この日はビバークがSSのスタート地点となっていました。全ての競技車両のスタートを見届けて、自分もスタートしました。

この日の先生は、コーション3や危ない場面を除いて殆ど指示を出さず、ひたすら自分でピストを追い、ギャップや路面状況の判断をし、走り続けました。

SSの残り約15kmを残し、周囲が暗くなってきたために舗装路へとエスケープしましたが、その時になり先生の口から、今日1日の走行コメントが出されました。

ギャップが少しずつ見えるようになってきたし、後半は大分車両が跳ね上がらなくなったが、まだ細かいギャップが34つ続くと、どうしていいか分からなくなって、車両が跳ね上がると。

また、何気なく走行している自分を指摘されました。減速の後、その先の路面状況を考えずに一連の動作として自分のタイミングでシフトアップをしている事、減速が必要なギャップを減速なしに越えていこうとする自分等々…。

先生曰く、こういった何気ない運転は、自分の長年の癖であると。この言葉を聞いて、再びハッと我に返り、何かの魔法から解けたような気分になりました。

確かに日本の道路は安全ですので、何も考えずに運転する事ができます。時に危ない車両や危険物もありますので、それなりの注意は必要ですが、走行する路面に対し、自分で路面の凹凸や角度、コーナーの曲がり具合などを意識して運転した事はありませんでした。意識といっても、視覚から脳に伝達はされていましたが、それらを何気なく処理し、運転する事で何の問題もありませんでした。しかしラリーではこういった何気ない運転が大事故を招きますので、11つの路面状況を視覚から脳に伝達された後に、きちんと自分の頭で判断・確認をしその意味を“考える”という事が要求されました。

 この様に、先生の口から発せられる言葉は、非常に端的で的を射ており理解しやすく、またその指摘部分については自分でも重々自覚をしていたのですが、なかなか自分の思うような走行ができず、残り3日間でこの課題をクリアーしなければならない事に対し、焦りを感じていました。

また、朝からこの日のペットボトルの水の異変には気付いてはいたものの、最近旅行慣れしている気の緩みからか、気にせずに飲み続けていました。この行為が、2日後の悲劇を招くとは、この時点では予想もしていませんでした。


 4日目の実際の私の総走行距離は414kmSS 360km、 走行時間は約9時間半でした。

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106STAGE 4  Farafra-Baharija
             競技総走行距離409.61km SS 374.68km

 

自分の運転に対し、完全に意識改革がされた日