Happy birthday
to be…
「お誕生日おめでとう、イスミ」
「イスミ。
あなたの名前はお父さんがつけてくれたの」
「おとうさんが…?」
「だからとても大切な名前」
その名前が
あるかぎり
いつかきっと
お父さんは
あなたを迎えに
来てくれる…
「ママ、おでかけ?」
「そうよ。キレイにしてお出掛けするの。嬉しいでしょ?イスミ」
「うんっ!ママとおでかけ、うれしい!」
新品の綺麗な服を着せられ、無邪気に喜ぶ伊澄(いすみ)に、母は優しい笑みを向けた。
「寺島(てらしま)です。旦那様の代理で伊澄さんをお迎えに上がりました」
いつになったら出掛けるのかとワクワクしていた伊澄の前に、突如現れたその男は、母子が暮らすボロアパートには似つかわしくない高級そうなスーツを身に纏い、洗練された動作で頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「どうしたのママ?どうして泣いてるの?」
深々と頭を下げ、涙を流す母の姿に、幼い伊澄も急激な不安感に襲われる。
「なんでもないの。さ、イスミ、行きましょう」
促され外に出ると、一台の黒塗りの高級車が停まっていた。運転席には50代くらいの運転手らしき男が座っている。
寺島と名乗った男に後部座席のドアを開けられ、恐る恐る乗り込む。母親の分のスペースを空け奥へ移動したが、母が動く気配はない。
「ママ…?」
「イスミ、もう私の事を考えてはダメ。あなたは今日からお父さんと、その奥さんの子供になるの」
「……っ!
………そんなのイヤだよ…」
伊澄の大きな瞳から涙がこぼれた。
そんな我が子の姿に、母もまた堪えきれず涙を流しながら、伊澄の頭を優しく撫ぜた。
「大丈夫。イスミは椎名の大事な一人息子になるんだもの、みんな大切にしてくれる」
「ママ…いやだよ。
ママぁ……」
伊澄は、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら頭を振った。
「イスミ……」
母は、溢れる涙を止められぬまま、それでも綺麗に笑った。
「幸せにね…」
「マ…マ……、ヒッ…ク」
走り出した車の中で、伊澄は静かに涙を流していた。
「お前は椎名の家名を継ぐ人間になる。お前の恥は家の恥と考え、 何事にも気を抜くな。
わかったな」
「はい……」
3歳にして初めて顔を合わせた父親、椎名直澄は、伊澄の想像していた父親像とは似ても似つかない人物だった。
愛人の子とはいえ、実の息子すら見下すようなその態度に足が竦んだ。
椎名の家は、平屋の広大な日本家屋だ。この家に来てまだ2日目の伊澄は、自分に与えられた部屋に帰ることができずに、家の中で迷子になっていた。
ふと、数メートル先の部屋から義母が出てきたのに気付き、ホッと息をつく。
(あの人におしえてもらおう。…でも、なんてよんだらいいんだろう?)
「あの…、おかあ…さん?」
「やめて!!」
服の裾に触れた手をパシンと払われ、憎しみのこもった目で睨まれる。
「私はあなたの母ではありません!」
想像もしなかった反応に足が震える。まだ3歳の伊澄には、たった2日前に出会った義母に、こんなにも憎まれる理由が理解できなかった。
「どうしてこんな所にいるの!あまり家の中をウロチョロしないで!」
怒られた理由も分からず、震えながら俯いていた伊澄の頭に、誰かが触れた。
弾かれたように顔を上げると、この家の使用人であり、最初に、母と暮らしていたボロアパートに伊澄を迎えに来た寺島が、複雑そうな表情で立っていた。義母の姿は、もうそこには無かった。
「奥様のお名前は、清子(せいこ)さんというんです」
伊澄の頭を撫ぜながら、静かに告げる。
「次からは、清子さん…とお呼びしましょうか」
「はい……」
堪えきれない涙が、伊澄の小さな頬を伝った。