浅田真央のもうひとつの最高点演技 ― 日本外国特派員協会での会見ソチでの女子シングルフリーはライブで見ていました。前日のショートで失敗した浅田真央にメダルの可能性はなかったのですが、それでも、どんな演技ができるのか、見届けたい気持ちがありました。ライブにこだわったのは、結果のニュースは色づけされてしまうこと、さらに録画であっても切り貼りされたり、カットされたり、実際の状況・雰囲気からかけ離れることがあるからです。ライブで見ていて良かったと、あらためて思ったことでした。
その浅田選手が今朝成田に到着したその足で東京に向かい、そこで記者会見に臨みました。主催者は日本外国特派員協会です。
その速報ニュースがヤフーに掲載されて、とくに、2020年のオリンピック組織委員会会長を務める森元首相の「あの子は大事な時には必ず転ぶ」発言にたいするみごとなコメントが大きく見出しになっていました。ただ、色づけ・コマ切れにされた報道なので、ちょっと気になった点があったため、ノーカットの録画がないか捜しました。そうしたら、早くもFNNがその「全録」をYouTubeにアップしていてくれました。通訳付きで30分強の会見時間です。
気になった点というのは、「私は何とも思っていないけれど、森さんはああいう発言をしてしまったことを少し後悔しているのでは」というコメントが、どんな質問にたいしてなされたのか、ニュース記事では曖昧だったことです。FNNnewsCH (全録)フィギュア・浅田真央選手が会見会見では、まだその質問が出ないでいたとき、アラブの記者の「転ぶ時は痛いのか?」という質問の後に、まず司会者が森氏のコメントについて問うていました。そのときは、
と、さらりと答えただけでした。しかし会見の最後の質問者が「先ほど森さんのコメントについて、個人としての感想を伺いましたが、アスリートとして、オリンピック選手として、森氏のコメントがオリンピック組織委員会のトップとしてふさわしいとお考えですか」と問いなおしたときに、23歳のスケーターはこう答えたのでした。浅田:もう終わったことなので(会場笑)、もう何とも思ってないですけど、 でも、聞いた時は、「あっ、そうなんだー」って思いました。(会場笑)ソチでのフリー演技に勝るとも劣らぬ芸術点でした。浅田:うーん、わたし自身、それを聞いたときは、 まあ、(競技が)終わった後だったので、 「あー、そんなこと言っていたんだな」と思ったわけなんですけど、 でも、人間なので、それは、失敗することもありますし、 しょうがない、と言えば、それはそうではない、とは思うんですけど、 やはり、自分も失敗したくて失敗しているわけではないので、 それ(森発言)はちょっと違うのかな、というふうには思ったんですけど、 でも、まあ、森さんはそういうふうに思ったのではないかな、と思いました。 司会(通訳):あと5年間、会長を努めていただく森元首相に、日本チームは 耐えられると思いますでしょうか?(会場爆笑) 浅田:(笑いながら答えを探して)わたしは今べつになんとも思っていないですけど、 たぶん、森さんが、ああいう発言をしてしまったことについて、 森さんは今すこし、ちょっと後悔をしているんじゃないか、と すこしは思っています。(会場拍手と大爆笑) 司会:What a great answer!日本人記者はいつものごとく、聞くべきことを質問しなかったり、質問ではなくてスピーチを始めたり、ワイドショー的な内容の質問をしたりしていましたが、浅田真央はそれについてもうまくカバーする受け答えをしていました。外国人記者のひとりは「メダルがかかっていたわけではないフリーでも敢えてトリプルアクセルに挑戦したのはなぜか、またトリプルアクセルをはずして他をパーフェクトにこなすことで金メダルを狙うことは考えなかったのか」と質問して、ここでも浅田選手のみごとなコメントを引きだしていましたが、これも森発言についてと同様、日本人記者が質問してしかるべきことでした。
ところで、森組織委員会会長は自分の「ショート」での転倒をどうばん回すべきか? 彼にとっての「トリプルアクセル」は、すなおに「後悔しています」と認めて、本人の前で土下座して謝罪すること。そうすれば、人気を一気にばん回して、称賛さえ浴びることができるが、さて、そのような勇気が老人に残っているかどうか。
