CREEP
14


「伊澄さぁ〜ん…」
 部活が終わり、部室で服を着替えて体育館からボンヤリと窓を眺めていた椎名の横に、後輩の飛鳥(とびと)が力無く並んだ。飛鳥も椎名と同じく着替え終わったようだが、制服のジャケットは腕に抱えている。それは椎名もまた同じだった。
 なにを隠そう、ここ華宮男子校にはシャワー室の類がない。それというのも、“イジメや犯罪行為の場になり得る密室は、なるべく作らない”という先代理事長からの方針らしい。
 椎名など、身体も大きく喧嘩も強い生徒にとっては、他人事という感じがしないでもないが、そうでない生徒たちにとっては、特にシャワー室などは性的なイジメや犯罪の危険性を高めるのかも知れない。そう考えると、先代理事長の方針はとても素晴らしいと椎名も思うのだが…。しかし、いくら汗は念入りにタオルで拭いたとはいえ、ジャケットまで着込む気分にはなれないのも事実なのであった。

 やっぱり考えることはみんな同じなんだな…、と苦笑しながら、少し元気がない様子の後輩に問いかける。
「ん?なんだ飛鳥、珍しいな。お前、ここんとこいっつも部活終わると着替えもしないで慌てて帰ってたくせに」
 寮生は、着替えずに帰って部屋のシャワーを使う者も多い為、飛鳥が制服に着替えないまま帰っていた事は、特に不審でもなんでもなかったのだが、その慌て様が尋常ではなかったのだ。まるで、目に見えない誰かと競争でもしているかのようだった。(実際、似たようなものなのだが)

 あ、俺も今度から出流(いづる)ちゃんと慶介の部屋でシャワー借りて帰ろうかな…。などと椎名が考えていると、隣で飛鳥が、窓の外を虚ろな瞳で眺めながらボソボソと話し出した。

「悦司…あ、この間屋上で紹介した俺のハニーが、なんか冷たいんスよ…。目ぇ合っても、すぐそらされるし、近付いたら逃げられるし…」

 どうしよう…、と肩を落とす飛鳥を前に、椎名は正直驚いていた。
(こいつが人間関係で悩んでるのなんて、初めて見た…)
 それ程、悦司という少年は、飛鳥にとって大切なのだろうか。

「なにか、嫌がるような事、しなかったか?」
「してないっスよ〜」
 おかしくなったのは、名前を呼んでほしいと強請ってからだが。なにかマズかっただろうか?
 名前を呼んでほしいと言っただけで、あんなに怒られるとは思わなかった。…もしかして、それが気にさわったのだろうか…。でも、なんで?

 はあ、と溜息をついて外を見ると、ちょうど中庭をはさんだ目の前が保健室である事に気が付いた。少し離れている為、はっきりとは見えないが、その奥に、机に向かう保健医・有栖汐瑠(しおる)の横顔を確認し、ある噂が頭をよぎった。

「伊澄さん…さ」
「ん?」
「最近、保健室に入りびたってるってホント?」

 あ

 なんか、空気止まった。

「い…、入りびたってはいない。……ちょっと、日に一回くらい顔出す程度だ」

(それって……;)

「大丈夫なんスか?理事長。……なんか、手ぇ出したら殺すとか言ってなかったっけ?」
 『殺す』までは言ってなかったような気もするけど……。…あれ?言ってたのか?;
 椎名は、ちょっと不安になった。
「今のところ、なんも。知らない訳は、ないはずなんだけど……」
 監視カメラの稼動は確認した。カメラの下で息を潜めると、微かだか確かな電子音が聞こえたのだ。あれは見せかけの物ではない。

(俺って、泳がされてんのかな……)
 まったく相手にされていないのかも知れない。后(きさき)にも、そして有栖にも。
 椎名もまた、はあ、と大きく溜息をついた。

 長身の男二人が、体育館の小さな窓に向かって黄昏ている姿は、異様な光景だった。
 バスケ部の仲間たちは、二人に好奇の視線を向けながらも、そのなんとも声をかけづらい雰囲気に、誰も何も言わずに通りすぎて行く。

「あ、でも……」
 飛鳥が、遠慮がちに声を発した。
「阿川先輩とは……」
 椎名は中学2年の途中から阿川理沙子(あがわ りさこ)という同級生と付き合っていた。高校が離れてからも、ずっと続いていると聞いていたのだが…。

「…ああ……、先週、別れた」
「え………」

 本気…なんだ……。

「なんか、大変な事になっちゃったんスね…」
「ホントになぁ……」

 二人は同時に溜息をついた。

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