機械式腕時計の復活 - グランドセイコーの40年(03.4.17 / 追記 03.5.14)


ゼンマイをリュウズで巻き上げることで動く腕時計を機械式腕時計と呼んでいます。腕の運動によってゼンマイが巻かれる、いわゆる「自動巻き」も同類です。わざわざ機械式と謳うのは、言うまでもなく、クオーツ時計と区別するためです。

現在ではクオーツでなければ時計でないかのように、すっかりクオーツ時計が普及してしまいました。正確な時刻を知る、という目的ならばそうあって当然と言えるでしょう。事実、機械式腕時計がめざしていたのは、いかに正確に時を刻むか、その精度の追求でした。ところが、今では2,3千円も出せば、かつての高価な機械式腕時計よりもずっと正確な時を知らせる時計が買えます。

そのクオーツ式時計はセイコーが世界で初めて腕時計として製品化して発売したものです。1969年のことですから、まだわずか30年ちょっと。その歴史は機械式時計に比べるとほんの一瞬のようにも見えます。登場したときは高価で買える人は限られていましたが、数年で低価格化が進み、機械式時計にすっかりとって替わってしまったことは、いわば時計革命とも呼ぶべき歴史的事件でもあったでしょう。

そのセイコーは、じつは機械式時計でもその精度と意匠で世界のレベルに達したモデルを持っていました。それが1960年に登場したグランドセイコー、通称GS です。

1950年代と60年代は、なんとか世界のレベルに追いつこうと日本が必死に製造業に力を入れた時代と言えるでしょうか。その中で、世界にすでに一流品が存在していた一般消費者向け精密機械製品として、カメラ、バイクとならんで腕時計がありました。当時、精密時計の最高峰として君臨していた時計はスイス製でした。

そのスイスの時計に肩を並べるべくSeikoが完成させた機械式腕時計がGS。文字盤にはクロノメーターの文字があります。しかし、同時にSeikoは水晶時計、つまりクオーツの時計も開発していました。1964年の東京オリンピックでは、それまで公式時計として君臨していたスイスの時計メーカーに替わって、Seiko がクオーツ時計による計測でその精度を世界に知らしめました。

その日本製クオーツ時計が世界を席捲する中で、スイスの時計産業は大打撃を受け、クオーツが登場してから15年ほどの間に時計メーカー数は3分の1ほどに激減した、といいます。同時にSeikoは、みずから築き上げた機械式時計を捨て去ることになってしまいました。私自身も、もはやゼンマイ時計はその歴史的使命を終えて、消えてゆくものと思っていました。GSも70年代半ばにひっそりと姿を消してしまいました。クオーツにあらずば時計にあらず、というのが当時の空気だったのです。ところが、スイスの時計職人は、クオーツ時代にあっても機械式腕時計の伝統と精度の追求をやめませんでした。

そうしていま、日本が世界を制したはずの時計市場に異変が起きています。日本の時計の生産量はここ10年でほとんど頭打ち、そして出荷額は80年代のピークから下降を続け、2000年にはその3分の1にまで落ちてしまいました。一方で輸入時計は単価の大きい高級腕時計を中心に販売を伸ばして、政府統計によると、その売り上げは2001年にはなんと国産時計の1.4倍にもなっています。高級腕時計の代表はスイスの機械式腕時計です。

今なぜ機械式腕時計なのか。

私の手元には3個のGSがあります。2個が古い、機械式GS、1個がクオーツのGSです。コレクションではありません。私にとっては時計は実用のためのもので、すべて私がかつて使ったもの、そして現在使っているものです。

Grand Seiko

私の年代のほとんどの人にとって、時計は特別の思い出があるものです。時計を買ってもらったり、自分で買うのは、人生の節目であったものでした。私の最初の時計は写真中央のグランドセイコー。1960年に誕生した初代グランドセイコーに続いて1963年に発売となった第二代目。日付がついているので、GSセルフデータと通称。初代と同じようにクロノメーターの表示があります。私が高校進学したときに父から譲り受けたものです。

世の中がクオーツ時計になびいていっても、私は機械式GSで不自由はしませんでしたが、ダイビングを始めた80年代初めにホイヤーのダイバーズウオッチを購入しました。あらためてクオーツの正確さとホイヤーの丈夫さに感心したものです。GSはすっかり冠婚葬祭用のドレスウオッチになってしまいました。

アウトドア派の私はホイヤーが気に入っていましたが、私の勤務する会社では勤続年数がある年数に達すると、時計をプレゼントしてくれる制度がありました。あまり時計に執着のない私でしたが、そのときグランドセイコーがクオーツ時計として復活しているのを知り、これも人生の節目かなと、なつかしいGSの進化形(と私には思えた)を選びました。写真左の1996年モデル です。とは言っても、会社が負担してくれる予算から大幅にはみだすことになってしまいましたが。

