もうひとつの「考える人」― デューラー『ドイツ農民一揆のための記念碑図案』 (2014.2.2)


農民一揆記念碑 ドイツの偉大な画家・版画家アルブレヒト・デューラー(1471ー1528)に『コンパスと定規による測定教程』(1525)という、一見風変わりな書名のテキスト付き画集がある。測定とか測量とか日本語に訳されるタイトルの Messung(独)/Measuring(英)だが、原本を見ると、作図あるいは寸法(比)どりの意味であることがわかる。数学と幾何学の職人向け実用書とでも言えるものだ。

この、180ページほどもある大部の本の中に、ひときわ目を引かずにはいない作例がある。それが右の、通称「ドイツ農民戦争記念碑プラン」。 初めてこの絵をみたのは、けれど、画集ではなかった。それは日本語で書かれた小説に使われていた ― 堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』、日中戦争・日米戦争時の治安維持法下で青春時代を過ごした作家の自伝的小説。学生時代にこの絵を見たときの衝撃の記憶は今でも鮮明だ。

小説では、このように登場する。

く籠などが積み重ねられ、その塔の頂上に、倒立した壷の
上に腰をおろした一人の農民が、背中に野太い剣を突き刺
されたままで、片手で頬杖をついてうなだれている。そう
いう記念柱のプラン図であった。そうして、それらの、農
(堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』新潮社 1968年 p.229頁末)
と読んできて、ページをめくると、この絵が目に飛びこんでくるという組版がされている。文字だけが当たり前の小説に絵画が引用されるのはめずらしいが、考えてみると、絵と数学が持つ描写力は文字が担うものとは違うものだ。小説ではもう一点、画像が使われていて、それは最終ページの「臨時招集令状」、いわゆる赤紙のコピーだ。それもここで初めて目にした。それは想像していたアカガミの文面とはまったく違っていた。

堀田善衛はこのデューラーの作品を、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と関連させて解説するのだが、わたしはそれ以上に、これはいったい何を描いたものか、デューラーの意図と目的を想像しながら、ずーっと見つめていたものだ。

デューラー自身はこの図案に個別のタイトルをつけているわけではなくて、教程のテキストで、たんたんと寸法どりを説明しているだけだ。その書き出しは、

If someone wishes to erect a victory monument after vanquishing 
rebellious peasants, he might use paraphernalia according to the 
following instructions.

もし、農民反乱を鎮圧した戦勝記念碑を打ち立てようと思う者がいたら、
以下の指示にしたがって農具・調度を組み合わせるがいい。
そうして、なにをどんな寸法でどういう順序で積み上げていくか、延々と指示する記述が続き、最後にこう締める。
The rods are to be surmounted by a chicken basket, topped by a 
lard tub upon which sits an afflicted peasant with a sword stuck 
into his back.

最上部、竿の先にニワトリを入れた籠を置く。さらにラード用の瓶を立て、
そこに苦しむ農民をひとり坐らせる ― 背中に剣を突き立てて。
Albrecht Durer, Instructions for Measuring with Compass and Ruler (1525)
画家のよく知られた銅版画『メランコリア』(1514年)のように寓意を感じさせるこの記念碑設計図は「戦勝」とあるように、建前は、教会や諸侯の抑圧に対して蜂起した農民を打ち破った、諸侯側の勝利記念碑なのだ。
ルターははじめ、反乱に立ち上がった農民に同情的であったが、このミュンツァー
に指導される反乱が始まると、これを厳しく非難し、諸侯たちに徹底的に鎮圧する
よう勧告した。ルターに激励された諸侯軍は、1525年5月、ミュンツァー軍と決戦を
行った。その大半が槍や鎌しか持たない農民軍は勇敢に戦ったが、大砲で武装した
諸侯軍の敵ではなく、徹底的に粉砕された。ミュンツァーは捕らえられて拷問された上
処刑された。こうして、ドイツ農民戦争は、10万人の農民が殺されて敗北に終わり、
農民は一層農奴的抑圧下に置かれることになった。
Wikipedia ドイツ農民戦争
記念碑農夫 この農民一揆が敗北したのが1525年、デューラーの『教程』が出たのも1525年、そうして記念碑にも1525の年号が記されている。大部の教程にもかかわらず、時を置かずにこの設計図が収められているということは、急遽この図が追加されたことを暗示する。収められている他の図版に比べ、これがとくに異彩を放っているのは、そうした事情と思われる。

戦勝記念碑と謳いながら、勝利した側の誇らしげな兵士と武器ではなく、破れた側の農民と農具による構成。身分的には諸侯に仕える立場だったデューラーだが、この記念碑からは、芸術家の農民を見る視点が、ルターとは正反対だったことが分かる。

それにしても、最上部で「うなだれている」農夫の寓意はなんだろう?

よく見ると、それはうなだれているのではなくて、考えている姿だ。そう、ロダンの「考える人」にそっくりだ。しかし、デューラーの指示書きには「苦しむ農民(an afflicted peasant)」とある。長いこと、これが疑問だったが、答えは、隠されていたのではなく、意外なところにあった。

キリスト受難 デューラーにはキリストの受難をシリーズで描いた木版画集がある。そのひとつの表紙に描かれたのが右の「苦しむキリスト(Christ Suffering)」。同じポーズ、類似の形容 ― なんと、記念碑のトップに置いたのは、農夫の姿をしたキリストだったのだ。そうして違いはというと、受難のキリストの顔が苦しみに歪んでいるのにたいし、農夫キリストの表情には、原本を原寸で見ても、静かになにかを考えている気配がある。

死してなお何を考えようというのか?

殺戮を行った武装勢力からすれば、これは、おとなしく農作業だけ行っておればよいものを、という見せしめの図だ。一方、敗れた側にすれば、これは、なぜ敗北したのか、どう戦えばよかったのか、背中の剣に対抗する武器はなんなのか、考えることを迫っている作品だ。勝った者は、なぜ勝ったのか、分かろうとはしない。それは結末でしかないからだ。負けた者だけが、なぜ負けたのか、考える力を与えられる。それが始まりであり、継続だから。

芸術作品が、このように作者から独立して、見る者ごとに違って受け止められ、ときに正反対に解釈されることはよくある。堀田善衛が見たのは、『ドイツ農民戦争』という著作の背景にあるヨーロッパの暗澹とした歴史だ。

一方、同じ治安維持法下で、「武装勢力」に立ち向かい、唯物論研究会を率い、日本の敗戦を目前に獄死した哲学者・評論家の戸坂潤は、こんな「紙と筆による記念碑」を残している。

『おけさほど 唯物論は ひろがらず』(1935年)

これを哲学者としての自虐句、と見た者もいたようだが、もちろんそう読み取ったのは唯物論者ではない。わたしの96にもなる伯父は老人介護施設にいて、あまりしゃべることもなく、ぼけも進行しているが、わたしたちが佐渡おけさや三階節を歌いだすと、急に笑顔になり、声を絞り出すようにして一緒に唱和する。戸坂はそんな我が越後・佐渡を講演旅行で訪れていた。



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