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-64- (2016.1 - 2016.12 ) 


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 (2016/12/24) 
大黒屋光太夫の見た「青銅の騎士」像 

ペテルブルクを訪れる多くの観光客の第一のお目当ては無論、エルミタージュ美術館でしょう。わたしにとって、今回の旅の一番の目的はピョートル大帝像でした。プーシキンの物語詩のタイトルそのままに「青銅の騎士」と通称されるこのブロンズ像は、ロシアの歴史やロシア語に関心がないかぎり、興味の対象にはならないらしく、旅行ガイドブックでも小さな扱いになっています。

このピョートル大帝像が完成したのが1782年、それからわずか9年後の1791年に、大黒屋光太夫が日本への帰国の許可を求めてエカチェリーナ2世に謁見すべく、サンクトペテルブルクにやって来ます。後に、当時の第一級の蘭学者、桂川甫周との共著とも言うべき「北槎聞略」の中で、サンクトペテルブルクを詳細に記述していますが、その中でピョートル大帝像をこのように描いています。

叉浮梁(ふなばし)の南のもとに三間余(あまり)の大岩石をすゑ、周(めぐ)りに石欄(せきらん)を構え、石上に中興の賢王ペートル馬上の像を安置す。馬蹄に大蛇を蹈(ふみ)たる像なり。
(「北槎聞略」92ページ 岩波文庫 1990年、原本 国立公文書館 デジタルアーカイブ
蛇を踏みつけている像であることを、このとき初めて知りました。ガイドブックでも、レンフィルム制作の映画の冒頭ロゴでも、像を前から撮影しているので、そこには大蛇は見えません。ということは、このブロンズ像を制作した彫刻家は、像を背後から見たときに最も美しく見え、かつその意味が分かるように設計したものでしょうか。

現に、プーシキンはその物語詩の中で、このように斜め右後方から眺めたピョートル大帝像を描写しています。さらに、現地で実物を観察すると、「青銅の騎士」は「騎士」ではありませんでした(翻訳が不適切)。鎧兜はおろか武器も持たず、権力を象徴するような杖なども持たず、古代ギリシャ・ローマの衣をまとい、頭に月桂冠を載せています。どうやら長いことわたしたちは「青銅の騎士」と「青銅の騎士像」について、大きな誤解をしていたようです。プーシキンの「青銅の騎士」が「スペードのクイーン」と同時期に書かれたということが示唆的です。



 (2016/11/10) 
またか!「予想外の結果」 ― 米大統領選のメディア報道 

アメリカ大統領選挙でトランプが選ばれたことを、各メディアは一斉に「予想外の結果」だと、驚きと、ある意味、失望を込めた報道をしています。またまた「またか!」と思ってしまいます。選挙期間を通じて、世論調査による支持率のひっ迫の報道もあったのだから、トランプ勝利の可能性がある程度あるということは素人目にも見えていたことなのに。

ヒラリー・クリントンが勝ったほうがいい、という思いが、勝つはずだ、という固定観念になって、それ以外の可能性を検討さえしない、という体質が既存メディアにあったように感じます。今朝のモーニングショーで玉川徹がいみじくもコメントしたように、これは旧日本軍の体質をも連想させるものです。それは過去の話ではなく、たとえば「想定外」の原発事故、さらには現在進行中の豊洲新市場や2020東京オリンピックの競技施設問題に見られるように、一度動き出したら、今回小池都知事が登場するまではだれも立ち止まって考えることをしなかった「思考停止」は、実はずっと潜在課題だったんだ、ということに気づきます。

たしかに、トランプの暴言がメディアを賑わしていたので、大統領としての資質が疑われたのは事実です。しかも、トランプ、ヒラリー両候補とも嫌われ度が50%を超えていたなかで、そのふたりに代わる投票候補がいなかったこと、そもそもこの選挙が国民の直接選挙ではなくて間接選挙だという欠陥(実際、得票数はヒラリーが上回っている)、など、この選挙結果がアメリカ国民の総意なのか、議論はあります。けれど、そんなトランプ候補がなぜここまで支持を得ているのか、ジャーナリストなら分析していてしかるべきだったと思うのです。