さて、3年前に父が亡くなったとき、ひとつの形見が私に残りました。それは10年前に私が父に贈ったTAGホイヤーでした。

HEUER Night Diver

老人だから完全防水で、ねじ巻き不要、しかもドレスウオッチにもなるモデルを選んだものです。それをいつも身に付けていたのは、子供に買ってもらったという親心もあったのでしょう。けれどその形見としてのクオーツ時計を手にした時、私は電池が切れると止まってしまう工業製品よりも、ねじさえ巻けば動く工芸品としての機械式腕時計のほうが、世代に受け継がれるものとして似付かわしいような気がしてしまいました。スイスの機械式腕時計が宝飾品と同等に扱われることが理解できます。それは職人が一個一個作り上げる「作品」です。私のGSは今でも40年前と変わらぬ輝きと当時の機械式精度を保っています。

かつて精度を追求し、競いあった腕時計メーカーですが、いったんクオーツ時計で勝負がついてしまったあとでは、人々の時計への見方と価値観が変わってきたようです。時計と時計産業が文化として受け継がれていくかどうかの問題でもあるようです。

伝統の職人工房で作られるスイスの機械式腕時計の人気に危機感を募らせたこともあるのでしょう、Seiko はみずから捨てた機械式腕時計の技術と伝統を再びよみがえらせて、機械式のグランドセイコーを1998年に復活させました。その基本デザインが40年前の私のGSセルフデータの延長上にあることに、なつかしい思いがします。そして、ただ機械式であるのではなくて、機械式腕時計として究極の精度にもこだわった造りになっています。精度を上げることが、同時に美しい機械構造に結実しているということが、生物の進化にも似て不思議な気がします。私が次に腕時計を買うとしたら、それが次の人生の節目でしょうか。もうクオーツは必要ありませんから、きっと機械式の時計に回帰することになるでしょう。それが再びグランドセイコーになるかどうか、楽しみにしておきましょう。

今なぜクオーツから機械式なのか。

快適な移動のためなら車があるのに、わざわざ技量の求められるバイクを選ぶ人間の不条理な遊び心と、どこか通じるところがあるような。

gs home page
Grand Seiko 公式ホームページ

参考資料
スイスの時計産業にかんする統計資料は スイス時計協会のホームページ
日本の時計産業の動向については 日本時計協会のホームページ



追記:日本の時計職人(03.5.14)

Google で機械式腕時計について調べていたら、1972年の時点でクオーツ時計と機械式時計の将来を見据えていたこんな論文が見つかりました。

 『水晶腕時計の興亡』

書かれたのは、マイスターと呼ばれる公認高級時計師(CMW)の資格をもつ磯崎輝男さんで、現役の時計宝石店の店主です。上記論文は、当時発行されていた業界誌『国際時計通信』に掲載されたものを、そのお店のホームページに再録されているものです。クオーツ時計が機械式腕時計にまさにとって代わろうとしていた変化の時代の渦中にあって、機械式腕時計の敗退と復活を予見しています。それは、機械式腕時計を知るがゆえの時計職人の鋭い洞察そのものです。

機械式腕時計はクオーツ時計との精度と価格の競争に負けたけれど、そのために逆にクオーツ時計との違いと価値が再発見されることとなり、今やクオーツ時計よりも尊重されるようになりました。その意味では、メカニカルはクオーツに「負けることで勝った」と言えるかも知れません。

上記イソザキ・マイスターのホームページには『時計の小話』というすばらしい連載エッセーもあります。機械式腕時計に関心のある方は是非どうぞ。

そういや、シドニーオリンピックの女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手が国民栄誉賞を受賞した際に、記念品として「スイス製の高級腕時計」を渡された、とニュースで報じられたとき、「なんで今更スイス製の時計を贈るんだろう」と時代錯誤の印象を受けたことを記憶しています。この『時計の小話』の中の一節で、その時計は Patek Philippe で、高橋選手が希望したものと知りました。なんだ、そうだったのか、とあらためてGoogleで当時の記事に目を通すと、「一生ずっと身に着けていられる時計が欲しかった」とのコメントを引用している記事がありました。時間と闘うマラソンランナーは同時に時計にも造詣があるようです。

Patek Philippe は機械式腕時計として、その技術と芸術性において頂点に立つメーカーと言われています。きっとそうなのでしょう。ただ、いくら機械式腕時計が急にブームになっても、それを修理メンテできる時計職人の多くがクオーツショックの中で消えてしまいました。23年前に私が故障したハイビートのグランドセイコーを新宿のあるデパートの時計修理室に持ち込んだとき、見てくれた時計師はかなりの年配の方でした。その方は嬉しそうに「いい時計をお持ちですね」と、機械式時計を久しぶりに受け付けたような反応でした。「クオーツ時計は裏ぶたを開けると、中身は安っぽく見えてしまう部品ですが、ゼンマイ式は精巧な部品が組み合わされて、美しいものですよ」と話してくれたのを覚えています。その時はすでに純正のパーツの在庫が無くなっていたのですが、替わりを探してくれて、見事に再生してもらいました。

そんなふうに修理してもらったこともこのGSのヒストリーです。愛用の時計を丁寧に見てくれる時計師がいなければ、せっかくの時計も性能を維持できなくなるのは、きっとバイクとバイクショップの関係そのものだと思うのです。世界トップレベルの機械式腕時計とモーターサイクルを持つ日本に、これらが文化として根づく日がいつか来るでしょうか。



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