CREEP
16


「………っ!」
「…好きなんだ」

 言葉と共に強い力で抱きしめられ、足がすくんだ。 中村は、飛鳥(とびと)ほどではないものの、悦司よりはずっと背が高い。その上、テニスで鍛えられた腕は太く、この体格差は少々恐怖だった。

「中村っ、ちょっ…離せっ」
「どうして?…飛鳥には許すのに……」
 中村が低く、しかしはっきりと言った言葉に、悦司は心臓が跳ねるのを感じた。顔が熱くなる。
 最近は、なぜだか飛鳥が近くに居るととてつもなく落ち着かなくなる為、抱き付かれる前に避けるように離れていたが、少し前までは、どんなに殴っても蹴ってもヘコタレない――どころか、最早それすらも楽しんでいる――飛鳥に疲れ果て、3回に1回は抱き付かれるままに好きにさせていた。多分、中村はその事を言っているのだろう。

「俺の名前は何も抵抗なく言えたのに、飛鳥のことは名前で呼べなかった…」
「な…なに言って……」

「…まさかと思うけど……、飛鳥のこと、好きな訳じゃないよな…?」
「なっ…、違うっ!」
 カッと顔を赤くして否定する。
「名前ぐらいっ、いくらでも言える!…飛鳥!飛鳥飛鳥飛鳥っ」
 ムキになって「飛鳥」と連発する悦司を見て、中村は苦しそうに顔をゆがめた。

「なんっ…、離せ!」
「いやだ……。ほんと、いやだ…、もう、何でだよ……」
 独り言のような言葉をもらして、中村は更に抱きしめる腕に力を込めた。

 その時、鍵の掛かった美術室の扉を開けようとする音が、ガチャガチャと室内に響いた。

「あれ?鍵かかってる…」
 廊下から微かに聞こえてきた声に、悦司の体がビクリと反応した。
「と…飛鳥!んぅ」
 助けを求めるように飛鳥の名を呼んだ悦司の口を、中村は自分の胸元に押し付けることで塞いだ。本当は、こんな乱暴な扱いなんてしたくはないのに…。どうしていいのか分からず、悲しくなってくる。

「なんで…、あいつに助けなんか求めるんだよっ。あいつだって、いつも似たような事してるだろっ……」
 悦司は、中村の手で押さえ付けられたまま、ぶんぶんと頭を振った。

 飛鳥はこんな事はしない。
 飛鳥にこんな恐怖を感じたことは、今まで一度だってなかった…。
 それは、飛鳥なら悦司が本気で嫌がれば、それ以上の無理強いはしないという安心感もあっての事だが……。その安心感がどこから来るものなのかは、悦司にもよく分からなかった。

「悦司!?どうしたっ!」
 一方の飛鳥は、中から聞こえてきた悦司の切羽詰ったような声にあせっていた。
 ドアの小窓から覗いてみるが、死角になっているのか、悦司の姿を確認することは出来ない。
 飛鳥はチッと舌打ちをすると、ドアを蹴破ろうと一歩後ろに下がった。

「中津川君、今 鍵を開けるから、落ち着きなさい」

「……え…?理事長……?」
 突如、横からスッと現れた后(きさき)が美術室の鍵を開けている後姿を、飛鳥は呆然と見つめた。

(なんで理事長がここに…?)

 后に促され室内に入ると、普通に鍵が開けられた事に驚いた顔でこちらを見ている悦司と、その悦司を腕の中に閉じ込めている中村の姿が目に入った。

「コラー!!何してんだっ返せ!」

 「返せ」ってなんだよ…。

 飛鳥は悦司を中村から引き剥がし、中村に向かって勢いよく人差し指を突きつけた。
「お前ふざけんなよ!何考えてんだっ、こんなちっちゃいコ相手に力ずくでっ…!!」

 ・

 ・

 ・

 …何だと。

 ガスッ!

「ふんぬグっっ」
 悦司は無言で飛鳥のレバーに正拳突きをくらわすと、走って教室を出て行ってしまった。
 脇腹を押さえてうずくまる飛鳥を見下ろしながら、中村が呆れ顔でポツリと呟いた。

「…お前、サイテーな」

 お前が言うな。



「ところで、理事長はここになんか用でもあったんスか?」
 美術室の鍵を持って現れたものの、特に何をするでもなく3人のやり取りを見守っていた后に、飛鳥がうずくまった姿勢のまま尋ねると、后は意味あり気な笑顔で室内の天井付近を指差した。

「え…あれ…って、監視カメラ!?」
「美術部の顧問が誰か、知っているかな?」
「あ…、そういえば、御堂先生と有栖先生…って」
 保健室に監視カメラを設置した事を、入学式の場で明らかにした后だったが…、まさか。

「そういう事だ」

 あたりまえのように言い切った后に、飛鳥と中村二人の頭を「やりたい放題」という言葉がよぎった。
 なるほど…、有栖の為に設置した監視カメラの映像に、不穏な動きを感じたために、一応様子を見に来た、という事らしい。

(この人、ちゃんと仕事してんのカナ…)
 などという失礼な事を、つい飛鳥が考えてしまうのも、まあ、仕方がないのであった。

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