楯岡満茂(たておか・みつしげ) ?〜?

最上家臣。豊前守。姓を本荘とも。はじめ出羽国楯岡城主。
天正14年(1586)に出羽国横手城主・小野寺義道が真室を目指して侵攻して来たときは、最上義光の子・義康と共に出陣、有屋峠で迎撃した。文禄4年(1595)には最上軍の総大将となって仙北地方に進攻し、湯沢城を落すなどの功を挙げた。
専ら仙北および由利地方において力を発揮し、慶長5年(1600)の出羽合戦のおりには上杉氏に通じた小野寺氏の攻撃を受けたが、孤軍よくこれを守り通した。
慶長8年(1603)8月、出羽国赤尾津城主として3千の兵と共に由利郡に入部したが、慶長17年(1612)に子吉郷に新城を建設して移住、これを本荘城といい、以後は本荘豊前守と称し、4万5千石を給された。
主家改易後は酒井忠世に預けられた。