たぶん、アメリカは世界のなかで経済的優位を維持しているものの、国内では格差と貧困が広がっていて、富が一部の富裕層、エリート、エスタブリッシュメントに集中していることへの不満が底流にあるのではないか。アメリカはグローバリズムの名の下に自国の都合のいい「スタンダード」を他国に押し付けて、自分の利益を優先させて来ましたが、それは他国ばかりか、多数の自国民の利益をも奪っていたのかも知れません。

いずれにしても、トランプは、小学生レベルの文法で過激とも言える発言を選挙期間中繰り返して来たとはいえ、それほどブッシュのような愚かな人間には見えません。先入観でものごとを決めつける危うさのほうを、わたしは危惧します。



 (2016/9/11) 
「個人劇場」から「都民劇場」へ ― 小池百合子都知事のプレゼン手法 

昨日の土曜に小池都知事が緊急とも言える記者会見を開き、豊洲新市場についてその主な建物の地盤で土壌汚染対策の「盛り土」が行われていなかったことを公表しました。

記者会見は都庁のホームページでもライブ中継していますが、THE PAGE の YouTube 中継のほうが解像度もアングルもいいので、私はこっちをひいきにしています。今回の会見は質疑応答も含めて30分足らずの短いものですので、この会見についてのニュース報道をあれこれ物色するよりも、会見の一部始終を全編ご覧になるのがおすすめです。

【中継録画】小池都知事が緊急会見 豊洲の汚染対策問題で報告 2016.09.10
そもそも豊洲新市場の建物の地下が空洞になっていて、いわば高床建築であることが判明して、耐震性に問題があるのではないか、とはすでに先月から指摘があり、ワイドショーなどでも取り上げられておりました。ですので、どうして前日の定例会見で触れずに、今日の緊急会見にしたのかなと、はじめ思ったのですが、すぐに会見の目的と狙いにピンとくるものがありました。

それは、発表の内容が、これまで土壌対策として都は「地表の土を2メートル削り、その上に4.5メートルの土を盛った」と情報公開していたのが、実は

その情報は正しくないことが判明したので、ここで訂正したい
という趣旨だったこと。つまり地下に空洞があるために、耐震性と汚染土壌の影響に問題が生じる、と今後の可能性に言及することはせず、そもそもの盛り土を提言した専門家会議の意見を聞くこと、さらに新たに立ち上げるプロジェクトチームでも検証する、と言うにとどめておりました。

案の定、質疑応答では、耐震性について、また消えた盛り土分の予算の行方、さらにウソの情報を流してきた都の責任、などについて質問がありましたが、その受け答えをみていると、いかにも予測していたボールを打ち返しているバッターの印象を受けます。各紙が引用していた

「間違った情報は都政の信頼回復と逆行する。基本的な話なので、全ての都庁の職員を粛正していきたい」
ということばも、質問にたいする回答の中で発せられたものであって、「粛正」から「粛清」を連想した記者・デスクが記事に取り込んだものですが、私には知事が前もって用意していた「見出しコピー」のように思えました。

ともかくも各メディアには、都のこれまでの工事の経緯、空洞による耐震性、土壌からの汚染物質のしみ出し、等々について独自に取材調査する余地が見えたはず。早速JNNは当時の専門家会議の平田座長を取材して、「改めて精査する必要がある」とのコメントを引き出しています。

こうして、日本のジャンヌ・ダルクは、ひとりで剣を振りかざして矢面に立つのではなくて、メディアをうまく使って、次々と先手を打っていますが、その先には都民参加型の都政を見ているのでしょう。