再度、バイクデザインの可能性についてこのところ、二輪市場の復調の兆し、とか、中高年のリターンライダー増加、といった話題や記事を目にすることが多くなっています。今日も
という記事が目に留まりました。ヤフーニュースに同様の記事が他の新聞社からも発信されているので、これは業界の広報という意味もあるんでしょう。二輪市場が元気になってきているという印象は、昨年の東京モーターサイクルショーでも感じたことでした。中高年ライダー急増、二輪復調の兆し「若者のバイク離れに歯止めかけたい」 SankeiBiz 2014.2.8 08:33ただ、気になったことは、記事でせっかく中高年が「ツーリング」志向であることや、乗り方が「長距離走行」であるこことを指摘していながら、新規に投入するというモデルが海外生産の廉価モデル、という哀しさ。
以前エッセーで書いたけど、ツーリングに出かけるのに、荷物を積めないバイクでどうする? わたしは今のバニアケース付きのバイクに乗り換える前は、荷物をどう括りつけるかいつも頭痛の種だった。いちどバニアケースつきのバイクに乗ったら、パニアケースなしのバイクは二度と買おうとは思わない。もちろん純正でついていなくても、オプションで着けられれば、それでも構わない。でも、現在のほとんどのバイク、とくにスポーツバイクと呼ばれるものは、意味もなくテールカウルを尻上げにデザインしたり、マフラーを目立たせる形状と取り付け位置にしている。これではよけい荷物が積めなくなってしまう。
バイクの後部のデザインをテールカウルとマフラーでごまかす時代は、とっくに終わっている、というのがわたしの持論。走っているバイクはどんな角度で見られることが多いかというと、たいていは前を走るバイクの、または追い抜いていくバイクの、後ろ姿。手前味噌ではないけれど、後ろ姿のカッコいいバイクはBMWと白バイくらいぢゃないかしら。
パニアケースの似合うバイク、そこに新しいツアラーのデザインの可能性があると、今でも思っています。
作曲の下請け ― 幽霊と大騒ぎ「日本のベートーベン」とまで賛辞された「両耳が聞こえない作曲家」の佐村河内守氏にゴーストライターがいた、というニュースで朝からメディアが盛り上がっています。佐村河内氏は楽譜も満足に読めないらしく、イメージを大学講師で作曲家の新垣隆氏に伝えて、曲の「下請け」をさせていた、といいます。
わたしはそのCDなどは持っていませんが、昨年のNHKのドキュメンタリーは見ていました。そのときに、福島の被災者支援も絡ませた良心的な番組とは思ったものの、曲そのものはわたしの関心を引くものではありませんでした。ただ、音楽の才能は若いときから発揮されるのが普通なのに、中年でデビューするまで埋もれていたという事実に、いくらか違和感がありました。
ゴーストライターがいた、というニュースには、じつは驚きよりも、やっぱりそうか、という安堵感さえ覚えたものです。逆に違和感を覚えたのは、メディアのはしゃぎぶりでした。耳の聞こえない作曲家として持ち上げたのは当のメディアだったことに反省もないのは、メディアが結局は自ら調査報道することなく、たんに情報の横流ししかしていないことを晒しているようなものです。
ゴーストライターそのものは大衆メディアではごく常態化しています。タレントさんたちの出版作品はゴーストライターの活躍舞台です。元イギリス首相のマーガレット・サッチャーは引退後に「The Downing Street Years」という大部の回想録を出しています。晩年アルツハイマーを発症して、それが映画にもなりました。わたしがオーストラリアの友人とその映画について雑談していたときに、あの高齢で文章もしっかりしていて、しかもよく記憶していたのにねえ、と感嘆したら、彼は、「いや、あれはゴーストライターが書いたもので、本人にインタビューしたり、資料を調べたりして、まとめるんだ。欧米ではそれは常識なんだよ」。
思えば、佐村河内氏は天才的な興行師とでも言ったほうがいいかも知れない。ちゃんと作曲者の新垣氏の名前を出して共同作品にすればよかったのに、と思います。
もしも、曲がすばらしいものなら、真の作曲者が判明したということで、賞賛する相手を変えればいいだけのはずですが、CDを買った人たちが騙されたと感じるとしたら、それは、曲を買ったのではなくて、その曲にまつわるストーリーを買ったせいでしょう。そうして、障害をかかえた作曲家をいくらかでも応援しよう、すこしでも被災者の支援になればと、CDを買ったことでしょう。
