■ANNE DORTE MICHELSEN(アンヌ・ドゥールト・ミキルセン)
1980年代~90年前半に活動したのデンマークのシンガーソング・ライターです。楽曲は全てデンマーク語です。
デンマーク語って、もちろん私は理解できません。でも、英語とも違った、とても柔らかな優しい感じの言葉で、彼女の透き通った声がそれとあいまって、心にすーっと入ってきてすーっと出て行くようなそんな感じがします。
決して強い光や色や香りを発しない。
彼女の清楚な歌声は、特に並外れて個性的ということでもなく、サウンドの音色もあくまで淡く、それが聴く者に癒しを与えてくれるのだと思います。
上の詞は私がアンヌ・ドゥールト・ミキルセンの中で一番好きな歌の日本語訳の詞です。
『アンヌ・ドゥールト・ミキルセン』というアルバムの一曲目に収録されている曲です。
このアルバムは、私が始めてアンヌ・ドゥールト・ミキルセンのアルバムを手にして、一番最初に彼女を声を聴いた曲です。
DISCOGRAPHY
1983年 | ビトウィン・ユー・アンド・アイ 原題:”Mellem Dig Og Mig” |
1.過ぎた日々 2.安らぎの時刻 3.あるがままの私を 4.夏の余韻 5.涙の枯れた瞳 6.つのる思い 7.今夜あなたと・・・ 8.思いがけずに 9.去年の夏の古いドレス 10.沈黙という声 |
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1986年 | アンヌ・ドゥールト・ミキルセン 原題:”N EST DANS” |
1.追憶の日々 2.やさしい気持ち 3.翼にのって 4.スレンダー・ソング 5.過ぎ行く夏に 6.フォトリエ~信頼 7.風に吹かれて 8.スノウベリー&チェストナッツ |
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1987年 | エブリシング・リターン 原題:”Alting Vender Tilbage” |
1.素直な顔 2.遥か彼方へ 3.ダイアローグ 4.流れのままに 5.空虚な気持ち 6.夏の微かな思い出 7.ハート・ストーン 8.自由の風 9.ハッピー・ファミリー 10.かなわぬ思い 11.LOOK 私の天使 |
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1990年 | ラバース・ガーデン 原題:”Elskerindens Have” |
1.遠い旋律 2.愛を信じて 3.ワンス・サマー・イブニング 4.愛の行方 5.いつものように 6.私の自由 7.逆説(パラドクス) 8.灼熱の星 9.スリープ・リトル・ワン |
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1991年 | サイレント・タイム | 1.誰もひとりではない 2.隠しごと 3.もっと近くに 4.未知の喜び 5.氷の花 6.彼女の願い 7.沈黙 8.結婚 9.抱擁 10.こどもたち |
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1992年 | ミン・キャリエア | 1.ミン・キャリエア 2.私が見えるのなら 3.私を呼びもどして 4.ブライダル・ベイル 5.目をそらさないで 6.心乱れるとき 7.あなたの街の灯 8.会うときはいつも 9.あなた以外には 10.夜そして昼 |
BIOGRAPHY
あなたが忘れたいと思っているなら
友よ、私はあなたに歌いましょう
あなたに言わずにきてしまったけど
あなたはずっと私の力の源なのです
助けてくれた人たちを
忘れたい誘惑は強いものです
でも私は覚えていようと思います
覚えていよと・・・
友も、そして敵も
私は覚えていようとおもいます
何をしたかを、そしそれが
美しくとも
醜くとも覚えています
忘れることはいともたやすいもの
何が美しかったかを
何が醜かったかを覚えています
忘れることはいともたやすいもの
忘れることはいともたやすい
訳:肥田慶子
1958年7月17日 | デンマークの北部の都市オーブスにて、教育者の父と心理学者の母のもとに生まれた。 幼年期より文学と音楽に興味を持ち、作曲も始めるようになる。 |
1964年 | 小中学校は進学校の「オーブス・フリスコル」へ進む。 ここでフルートから弦楽器、ピアノと多くの楽器を修得する。 |
1971年 | キャロル・キングの「つづれ織り」にインスパイアされ、本格的に作詞・作曲を始め、弟と一緒に幾つかのバンドにも所属するようになる。この頃愛聴していたのは、ジェイムス・テイラー、ジャニス・イアン、ポール・サイモン、レナード・コーエン、ジョン・アーマトレイディング、バン・モリスンだった。 |
1974年 | 15歳の時、デンマーク高等学院にに進学の為、地元オーブスを離れて首都コペンハーゲンへ。 言語学、社会学を専攻、初めて一人暮らしが始まる。 卒業後4年間、デンマーク国営放送にてTVプロデューサーとしての教育を受ける。 その後、23歳からジャーナリスト養成学校に通い、フリー・ジャーナリストとしてエッセイや詩を新聞に書くようになる。 |
1981年 | ロックバンド「トゥサドレンゲーネ」に加入してボーカリストとなり、作詞も担当する。 以後6年にわたり、5枚のアルバムをリリースする。 |
1983年 | ソロ・シンガーとしてメドレー・レコードと契約し、ファースト・ソロ・アルバム『ビトウィン・ユー・アンド・アイ』(原題:”Mellem Dig Og Mig”)を発表。 このアルバム以降、全てのアルバムがベスト・セラーを記録する。 |
1986年 | セカンド・アルバム『アンヌ・ドゥールト・ミキルセン』(原題:”N EST DANS”)リリース。 直後、娘のオルガ出産。 |
1987年 | サード・アルバム『エブリシング・リターン』(原題:”Alting Vender Tilbage”)を発表。 |
1989年 | 日本のCBSソニーと契約し、日本にて『アンヌ・ドゥールト・ミキルセン』をリリース。 同年、4作目『ラバース・ガーデン』(原題:”Elskerindens Have”)を発表。 この年の11月プロモーションのため初来日して、デンマーク大使館にてレセプションを行う。 |
1990年 | 『ラバァーズ・ガーデン』をリリース。 同年、11月、東京、横浜、大阪、名古屋にてコンサートを行う。 |
1991年 | 『サイレント・タイム』をリリース。 原題のアンデルセンといわれるハルフダン・ラスムセンの詩に曲をつけた作品である。 |
1992年 | 『ミン・キャリエア』をリリース。 |
これ以降、日本でのアルバム・リリースはなく、本国で音楽活動はしているようだが、詳細不明 |
追憶の日々
いろんなひととの出逢いがあって
私の道と交差していきました
私が愛した人たちがいました
私を愛した人たちもいました
人生が与えた災難を
忘れたい誘惑は強いものです
でも私は覚えていようとおもいます
一日一日を・・・
公園には影が落ち
その木は根元から生えています
遥かなる声が聞こえて
奇妙な恐怖や変な気分を語っています
私達が日々老いていくことを
忘れたい誘惑は強いものです
でも私は覚えていよういと思います
できることなら覚えていようと・・・
アンヌ・ドゥールト・ミキルセン公式サイト(デンマーク語)
日本でのCD発売は、上記6枚のみ。現在は全て廃盤となっておりますが、中古市場では入手可能です。
1992年以降、日本でのCD発売はなくなりましたが、本国デンマークでは、後に数枚アルバムを発表しているようです。
但し、日本では入手は困難です。あるサイトで、デンマークのオンライン・ショップにログインして、そこから購入できるとの紹介がありました。ただ、そのオンラインショップもデンマーク語です。