 (2016/8/26) 
「国策に殉じた」 ― 靖国参拝のふたりの女性閣僚の忠実度 

お盆で田舎に帰っていたときに、8月15日のテレビのニュースが、高市早苗総務相と丸川珠代五輪担当相が靖国神社を参拝したことを報じていました。そのときに、

高市氏は参拝後、記者団に「国策に殉じた方々に尊崇の念を持って感謝の誠をささげた」と説明。その上で「慰霊の在り方は外交問題になるべきではない」と語り、閣僚の参拝に批判的な中国や韓国をけん制した。
時事通信 8月15日(月)15時55分配信
と発言しているシーンに、カチンと来るものがありました。なんだ、なんだ、「国策に殉じた」だって? 戦争を国策と表現するのを初めて耳にしました。さらに、同行した丸川氏までもが、
国策に殉じた方たちをどのようにお祭りするかは、その国のやり方がある。外交問題と捉えるものではない」と記者団に強調した。
(同上)
と、そっくり同じフレーズを使ったように聞こえました。私の聞き間違いかしらと、東京に戻ってから確かめたのが上記の記事です。二人とも、「国策に殉じた」をさりげなくインタビューで使おうと用意していたものでしょうか。

両人が独立に自ら思いついたことなのか、だれかの意向に従ったものか、分かりませんが、これで思い出すのが、都知事選挙で対立候補の応援演説で小池候補をこき下ろしていた丸川珠代氏が五輪担当相に抜擢されたとき、記者団に影響を問われた小池百合子都知事が、「それぞれお立場というものがあるでしょうから」と大人の対応をしてみせた上で、「丸川さんは指示に忠実な方なので」と付け加えた一言。なるほど、「指示に忠実」な女性大臣というのはこういうことか、とあらためてニュースの裏に隠れたシナリオを読む思いがしました。



 (2016/8/24) 
リオ五輪 ― 金メダルの重さと軽さ 

柔道競技を見ていて気づいたことは、選手の出身国の幅の広さでした。名も知らないような小国からの選手もいて、柔道がいかに世界に広まっているかを知らされました。ボールだけでできるサッカーに似て、柔道着だけで始められる柔道は、国の大小、貧富に依存する程度が他のスポーツに比べて小さいせいもあるでしょうか。たぶん日本の柔道家がその指導と普及に努めていることもあるでしょう。

今や「日本のお家芸」なんだから金メダルを穫って当然、という考えは捨てたほうがいいと思います。それよりも、こんなに柔道が世界で楽しまれていることを誇りにしたほうがいい。そもそも、サッカーにしても、うちが本家だから金メダルが当然、なんてイギリスは思わないでしょうに。 もちろん、日本が勝って嬉しくないことはありませんが、こと柔道の女子52キロ級についていえば、コソボのケルメンディが金メダルをとれたことを喜ばずにはいられません。「小さくて貧しい国」のアスリートが柔道という競技で国民をどれだけ勇気づけたかをおもうと、そのメダルの重さは計り知れません。

同様なドラマは、開催国ブラジルのスラムで育ったラファエラ・シルバ(57キロ級)選手の金メダルにも見られました。たんに世界に広まっているだけでなく、柔道というスポーツの価値をも上げるものです。

これと対照的なのが、水泳金メダリストのアメリカのロクテ。警察官を装った強盗に金を奪われたと訴えていたが、事実は酔った勢いでガソリンスタンドでトイレのドアを壊し、立ち小便をしたところを、警備員に銃を向けられた、というもの。 もしもこれが日本のメディアだったら、金メダリストの有名人のこと、酔った勢いでハメを外しただけ、と大目に見ていたかも知れません。現に、リオ・オリンピック広報担当のマリオ・アンドラダは会見で、こう述べたといいます。

「あの子たちを許してやろうじゃないか。人は、後悔するような行動をときおり取ってしまうものだ。ロクテは、史上最高の競泳選手のひとりだ。彼らは楽しんで、羽目を外して失敗したが、人生はそういうもの」
ところが、自国アメリカのスポーツジャーナリズムは違いました。チームメイトの後輩たちに尻拭いを任せて、自分はさっさと帰国、謝罪の一言もなく、染めた髪の毛の色を自慢するビデオをSNSにアップしていたこのナルシシストを、容赦なく断罪したのです。「恥を知れ」 ― 要するに、人間としてアスリートの資格なし、と。

ほんとにそんなに強い口調の記事なのか、と気になって探しました。すると原文にはむしろもっと強い表現もありました。これほど金メダルを軽いものにした選手は他にいたでしょうか。



 (2016/5/10) 
CBXが”数百万円”とは!? 