ただ、支援とか、協力とか、善意を潜ませることばに弱いのがわたしたち日本人。その昔、海外出張も多かったわたしに、ニューヨークからユニセフの寄付のお願いがダイレクトメールで届きました。飢餓状態の幼児の写真が印刷されています。それから毎年、わずかですが募金を続けていました。ところが、いくら募金をしても、送られてくるダイレクトメールには一向に飢餓から救われないアフリカの子供たちの変わらぬ姿。あるとき、振込先がユニセフではなくて、「日本ユニセフ協会」という、テレビでコマーシャルまで打つ「公益財団法人」であることを知りました。そして募金先を変えました。
またも国際的窃盗組織が暗躍していますオートバイ窃盗に関する警察統計では、被害件数こそここ数年激減しておりますが、これは原付や小型バイクがアジアの新興国で現地生産に切り替わったために、わざわざ日本で「仕入れ」てもコストが合わなくなったことと、ライダーの防犯対策と窃盗手口の理解が広がったことで、とくに大型バイクが盗みにくくなった、という背景がありました。
ところが、メディアでは取り上げられませんが、関東圏で国際窃盗組織の意外な隠匿倉庫が見つかり、そこには大型バイクばかりでなく、原付や小型、また日本だけの特殊排気量の400ccバイクもあり、さらにこれまで密輸向けとは思われなかった250ccオフロード車もありました。ともかく、車種にこだわらずに、盗れるものはなんでも盗ろうとしているようです。
とくに、バイク窃盗がメディアや雑誌で報道されないせいもあり、オーナーもつい気を抜く傾向が出ていないとも限りません。友人に新人あるいはリターンライダーのおられる読者の方には、その人たちに、「脅かし」ではなくて当サイトの盗難リストの「事実」を、ご紹介いただきたく、お願い申し上げます。
「モーターサイクルがすばらしい乗り物と思うから」ドイツの友人に宛てた新年の挨拶メールに、私のK75Sと一緒に写した写真を添えて送ったら、なんとその友人も20年前のボクサーツインが愛車であるとの返信が来ました。仕事での付きあいから親交を深めるようになった間柄でしたが、バイクの話をしたことがありませんでした。こんど日本に来たときに、ビールを飲みながら、旧車談義をしようということになりました。
意外なところでバイクが人と人との間を取り持ちます。
私の住むマンションでは、これまでバイクの駐輪場は125ccまでという制限が入居時のままになっていました。でも1台分のスペースが十分にあるので、私はちゃっかり中型や大型を置いてきたのですが、今や125cc超の駐輪も増えたこともあって、このたび、管理組合の総会で晴れて排気量制限を外すことが承認されました。いつか規約改正をしたいと思いつつ、20年かかってしまいました。マンションで大型バイクの駐輪スペースを規約で確保するということは、全国的にもあまり例がないのではと思います。
この20年でバイクをとりまく環境やライダーの質(品格?)も大きく変化しました。でも、日本が誇れる文化にまでなっているかというと、まだまだ使い捨て消耗品としての印象が強いようです。原発と同様、国が国策として保護育成してきた四輪産業と違い、オートバイはつねにメーカーとライダーが社会的偏見とたたかってきました。そのいっぽうで、発展途上国ではバイクは経済を支える土台です。道路にはバイクが溢れ、スーパーカブにこどもを何人も載せて走る親も目に付きます。そしてあのバイクはみな、日本製(日本メーカーの現地生産)か、日本製のコピーです。
バイクが普及すれば、バイクショップが流行り、ショップが増えれば、腕利きのメカニックも増える。メカニックの腕が上がれば、小型バイクばかりか大型バイクも整備できる。バイク乗りも大きなバイクに乗りたいと思う。大排気量のバイクは高価で買えなかったり、メーカーが販売していない、ならば、お金持ちの日本人が無造作に置いているバイクを失敬しましょ。バラして船に積むのは簡単。
置き場がない、盗難が恐い、街には駐輪スペースがない、とバイクから人を遠ざける条件は事欠きません。それでも、ちょうどわたしがそうだったように、あるとき、何の前触れもなく、意外な人が、意外な年齢で、バイクに乗りだす。それこそが成熟社会の目に見えないエネルギー。
新年のごあいさつに替えて。
