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年賀状 午
ブリキのおもちゃは、あのなんとも言えない無表情なほほえみが魅力です。
にっこり笑ったまま、永久に動かない表情。
どんな激しい動きをしても、「にっこり」のまま。錆びて汚れていようとも、「にっこり」のまま。
あたかも(残忍な拷問や処刑のシーンでもわりと無表情な)西洋中世の木版挿し絵のように、きまじめで、不自然で、わざとらしくて、魅力的です。
「わざとらしさ」というのは「気恥ずかしさ」の隠れ蓑にはもってこいです。
迷惑ばかりおかけてしている人々に臆面もなく年賀状を出すのに伴うもろもろの気恥ずかしさを隠蔽するため、ブリキのおもちゃの力を借りることにしました。
年賀状 未
羊と山羊はまったく眼鏡がよく似合いますね。
山羊に眼鏡をかけさして、背広を着せてやって、立派なデスクの向こうにでも坐らせてごらんなさい、そんじょそこらのエライさんよりもよほど賢そうに見えることでしょう。

この前年から製本と本の修復を学ぶ講座に通いはじめたのに伴い、「架空の本屋さんからの年賀状」というテーマで描いてぷました。以降、続いています。
年賀状 申
申、ということでメガネザルです。子どものころから眼鏡をかけている人は、「メガネザル」と揶揄された経験が一度はおありではないでしょうか。
実のところメガネザルはとっても可愛らしい容貌をしています。
メガネザルと言われた時は「こいつ知らんで言ってるな、バカメ」と内心嘲ったものです。ううむ、やな子供。

この年は昔の広告のイメージで作ってみました。
昔の広告のわざとらしさや大袈裟なコピーも、ブリキのおもちゃの魅力に通じるものがあります。
ベトナムぽく
気楽に描いた一枚です。
これが意外に好評で、かつて個展をさせていただいた折気合いをいれて描いたものよりこの絵を気に入ってくださる人が多く、少ーし複雑な気持ちがしたものです。
鼻唄でも唄うようなまったく軽い気分で製作したので、いつもいつも私を苦しめる「褒められたい」という観念にも見舞われることなく、嫌味のない作品になったのかなと思います。
いつもそういう気分でとりくめたらいいのですが。
鯖と一緒に旅に出る
アートイベントに参加した際、使ったものです。
鯖 に特に意味はないのですが、鯖は、とてもいいですね。
きれいで、顔だちがきりっとしていて、食べてもおいしい。
机の上
手前にある黄色い鉛筆立ては、そう、欠けたティーポットです。
ティーポットをよく壊してしまうのです。
一人暮らしを始めて今年で10年目になりますが、この間に(思い出せるだけで)5つ壊しています。
今使っているものも蓋だけ壊してしまったので、別ものの蓋がかぶさっています。

「もとティーポット鉛筆立て」、今や机上に2個あります。
えいがのまど?
えいがのまど?
目下の所、自己最小豆本
2004年11月に、私が通っている本の修復講座(現在はNPO)が大阪のギャラリーで展覧会を催しました。
その時に販売用に出品した豆本です。3冊ともめでたく売れました。
背や小口の革は、いっちょまえに本物です。マーブル紙も大きい方の2冊は印刷ではなく本物です。
18世紀スタイルの製本様式で、花布(ハードカバー本は背の上下に無地か縞模様の布がついてますね、
書棚から取り出す時に指がひっかかる所に。あれです)は手編みしました。
豆本はプレス機が無くてもなんとかできてしまうし、手軽に作れて満足度は高いのです。
使う材料が少ないぶん、失敗したときの落ち込みも小さくて済みますし。
茶色い背革のものが今の所自己最小豆本ですが、これより小さくすると、本らしさというか手にとった時の楽しさが無くなりそうなので、これ以上の小ささは追求しないつもりです。

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