おとといから昨日にかけてアクセスが急増していたので、さてはバイクの窃盗事件がニュースにでもなったか、とYahoo!ニュースで捜したら、やっぱり盗難事件でした。

最近では二輪窃盗事件は新聞やテレビのニュースにならないのですが、今回は中古バイクとはいえ相場が「300万円」相当というのでニュースになったようです。いまどき中古で100万円以上というモデルは数えるくらいしかありません。案の定、被害バイクはCBX400Fでした。

8日午前2時半前、八尾市の近畿道上り線で、男2人の乗った車が会社員の男性(22)が
運転するバイクに幅寄せしてきました。男性がバイクを路肩に止めたところ、助手席の
男が降りてきて「降りな、しばくぞ」と脅し、バイクを奪って車とともに逃げました。
奪われたのはホンダ製のCBX400Fと呼ばれるバイクで、今は造られておらず、中古市場
では数百万円で取り引きされているということです。
「降りな、しばくぞ」“数百万円”のバイク奪い逃走
テレビ朝日系(ANN) 5月8日(日)11時52分配信
犯行現場が高速道路上であることが、犯行の大胆さと、CBXの市場価値をを物語っています。ただ、日本の高速道路はNシステムあり、料金所に監視カメラあり、ETCの記録あり、ですから、警察が本気で捜査すれば簡単に犯人は捕まるように思います。もしもこれで犯人が挙げられなかったら、それは日本の警察はバイク盗難事件を捜査しない、という誤ったメッセージを窃盗グループに送ることにもなりかねません。


 (2016/4/27) 
新エンブレムと一緒に五輪も新名称に ― 東京モリンピック 

東京五輪の新エンブレム発表セレモニーの動画をご覧になった方は、きっとセレモニーが葬式のように沈んだ空気だったことに驚いたことでしょう。壇上で紹介されたA案の作者も、最終選考に漏れたほかの3名も、すこしも華やいだところがありません。王委員にいたっては、試合に惨敗した監督の表情です。

それにしても、なぜA案に決まったことが発表会の30分も前に漏れて報道されたのか、委員会に調査する気がないことが不思議でしかたがありません。しかもゴシップ系メディアではなくて、NHK、民放、通信社が報じたといいます。

(発表会に「ワクワク感」がなかった)もう一つの原因である漏えいは一体誰が
したのか。調査の有無を問うと組織委職員は「漏れたのすら知らなかったから、
コメントはない」と否定する。過去に新国立競技場のデザイン案が2つで争われ
たときに、一方の案に肩入れする発言をした森氏が漏らしたのか。
【東京五輪エンブレム】なぜ「組市松紋」 なぜ「発表前に漏えい」
東スポWeb 4月27日(水)6時0分配信
期限つきとはいえ「機密情報」が漏れたのに、犯人を特定するつもりがない当事者の態度からは、逆に黒幕が絞り込まれそうです。エンブレムどころじゃない、「東京五輪」も新名称が必要になるかも。


 (2016/4/26) 
やはり「A案ありき」だった ― 東京五輪エンブレム選考過程の「透明性」 

昨日、2020年東京五輪・パラリンピックの新しいエンブレムの発表セレモニーがありました。委員会が選んだのは、最終候補4点のうち「A案」と呼ばれていた市松模様の候補作。なんだ、やっぱり、と思った人も多かったはず。私もその一人です。

今月8日に最終候補の4作品が発表されたとき、Yahoo!ニュースが「A案ありきのプレゼンテーション」だとする論評にリンクをつけておりました。

1対3の構図 - 「A案」VS「BCD案」
HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG 2016.04.09 Saturday
私が4図案を見て感じたことそのままが書かれており、筆致もあざやかで同感することしきりだったのですが、ここまで見透かされてしまってはエンブレム委員会はどんな手が打てるのかしら、と興味津々でした。そして結果は、「けっしてブレない、けっして諦めない」根性スポーツ精神を委員会が発揮した形となりました。

