Surgeon & Driver  Keiko Hamaguchi Website

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2007年度 全日本ダート耐久シリーズ第3戦・8時間耐久参戦記

 819日 〜8時間耐久 後半〜 

8耐パジェロ ピット 「スタートだよ! 3位だよ!! 3位なんだから!!!」 というメカニックの言葉に後押しされながら涼しい乗用車から出たものの、パジェロへ向かう私の足取りは、決して意気揚々・闘志満々といった状態ではありませんでした。
 うーーーん。もっと休んでいたいよぉ
 当時の勢いは、私よりもメカニックの方が断然強かったと思います ()
 とにもかくにも、行かなきゃイケないの〜!? もっと休んでいたいよぉの気持ち半分の下、再びメットを被ってコックピットに乗り込みました。
 乗り込んでスタートの準備をしていますと、再び別のスタッフが寄ってきて、私に後半戦のアドバイスをして下さいました。
 当時の私は、4時間の走行を経て、半分放心状態になっている部分もありました。
 よって、現在3位である事など私には全く関係はなく、スタッフの方の後半戦攻略法も聞いてはいましたが、半分脳みそまで届くことなく、右耳から左耳へと、足早に通過していきました。 (あ、実際にはきちんと聞いていましたよ。)
 とにかく、当時の状況としましては、ドライバー本人よりも、周囲のスタッフの方が気合が入っていました。
 それはそうですよね、だって3位なのですから・笑。
 私は皆さんのそういった気合の入ったアドバイスを、半分笑って聞いている以外、仕方ありませんでした。
 もう勘弁してよ〜! もう充分走ったから、もういいよ〜〜〜!と。
 そうは言いましても、勿論そこで休んでしまいますと一生後悔しますし、8時間の完走を目標に参戦をしましたので、そこで留まっている訳がありません。
 私は再度気持ちを切り替えて、後半戦のスタートに備えまして、コースインをしました。

 30分のインターバルでは、すっかり体がダレてしまった自分ですが、再度レースが始まりますと、再び集中力が復活し、それまでの疲労など、すっかり消えてしまいました。
 やはり、度休んでしまうという状況が、イケないようでした。
 後半戦は、前半戦以上に自分を戒めるように、慎重に周回数を重ねました。
 ここで無理したら、(3位から) 落ちると。
 後半も、給油の為のピットインの時期を伺っていました。
 後半スタート前に、メカニックには 「一応、2時間くらいで休憩も兼ねて、ピットインするかも知れません。」 と伝えておきました。
 しかし、いざ走り始めてみますと、ピットインする時間は勿体無いですので、中間の2時間というよりは、燃料がぎりぎりなくなるまで走り続けようと思いました。もしかしたら、後半4時間、無給油で走れる可能性も感じていましたので。
 ところが、燃料の減り具合を見てみますと、やはり4時間の無給油は難しそうでした。
 よって、私は前半同様に、黄旗が出た際のピットインを狙っていました。
 何度目かの黄旗の際に、車両が真っ逆さまに引っくり返ったレスキューの時間がありました。
 私は、暫く黄旗が続くと判断、その時を狙って、即座にピットへ入りました。

 メカニックには、「問題ないです。燃料だけ下さい。」 と伝えました。
 メカニックからは、「もうペース上げなくても大丈夫だよ。今3位だから。このままいけばいいよ。」 と。
 ちなみにと思い、4位との周回数差を聞いたところ、56周との答えでした。
 給油とタイヤの増し締めをして頂いた後、最後のコースインをしました。
 「頑張れよ! 」 という、気合の入ったメカニックの声のもと。

8耐後半-1 これまで何度となくブログ上でも書かせて頂きましたが、私は耐久レースは面白いですが、好きではありませんでした。
 理由は、混走という競技が好きではなく、決して前走する車と競ったり、また抜かしたいと思う闘志がないからです。後ろから煽られるのも、好きではありませんでした。
 私は、オフロードを自分のペースで、淡々と走るのが好きです。
 よって、これまでは、パジェロには全く乗りこなせていない感じがありましたし、正直、私は耐久レースに対しまして、苦手意識を持っていました。
 しかし、今回の8耐は、久し振りのレースにも関わらず、自分からの他車の見え方が全く異なっていました。
 自分よりも速い車は45台で、あとは前走する車にぶつからないようにと、ペースを抑えながら走っている自分がいました。また、後ろに付かれる事も、イヤでなくなりました
 どちらかと申しますと、アクセルを踏むよりは、ブレーキを踏みながら走っている事の方が多くなりました。
 ただ、自分よりも速い45台の集団には絡まれたくなかったですので、デッドヒートには加わらずに、意の番にコースを譲り、先に行ってもらうようにしました。
 時に、自分よりも速い車だと思い、少しアクセルを緩めてラインを譲るのですが、その後その車についていこうと思いますと、あれれ〜〜〜? あまり速くなかった。そのまま譲らないで前を走っていれば良かったと思う事も幾度となくありました。
 私は、とにかくラインを乱さずに淡々と走る事を目標としていましたので、スピードは常に80%に抑えて走りました。
 少しアクセルを踏みますと、前走車を抜かせると思いましたが、無理して接触したりコースアウトする事を考えますと、私の選択肢は追い抜きではなく、前走車に対して、我慢して付いていくの方に導かれました。
 唯一、確実に何のトラブルもなく抜かせると思った際には、アクセルを目一杯踏んで、グイグイと前走車を抜いていきました。
 車の集団のトップに出ますと、その後暫くは自分のペースにて、思い通りにアクセルを踏む事が出来ました。
 よって、今回の8耐は苦手意識どころか、走っているのが非常に楽しかったです。他車が走っていても、全く気になりませんでした。
 しかし、私の攻略法は上記の様に、守り重視の安全走行でしたので、5周中3周は、漫然と前走する車に付いて行く状況でした。

