新潮文庫の新刊に佐藤勝『インテリジェンス人間論』があり、早速購入して読みました。私はハードカバーはめったに買わないで、好きな作家でも文庫が出てから読むことが多いのです。とくに1日を争って読まないとならないわけでもなし、ハードカバーは高い上に場所をとるので、ずっと蔵書として大切にとっておく目的でもないかぎり、通勤電車で読むのに便利な文庫を重宝しています。
その『インテリジェンス人間論』の「文庫版あとがき」に佐藤氏がめずらしく両親について語っているくだりがありました。おやっ、と思ったのはそこにある意外な人物の名があったことです。
えっ、富塚清?あのエンジン技術者の富塚清かしら。父は大正十四年(1925)年生まれだった。東京の下町育ちで、夜学の工業中学を卒業 した後、東京帝国大学工学部の富塚清教授の研究室で実験の下働きをしていた。工業 中学での成績がよかったので、大学で仕事をしながら、受験勉強の準備をし、大学に 進学することを考えていたようだ。(新潮文庫 325ページ)富塚清はエンジンや動力の歴史に関する著作がいまでも復刻版として読まれています。とくにその『動力の歴史』(三樹書房)は産業革命の歴史としても新しい視点を与えてくれます。その富塚教授は、
だから父は息子に、技術者になれば腕次第でどんな時代でも生きていける、だが政治からは距離を置くよう、こんな話をよくしていたそうです。当時、航空工学の第一人者であるとともに、愛国者として言論界でも積極的に発言し ていたようだ。そのため戦後、公職から追放された。有名教授ではあったが、父のよ うな下働きの少年にも親しく声をかけてくれたそうだ。(同上)もったいないのは、佐藤氏にもあてはまることで、国策と政争の犠牲者、というよりスケープゴート、にされて、外務省の国際情報分析官としての活躍に終止符を打たれてしまいます。その結果、とは言えないまでも、そういう情報インテリジェンス能力を欠いた外交が、尖閣諸島ビデオ問題のお粗末さや北方領土問題への対応の不備をもたらしているように見えます。<おとうさんが東大の研究室で下働きをしていた頃、富塚教授という立派な先生がい た。イギリス、ドイツ、フランスの三カ国に留学して、博士号をとった。人格的にも とても優れていた。お父さんにも「頑張って勉強しなさい。そうすれば道は必ず開け ます」と声をかけてくれた。ただし、戦争中、航空工学の専門家だから仕方ないのだ けれど、いっしょうけんめい戦えと演説をして歩いた。それで、戦後、東大の先生を やめさせられた。ほんとうにもったいないことをしたと思う>(326ページ)エンジンの専門家であることから、富塚清はモーターサイクルにも関係し、とくに2サイクルエンジンの可能性を追求してその進化に貢献しています。その著書『日本のオートバイの歴史』(山海堂 1980年)の最後で、2サイクルとホンダに言及してこんなふうに回顧しています。
これは1970年代終りの執筆なのでその時代の様子を反映しています。現在では2ストロークマシンは、レーサーなどを除き市販車のオートバイからは姿を消してしまいました。技術的な問題からではなくて、環境問題からの選択でした。2サイクルと4サイクルの両者は内燃機関の中の大きな分派であり、終始対立抗争 を続けてきた。共に一得一失があり、勝敗は簡単にきまらない。筆者は2サイクルの 心酔者と見られているかもしれないが、本業は航空エンジン屋だから、4サイクルに も無縁ではない。 しかし、戦後は2サイクルの偏執者みたいに、これらのちょうちん持ちをして来た から、だいぶ誤解を招いたようでもある。かつての本田技研の社長、本田宗一郎氏は 筆者のことを「富塚のばかが・・・」と何かの折り、罵倒したという噂も耳にした。 恐らくこれは、ホンダの4サイクル一辺倒に対する筆者の批判を怒っての発言だった と思う。(中略)ホンダのスーパーカブ50ccの4サイクルなどを邪道と評したことが あったかも知れない。恐らくそれあたりが本田宗一郎氏の激怒を買ったのだろう。 しかし、現在は時代が変わり、ホンダでも2サイクルを生産、なお逆に2サイクル 専門メーカーだった諸社も4サイクルを生産。 ここで近年は各社併用となり、2サイクル屋、4サイクル屋の区別は全く解消、両 方式が適当な使途に落ちついた。例の「ばか」問題もこれで昔の物語りとなった。 (『日本のオートバイの歴史(新装版)』 三樹書房 2004年 221ページ)とは言っても、2ストロークエンジンの軽量、低コスト、高出力の利点はまだ生きています。私は実家に帰ると、小さな畑や休耕地を耕すのに耕耘機を動かし、草刈り機の回転歯を回します。これらの農機具が思った以上に安価であるのに驚きますが、それも2ストロークエンジンであるせいもあります。草刈機などほんとに軽量なので、これでライト兄弟のマネでもしたくなるほどです。でも、先月ホームセンターで草刈機をもう一台買ったとき、そこに4ストロークエンジン搭載の草刈機が並んでいました。キャッチフレーズは、環境に優しくて、高燃費。
ところで、私自身の文庫嗜好から書きだしましたが、実は文庫版を好む理由がもう一つあります。それは今回の佐藤勝氏の「文庫版あとがき」がいい例ですが、文庫版として登場するときに、あらたな後記や解説が加わったり、さらには本文を見直して必要な訂正や反省、さらには新規書き下ろしの章を加える作家がいることです。とくに、ジャーナリスティックな内容や、歴史に関する書物は、出版後に新事実が明らかになったり、事件のあらたな展開があったりします。なかでも文芸批評家の斎藤美奈子の文庫版の手のいれようは別格で、文庫版はいわば増補改訂版。
出版不況が言われて久しいですが、出版産業の中で占める文庫の位置はちょうどバイク産業に占めるスーパーカブのようなものではないかと思ったりします。古典なら、文才のない学者による読むに絶えない翻訳が生き生きした日本語に翻訳されなおすことで、故人となった作家なら、その作品に現代的意味を見いだす解説を加えることで、そして現役の作家(小説家ではなく、文筆業すべて)なら、文庫化するときにどんなアップデートが必要かを考えることによって、文庫原付きバイクは最新テクノロジーのかたまりとして受け入れられ、その販売台数によってその上位のハードカバー、つまり大排気量バイクの開発と製造を支えている、と思うんですよね。
えっ?ああ、そうですね。アップデートが必要という意味では、Webサイトのコンテンツもおんなじですね。