とうぜん、記者会見では、選考プロセスの透明性について質問が集中しました。Yahoo!で見つかるニュースのなかでも THE PAGE が、

ただネット上など一部では、今回の選考について「A案ありきだったのでは」
と指摘する声もある。こうした見方に対して、エンブレム委員会の宮田亮平
委員長は「私どもは公明正大に審査してきた。最初から『A案ありき』という
考え方がまかれたときは腹立たしかった」と語気を強めて否定。
新エンブレム「A案ありき」の見方を否定 宮田委員長「腹立たしかった」
THE PAGE 4月25日(月)22時0分配信
さらに、結果発表の前に一部メディアによる報道があったことを伝えています。この発表セレモニーと記者会見の一部始終は、同じくTHE PAGE が YouTube で配信しています。
新五輪エンブレムに「組市松紋」のA案 宮田委員長と王貞治氏が発表
その実際の質疑応答の部分を見ると、透明性どころか、はじめから結果ありきの、形だけの委員会だったのか、とあきれるシーンが見られます。とりわけ最後の質問として日経記者が「選考のプロセスの中でいちばん苦労されたことは?」と質問したときの委員長の回答、
宮田委員長:(この委員会はスポーツ界、経済界、法曹界、
デザイン業界の委員から成っているので)
いろんな方(委員)からいろんなお話を聞くと
大体紛争します。
ネットに非常に強い人とか、いるわけですね。
かならずぶつかります。ほとんど
「反対。その意見には反対です」
というふうなことが、平気で言うような会議でした。
その中で、たまたま王さんがいるんでね、
これは、もう収拾つかないな、っていうときに
ちょっと王さんに振るんですよ。
そうすると、ホームランになるんですね。たった一言で。
それまでは、もうこんなんなって(手を前で振り回して)、
蜂の巣をつついているようなところを、ですね、
たった一言なんですけどね、
それがスパーって、場外に球が消えてゆくんですね。
そのような感じで委員会がまとまりました。
本人は自慢気ですが、あれれ、これ、自分で墓穴を掘っていませんか。「反対意見」も含め、議論することこそ委員会の目的として当たり前のことであって、初めから結論ありきで委員会を仕切ろうとしたのなら、委員会の存在意義がありません。それに、王委員だって、たんに反対意見を押さえ込むための番犬を演じたわけでもないでしょうに。

私は「A案」が、良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだ、とか議論するつもりは全くありません。あくまで選考のプロセスを問題にしています。委員長は「透明性」と「参画」をキーワードにした委員会だ、と強調していましたが、その「参画」についても、各種メディアでの一般投票では「A案」は下位にありました。

上記のブログで HIRANO KEIKO氏は最後にこう付言しておりました。

すでにネット上ではどの案が良いという意見が出ていますが、注意しなければ
ならないのは、今回のコンペは国民投票で決まるのではありません。結果的に
エンブレム委員会が選ぶ以上、今回コンペも国民の総意ではないということだけ
は見誤らないようにしなければなりません。
では、どうしてこんな見え透いた手口を使ってまで、エンブレム委員会は国民の総意からかけ離れたデザインを選ぶことに固執したのでしょう?

私のたんなる想像ですが、きっと、組織委員会内の特定のだれかが「オレが決める」ということにこだわったのではないか。これも、ひょっとしたら業界関係者の間では、すでに周知のことかも。



 (2016/4/20) 
表現の自由に関する国連特別報告者の記者会見 

国連人権理事会が任命した特別報告者(表現の自由担当)のデビッド・ケイ米カリフォルニア大アーバイン校教授(David Kaye, U.N. special rapporteur on the promotion and protection of the right to freedom of opinion and expression)が19日、訪日調査を終え、外国特派員協会にて記者会見を行いました。その概要を、今朝の「羽鳥慎一 モーニングショー」が報じてくれました。しかし、主要メディアは小さく取り上げていただけでしたので、会見の動画をYouTubeで探すと、すでにアップされておりました。

