達しているので治るかも?本人と周りの事を考えるとこれから大変である。
五体満足で生まれ、普通に生活が出来るのは本当に幸せである。しかし下半身不随であっても、その生活の中で幸せを見つけているかもしれない。ただ、ただ、頑張って欲しいと願うだけである。自分の孫の事を考えると、もう少し頑張って先を見届けたい。人生の幕は、頑張るだけ頑張ってみた時に、自然と幕が引けるかもしれない。友人も長い間体調を悪くしていたが、頑張って何かを見つけて幕を引いたのかもしれない!