おしゃべり写真館    

■おしゃべり写真館 ■ −第14話−

東京の産業遺産 

  写真・文  鶴岡 文徳

 古いものは必要なのか。これは価値観により意見が分かれる。
 社寺文化財、美術工芸品、宗教などの精神文化財は、貴重なものとして保護されているのに対し、技術革新に頼ってきた産業界では、古いものは悪いものとしてスクラップにされてきた。 特に日本では欧米文化に追いつくためにその考えが合理的であった。 先人の残した産業の遺産に価値を見出す余裕はなかったのかもしれない。
 産業とは、人が生活していくためのなりわい、経済的行為である。 人々の暮らしに大きく係わる産業の遺産はその時代を物語ってくれる。 時代と共に流されてはいけない貴重なものが多い。
 東京にも震災、空襲、合理化を免れ、今に残る産業遺産がいくつもある。

(1)大谷口排水塔 (板橋区大谷口1−4)

関東大震災後、旧市街からの急速な人口流入に対応するために昭和6年に建てられた。 水源は多摩川(荒玉水道)である。 高い位置からの落差により排水するため、この地域で一番高い地点に建てられている。  この排水塔は現在使用されていない。 落差に頼る流下式給水方式の遺産といえる。

 

(2)東京電力千住発電所お化け煙突(一部)
       (足立区千住桜木町2−2元宿小学校校庭)

東京電力千住発電所は、出力7.5万キロワットの火力発電所で、大正15年に千住桜木町35付近に設置され、昭和39年まで稼動していた。 所内にあった4本の大煙突は、その配置が極端に扁平なひし形であったため、見る位置と方向によって、重なり合ってしまい、周囲を廻りながら見ると、一本に見えたり、二本に見えたり、三本だったり、四本に見えたりした。 その不思議さからお化け煙突と呼ばれ千住の名物となった。 発電所の新鋭化が進み、昭和39年に取り壊されるが、地域住民に親しまれたお化け煙突は、その一部が滑り台として地元の元宿小学校校庭に置かれている。 
 お化け煙突の内側には、石川島製作所、大正14年製と記されている。

(3)第五福竜丸 (都立第五福竜丸展示館 江東区夢の島3−2夢の島公園内)

静岡県焼津港の木造マグロ漁船、第五福竜丸(140トン、全長29メートル)は、昭和29年3月1日に太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカの行った水爆実験により被害を受けた。 死の灰(放射性降下物)を浴びて、23人の乗組員全員が急性放射線障害で入院。 太平洋の島民243人も被爆した。 
 被爆後、第五福竜丸は練習船に改造され、東京水産大学で使用されていたが、東京都はふたたび原水爆による惨禍が起こらないという願いをこめて、都立第五福竜丸展示館を開設した。
 木造の遠洋漁業船は、今ではここでしか見ることは出来ない。

 

<参考文献: 金子六郎著 「東京の産業遺産-23区-」 
(株)アグネ技術センター(1994)> 


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