デビッド・ケイ(「表現の自由」国連特別報告者)
〜外国特派員協会での会見を生中継&アーカイブス〜
JCC 2016/04/19 に公開
大手メディアの取り上げ方はどれも似たもので、たとえば時事通信の
日本の「表現の自由」の状況を調査するため来日した国連人権理事会の
デービッド・ケイ特別報告者は19日、放送局への停波命令の可能性に
触れた高市早苗総務相の発言などによって、日本のメディアの独立性が
脅かされているとの認識を示した。
放送法は「改正を」=対メディア圧力に懸念―国連報告者
時事通信 4月19日(火)19時28分配信
に代表されるように、政府によるメディア統制の懸念を見出しに使っております。

しかし、会見を実際に見れば分かるように、報告はニッポンメディアにたいしてもその責任を問うているのです。メディアが、政権の監視役になるどころか、政府に懐柔される、あるいは政府広報に堕する温床のひとつに「記者クラブ制度」があることはジャーナリズムに関心のある人には周知ですが、そのことをデビッド・ケイ氏も明確に指摘しておりました。ところが、その発言を報じたのは、私の見た限りでは、2紙だけでした。

ひとつは東京新聞。

記者クラブ制度についても「情報へのアクセスを弱体化させている。
廃止すべきだ」と述べた。
「特定秘密保護法は報道に重大な脅威」国連報告者が初調査
東京新聞 2016年4月20日 朝刊
もう一つは The Japan Times。会見を伝える記事の見出しそのものが、
U.N. rapporteur on freedom of expression slams Japan's 
"press club" system, government pressure
The Japan Times Apr 19, 2016
'press club' とカッコ付きなのは、これが日本「独特」の制度ということもありますが、そもそも、自由な報道をすべきメディアの一部が閉鎖的な「クラブ」を作って政権と接点を持つということ自体が、報道の自由を否定するものです。「記者クラブメディア」が今回のデービッド・ケイ氏の報告を大きく取り上げない理由も、見え隠れします。


 (2016/3/13) 
ネットの役割にメディアの監視も ― なでしこ「検証」記事を検証する 

3月8日のコラムで、なでしこバッシング記事の代表例として引用したスポニチ・アネックスの連載記事は

「<なでしこ落日>と題した全5回の緊急連載で、チーム内外にあった問題点を検証する」
とずいぶんな大上段な構えの書き出しで始まっていたのですが、2回目が翌日の9日に掲載された後は、「緊急連載」のはずが第3回目は12日になってやっと出たきり、今日も音沙汰なしです。記事に対する批判が大きかったのか、あるいは、最終戦の内容が予想とは外れたものになったので、後出し記事の原稿を修正しないとならなくなったか、のどちらか(または両方)なのでしょう。

そもそも、連載にしなければならないような長大記事でもなし、「特別取材班」とは執筆者の名を伏せた匿名記事という意味でしかないし、ほんとに自社記者による記事だったのか、という疑惑さえ生じさせます。

ヤフーの検索で見つかる記事のなかで私が見た限りでは、なでしこの問題点を真摯に分析した記事はこの署名入り記事だけでした。

【検証】消えたリオ五輪。なでしこに何が起きていたのか?
早草紀子 2016.03.11 webスポルティーバ
【検証】消えたリオ五輪。なでしこ立て直しに私たちができること
早草紀子 2016.03.12 webスポルティーバ
とくに、どのスポーツ新聞も書かなかった協会の問題点の指摘は、「どんな小さなキャンプでも、どんな僻地の遠征でも帯同してきた」ジャーナリストだからこそ書けるものでしょう。
「(協会は)抜本的な対策を打ちださなければならなかった。手詰まり感のあった
カナダワールドカップで問題点に気づかなかったとは思えない。それでも手を打たな
かったのであれば、慢心以外に表現が見つからない。どこかでなでしこジャパンは
オリンピックに出場して当然という過信がここにも存在していたのではないか」

「出場権が絶望的となった中国戦後に大仁邦彌会長が「このチームは古い」と言い捨
てた。まだ2戦を残している大会中に協会のトップが口にする言葉ではない」

「世界で活躍してくれれば万々歳だが、本気でサポートはしない。けれど、結果が
出なければいち早く切り捨てる。こう取られても仕方がないのが現状の協会の姿勢では
ないだろうか」
早草紀子 上掲 2016.03.12
この協会に対する言及は、注意深い読者なら、同時にスポーツ新聞によるバッシング記事をも念頭に置いていることが分かるはず。こうして、なでしこがリオ五輪出場を逃したというニュースよりも、それを日本メディアがどう報道評価したかが、ネット上で「検証」すべき対象である、と思います。


