まどろみの向こう側IIB


「世界って広いし、人が生きている限り

そこには当然いろんな文化や歴史が

積み重ねられ、育まれているんじゃないかしら。

もちろん、信仰も」

『ジョーイ』は口を挟むこともできず、エマの言葉に耳を傾ける。

「だから、ね。無数にある文明の中で何が正しく何が過ちかなんて、

たった一人の人間に判断できる問題じゃないと思うのよ。

文明も違えば信仰も違うように、

あなたの思う神さまでも私の思う神さまでもない存在があるんじゃないかって。

……たとえば、そう、この銀杏の木のように、ね」

 翳した右手で幹を優しく上下になぞりながら、歌うようにエマが告げる。

そんな彼女を眺めながら『ジョーイ』は独りごちる。

「せいじゅ……」

「え?」

「この樹は『聖樹』なんだ。

この世が始まった時からずっと、世界を見守り続けている」

 それは、半ば忘れかけていた事柄だった。

あまりにも一つのことに執着しすぎた結果だろうか。


(……わからない)


 『ジョーイ』は頭を振ってエマを見やる。

木漏れ日を眺めたそのままで、エマが、そう、とだけ答えた。

 ふいに、風が吹いた。

2人は口をつぐみ、風に煽られ舞い落ちる木の葉をしばし眺めた。

「じゃあ、私、そろそろ行くわ」

 先に口火を切ったのは、エマだった。

「どこへ?」

 驚いて問いかけると、エマがまたしても肩を竦める。

「とりあえずは宿ね。その後は……」

「その後は?」

「分からないけれど、休みはまだ残ってるから、

もう少し色々と見て回ってみようと思ってるの」

 エマが大きく伸びをして振り返った。

「ここは本当にいい街ね。私、ものすごく気に入ったから、

きっとまた来ると思うわ。ここへ」

 見つめられた瞳の輝きとその強さに圧倒され、

『ジョーイ』は言葉を紡ぐことができず視線を泳がす。

くすりと肩を揺らしたエマが、今一度、銀杏の巨木を見上げる。

だから、とエマが口の端をあげた。

「また会うわ、私たち」

 これは『約束』じゃなくて『確信』よ、とエマが告げる。

「さよなら、『アルマ』」

 ペダルを漕ぎ出す瞬間振り返り、エマが手を振った。

「さようなら」

『ジョーイ』もまた手を振りかえす。

赤い自転車に跨り去り行くその背中を眩しげに見やった。

そこには羽が生えていたわけでもなく、

ましてや後光が射しているわけでもなったが、

颯爽としたその姿に、

『ジョーイ』は自分にはありえないと信じていた未来を、

確かに見た気がした。


 ……ああ、そうだ。

崩れ去るのは一瞬なのだ。何事も。

時代も信仰も、国も記憶も、己の信念さえも、すべて……。











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