 こういった我慢の走りを重ねていくうちに、8耐ゴールまでのカウントダウンが始まりました。
 ゴールまで1時間をきりますと、気持ちに緩みが出やすくなります。
 よって、私は7時間を経過した時点でも、残り1時間ではなく、あと後半4時間のレースが残されていると自分に言い聞かせて、車を労りながら着実に走行を行いました。
 とは申しましても、残り1時間は、完全に守りの走りに入っていました。
 残り10分となりますと、いよいよカウントダウンです。
 私は無理にアクセルを踏む事なく、漫然と前走する車に付いていきました。

8耐後半-2 ところが、終了時刻の17時になりましても、一向にチェッカーフラッグが振られません。振られないどころか、その姿さえ、見えませんでした。
 私の中では、既に車両のクールダウンモードに入っていたのですが、次に回ってきた時には、チェッカーフラッグが振られているだろうという私の期待も空しく、その後何周回っても、チェッカーフラッグが振られる事はありませんでした。
 私のクールダウンモードの走行も痺れを切らしましたので、私は再び加速をして前走車を追い抜かし、再度バンバンとした走行を開始しました。
 すると、何周かの後に、ようやくスタッフの方がチェッカーフラッグを片手に、コース脇に立っているのが見えました。
 早く振ってぇ〜〜〜!
 そう思いながら、そのスタッフの前を何度となく通過していきましたが、彼の左手に持たれたチェッカーフラッグは、やはり一向に振られる気配がありません。
 その後、56周をした頃でしょうか、ようやくチェッカーフラッグが振られました。
 私が8時間、待ち続けたフラッグです。
 ようやく、私の初めての8耐参戦が終わりました。

 終わった瞬間は、ガッツポーズや歓喜というものはなく、無事に終わった事に対します安堵感と共に、参戦のサポートをして下さいましたメカニック及び8時間のレースに耐えてくれたパジェロに対しまして、感謝がありました。
 無事に8時間、ノートラブル・ノーミスで、殆どラインを乱す事なく走れた事に対しまして、本当に本当に、安心しました。
 ピットへ戻りますと、メカニックが歓喜のお迎えをしてくれるのかと思いきや、スタッフは誰1人いません。
 暫く車を停めて車内で水を飲んでいますと、お知り合いのカメラマンさんが近付いてきて下さいました。
 「スゴイじゃん。2位だよ! 」
 私は、そこで初めて自分が2位である事を知りました。
 耐久レースでは、時間経過と共に暫定順位がアナウンスされますが、走行中のドライバーには、それらの声は全く届きません。
 よって、走っている本人は、自分が一体何位なのか分からずに走っている状態です。
 これは、レース中ずっとそうです。
 その為、私はチェッカーフラッグを受けた際にも自分の順位を知りませんでしたので、歓喜やガッツポーズ等はありませんでした。
 では、いざ2位と言われた時の感想ですが、嬉しいといった感情はなく、淡々と8時間、自分をコントロールしながら走った結果であり、その結果に対しましても、何の感情もなく、淡々と受け入れていました。
 半分放心状態であった、という表現も、適切かもしれません。

 私は、筋力や体格等では男性には及びませんが、車は乗ってしまえば男性も女性も関係なく、同じ土俵の上に立てる事、また、今回の8耐の様に、単に速いだけでは耐久レースは勝てない事、そうすれば、他チームがプロドライバーであっても、また何人でエントリーをしても、対等に戦えるという事を証明できて、良かったと思います。
 何よりも、耐久レースに於ける自分のモットー(車を壊さずに走れば、自ずと結果はついてくる事)が証明されて、良かったと思いました。

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