 (2016/3/10) 
なでしこ ― 総括の最終戦 

昨夜の対北朝鮮戦でなでしこは、雨で水のたまったピッチコンディションにもかかわらず、ドイツWCの決勝戦で見せてくれたような、なでしこらしい見応えのある試合をしてくれました。その試合の印象を特徴づけることがいくつかありました。

まず、冷たい雨の降るなかにもかかわらず、スタジアムに多くのサポーターと観客が集まったこと。11年のワールドカップで大活躍するなでしこの姿は、震災で打ちひしがれた日本にとって大きな励ましでした。そして今、苦しんでいるなでしこを、こんどは自分たちが応援する番だ、と会場に足を運んだ人たちや、この苦境の中、どんな戦いを見せてくれるのかを確かめにきた未来のなでしこたちがいたことでしょう。

試合の開始前、まだ雨の降るなか、コンディションを確かめるためにピッチを、なにやらことばを交わしながら歩き回る宮間と岩渕の姿がありました。そうして本番では、その宮間からのクロスを岩渕がヘッドでゴールに押し込むと、小さな体が宮間に抱きついておりました。岩渕のこの決勝点を、今度はあわやの失点をゴール前で体を張った宮間がヘッドでかわし、GKの山根は決定打を顔面でセーブするというプレーで守り抜きました。

試合終了の笛とともに号泣したのが山根。初戦のオーストラリア戦での失点を思う気持ちが溢れたのでしょう。同様に宮間と並んでサポーターに挨拶していた岩渕も涙を流していましたが、きっと彼女の脳裏にあったのは、4年前のロンドンオリンピックの決勝で、アメリカのGKソロと一対一で対峙した決定的チャンスにシュートを阻まれたことの苦い記憶ではなかったか。あのとき、自分が入れてさえいたら・・・という悔いをずっと抱えていたのではないか。それがようやく払拭されたことの涙のように見えました。

試合後の記者会見は放送されませんでしたが、佐々木監督がメディアの「ゴシップ記事」に苦言を呈していました。

「負けた時にゴシップのような記事の内容を書くのはスポーツ新聞じゃないと思う」
「僕の批判はいいんですけど、選手がこう言っているだ、ああ言っているだという、
なんか負けるとゴシップばかりが書かれて」
“退任会見”でなでしこ佐々木監督が苦言「ゴシップばかりが書かれて」
ゲキサカ 3月9日(水)23時18分配信
私の見る限り、このコメントを報道しているのはこのゲキサカだけで、もちろん「ゴシップ記事」を掲載した新聞は取り上げた様子がありません。私がおとといのコラムを書いたとき、はじめ「ゴシップ」と明言しようと思ったのですが、事実の確かめようがないので、敢えてこのことばを使うのは避けました。ゴシップというより「バッシング」ではないか、とも思いましたが。

「代表引退の意向」の筆頭にあがっていた宮間は、このことを聞かれて、

「代表チームは自分で行く、行かないというようなことを言う場所ではないと思います」
宮間あや「すぐには切り替えられない」…去就については明言せず
SOCCER KING 3月9日(水)23時47分配信
と、あっさりゴシップ記事を一蹴。

そう、試合を印象づけた最後のエピソードは、なでしこが北朝鮮に打ち勝っただけではなくて、自国メディアのバッシングをも結果とことばで斥けたこと、でした。



 (2016/3/8) 
なでしこ五輪予選敗退に大はしゃぎの日本メディア 

まだ明日の北朝鮮との最終戦が残っているというのに、スポーツ各紙が選手の「代表引退の意向」のニュースを造るわ、監督、ベテラン、若手の間の「溝」を物知り顔に明かすわ、日本メディアはなでしこの五輪予選敗退という結果の後追い記事作りにはりきっています。問題点を検証するのは、それはそれで結構。けれど、それは同時に日本メディアの問題点を自らさらけ出していることにもなります。例として、5回連続という以下の記事。

