あげひばり (10.5.10)


4月の晴れた日ツーリング先で、草原を吹きわたる風に春を感じていると、頭上高く揚雲雀のさえずりが聞こえていました。目を凝らさないと見えないくらいの高みで舞うひばりは、まるで天からの春の使者のようです。

そういえば、ボーン・ウイリアムス(Ralph Vaughan Williams)に『あげひばり』(The Lark Ascending) というバイオリン独奏と管弦楽の曲があります。とくにヒラリー・ハーン (Hilary Hahn) の印象的な演奏YouTubeで知られるようになりました。

私がヒラリー・ハーンを知ったのはYouTubeでバッハのシャコンヌの演奏を物色していたときでした。若い頃聴いた往年のバイオリニストの演奏をもういちど聴けないかしら、と検索していたら、それらに混じって、ずいぶんと若い女性バイオリニストの演奏がヒットしました。その演奏スタイルはそれまで聴いたシャコンヌとは違い、どこか春風を思わせるような新鮮さと清楚さをたたえながら、奇を衒うようなわざとらしさも感じさせることもありません。

そう。演奏者があまり出しゃばらず、その曲のもつ魅力と個性を再現すること。これがまさしく私がずっと求めていたシャコンヌの演奏でした。

『あげひばり』はロンドンのAbbey Road Studios でロンドン交響楽団との共演でレコーディングされました。その収録風景を紹介したテレビ番組もありました。

YouTubeで視聴できるその録画映像の冒頭で、彼女は自身のレコーディング活動についてこう 語っています。

"I don't have an illusion that one of my albums is going to redefine someone's life, or going to redefine the way people see the piece I have recorded. So when I record I'm not aiming to impress, and not trying to change people's ideas. I'm not trying to make a statement. So what I try to do on an album is just to present music in a way that will interest people in the music if they've never heard it before and in a way that won't be a repeat of what other people have done" (Ovation TV | Hilary Hahn YouTube)

<わたしのアルバムがだれかの生き方を考え直させることになるとか、そこに収録された曲についての人々の見方を変えてしまうとか、そんな幻想はわたしにはありません。ですから、レコーディングは、感動をあたえることを目指しているのでもなく、聞く人の考えを変えようとしているわけではありません。なにかを訴えているわけでもありません。アルバムでやろうとしていることは、初めて聴く人だったらその曲を好きになってくれるように、そして、すでに誰かがやったことの繰り返しにならないように、演奏しているだけなんです>

印刷術の発明により、語り部と話芸の文化的価値が下がり、写真の発明により失職する画家が増えたように、録音技術の発明によって、演奏家、とくにクラシック音楽家は、その活躍できる舞台が激減しました。音楽は文化から商品に変わった、とみることができます。レコードやCDは音楽という文化を盛った商品であって、商品であるからには売れることが目的で、そのためにはすでに存在する商品(クラシックでいえば、同じ曲の別の演奏者によるレコード)と何らかの差別化が必要になります。もっと上手な演奏者か、それまでの解釈とは違う演奏とか。

すると、クラシック音楽のレコード業界は、いきおい演奏者の新規性か、ブランド性で消費者の購買意識をくすぐるマーケティングに傾きます。それは、ベストセラー小説の量産プロセスとよく似ています。出版業界は文化の担い手のような思い込みが出版社にも消費者にもありますが、なんのことはない、内容の文学性はどうあれ、新刊書の売り上げが現実的な目的であって、そのために、各種文学賞や人気作家を必要としています。

クラシック音楽界でも同様、各種演奏技術コンクールの優勝者と有名演奏家が、それぞれ新規性とブランド性を代表します。レコードの商品価値は、そもそもの曲をつくった作曲家よりも、演奏家のほうにあります。詩人谷川俊太郎の『ベートーベン』と題した落首はその事情を小気味よく皮肉っています。

ちびだつた
金はなかつた
かつこわるかつた
つんぼになつた
女にふられた
かつこわるかつた
遺書を書いた
死ななかつた
かつこわるかつた
さんざんだつた
ひどいもんだつた
なんともかつこわるい運命だつた

かつこよすぎるカラヤン

(谷川俊太郎詩集1 角川文庫 300ページ)
<カラヤンさん、ベートーベンを差しおいて出しゃばりすぎ。お下がり!> ヒラリー・ハーンの演奏が好印象を与えるのは、あくまで曲と聴衆との橋渡しをしようというその姿勢のせいでしょう。

ところで、日本のあげひばりは<ピチピチ>と鳴きながら空の同じところで舞い踊っているものですが、ボーン・ウイリアムスの『あげひばり』は、ひばりの飛ぶ姿そのものでも、そのさえずりでもなくて、空高く舞い上がるひばりになにか思いを託しているような、郷愁をさそう音楽に聞えるのは私だけ?

それとも、空を飛ぶことへの憧れにも似た思いでバイクに初めて跨がったときの記憶が、この『あげひばり』に呼び起こされたものか。



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