原子力マフィアは焼け太りを目指す ―「国費投入」というキャッチコピーおととい月曜のニュースで軽く報じられていた福島原発事故処理への「国費投入」問題。マスコミの報道の多くはまるで政府広報のようでした。たとえば、朝日新聞。
記事本文で、東電に事故処理と賠償を<任せてきた>という言い回しを使っています。そして東電に替わって「国が前に出る」というのです。そうか、国が本腰で事故処理に関与するのか、と善良な国民はいい意味にとってしまいそうです。前回のコラムをご覧の方なら、ピーンと来たでしょうが、なんのことはない、東電を破綻させないよう、国民の税金をつぎ込む、という内容をプレゼンで加工しただけのことでした。福島第一原発対策、国が前面に 国費積極投入に転換 朝日新聞デジタル 11月11日(月)23時0分配信 安倍晋三首相は11日、東京電力福島第一原発事故対策について「国がしっかりと 前に出る」と、東電に原則任せてきた対応を転換する方針を表明した。除染費用の 一部を国が初めて負担する方向で調整し、避難住民すべての帰還を前提としない 支援策や除染の長期目標の実質緩和も検討する。紙メディアよりましな報道はTBS。自民党と公明党が、国費を投入することなどを柱とした提言を行った、と以下のように伝えています。
「民主党政権が“東電任せ”だった」と、ちゃんと“東電任せ”を引用句として使っています。朝日の記者と違って、それがプレゼンのごまかし作法であることを、こちらの記者は分かっていたからでしょう。さらに、「公共事業」もカッコでくくるという注意も払っています。除染に国費投入へ “東電任せ”から方針転換 TBS系(JNN) 11月11日(月)18時41分配信 例えば、除染については、現在は東京電力が原則、全額を負担することになって います。この方針を見直し、今後追加される除染にかかる費用や汚染された土など を保管する中間貯蔵施設の建設費などは「公共事業」と位置づけ、国が費用を負担 するように求めているのです。事故の責任をだれも、どこもとらず、破綻処理して当然の東電を守り、責任省庁を免罪し、土木関連企業に税金を落とす。日本語にはこれにぴったりの表現があります ― 焼け太り。
「これで安心して事故を起こせる」― 経産省が東電を破綻から守るために変更したルールリオから帰った安倍首相が福島第一原発を訪れて、唐突に福島第1原発の5・6号機の廃炉を東電に要請したのが、なにか臭いなと思ったら、すぐさま申し合わせていたかのように、東電がそれに応じるような気配のコメントを出していました。はて、お金が安全よりも大切な東電の広瀬社長が改心したとは思えないし、なにか裏があると思っていたら、それを先週のテレ朝「そもそも総研」が解明していました。
じつは経産省が、国会を通さずに省令で、新しい電気料金の会計制度をスタートさせたそうです。どういうことかというと、『そもそも一体どこまで私たちは東京電力のツケを払わされるのだろうか?』 テレビ朝日モーニングバード「そもそも総研」10月3日言われてみて、過去のニュースを検索すると、たしかに制度変更の問題点を指摘していた記事もみつかります。けれど、「廃炉しやすくするため」と説明されたら、そうか原発ゼロに向かって一歩進んだのか、と錯覚しそうです。ところが事実は逆で、なんのことはない、今までは「事故は起きない」という前提で原発が推進されていたものを、実際に事故が起きてしまい、その処理費用と賠償で東電が破綻しかけているときに、東電を破綻させないため、またこれから他の原発でも「安心して事故が起こせる」ように、経産省が新しい旗を振り出した、ということか。― 今までは、事故による廃炉で多額の損失が出ても、1年で処理しなければ ならず、損失額によっては破綻する可能性がありました。しかし10月1日 からの制度の変更で、その損失は数年にわたって分割ができ、さらに電気 料金で回収もできるようになったのです ― 玉川アナ: 事故の処理費用を電気料金で払うということになる、という ことですか? 大島立命館大学教授: そうです。ほんとうは、事故が起これば、経営が成り 立たないとか、破綻しちゃうとか、いうことになるんですけど、そのお金を 全部電気料金にかけられるのであれば、事故を起こしても別になんてことは ない、ということになっちゃいますね。なにをやっても責任を問われることのないエリート官僚の考えつきそうな知恵ではあります。