(ロンドン五輪で)初の銀メダル獲得に沸いたが、その直後に状況は暗転。同五輪で
勇退するはずの佐々木監督が一転、残留となった。そこから不協和音が流れ始めた。
なでしこ佐々木監督「俺をバカにしている」 ロンドン五輪後に求心力急降下
スポニチ・アネックス 2016年3月8日 09:35
ほかにも、同様に3回連続予定の記事を掲載しているところがあります。どうやら、こうしうた内幕記事というのは、他社に先を越されまいとする動機がはたらくのでしょうか、小出しにしてでも、明日の試合が終わるまで待てなかったと見えます。

上記の記事にたいして私は「さもありなん」の反応しかできません。ただ、あきれるのは、記者が問題点を把握したそのときに記事にしないで、後出しにしていること。反対に、明日の試合の結果も見た上で分析すべきところを、こんどは先出しにしていること。もっと言えば、監督の続投を決めた(要請した)のは協会と思うが、その責任に言及する覚悟があるのかないのか。

スポーツ報道全体がそうではないでしょうが、ジャーナリズムという自覚が欠けているように感じることがしばしばです。テレビでも、スポーツの国際試合で競技終了後に、インタビューアーの判で押したような質問にイライラします。
「先ず、今のお気持ちを聞かせてください」
  勝っていたら「うれしい」、負けていたら「口惜しい」に決まっているだろ。
「◯◯に向けての意気込みをお願いします」
  おいおい、意気込めってか!



 (2016/3/5) 
続 なでしこの不安材料は選手よりも監督 

このところ、テレビにしろ新聞にしろ「日替わり」ニュースにはコメントをする気が起きないで、月、年のスケールで世界の動きを観察するクセがついておりました。しかし、なでしこのリオ五輪出場が(ほぼ)消えたことについて、コメントしないわけにはいきません。それは、選手の責任ではなくて、監督、メディアの問題と思うからです。

それを象徴するのが、Yahoo!ジャパンのニュースのなかにあったこの記事、

(佐々木監督は)07年の就任から10年目を迎え、進まない世代交代や戦術の
マンネリ化はこれまでも問題視されていた。それでも11年W杯ドイツ大会で
優勝した後はロンドン五輪で準優勝、昨年のカナダW杯で準優勝。結果の裏に
隠れていた課題が一気に出た。
なでしこ佐々木監督退任へ 中国に敗れリオ五輪出場絶望的に
スポニチアネックス 3月5日(土)4時59分配信
「監督交替」は遅きに失したと私は思っていますが、はて「進まない世代交代や戦術のマンネリ化はこれまでも問題視されていた」って、いつ、どこで、誰が報道してたかしら? お前さん、それを記事にしたことあるの?ってつい執筆者に言いたくなります。まさかメディアの同業者仲間の酒の席での雑談のことを言っているのではないでしょう。

私はにわかサッカーファンでしかありませんが、あえて「なでしこの不安材料は選手よりも監督」にあると記事にしてきました。早めに交替してくれないかなあ、と願っていたのですが、選手には気の毒なことに、リオ五輪出場を逃さないと監督交替を決断できない日本のスポーツ界の体質が浮き彫りになりました。澤が現役を引退したのも、ひょっとしたら「自分が監督になるしかない」と女子サッカー界での役割を自覚したんじゃなかろうか、などと勝手な想像もしたものでした。どうやら次期監督の有力候補はU―20日本代表の高倉麻子監督とのことですが。

それと同時に、マスコミの記者、とくにスポーツ担当者の見識と意気地のなさにはあきれ返ります。「結果の裏に隠れていた課題」を指摘するのが担当記者の仕事だったでしょうに。記者たる者は、ちゃんと自分で分析、研究する能力がないとね。それとも、コピペの習慣と結果の後追い思考から抜け出せないか。もっとも、せっかく良い記事を書いても、その上のデスクのボスがボツにすることもあるでしょうけど。





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