美濃国土岐氏の一族。土岐直氏の子。土岐康行(義行)の従兄弟で娘婿。侍所頭人。宮内少輔。尾張守護代。
嘉慶元:元中4年(1387)末に土岐氏惣領で美濃・尾張・伊勢守護を兼帯していた伯父の土岐頼康が没した際に嫡男がなかったため、土岐康行がその地位を継承すると、詮直は尾張守護代に任じられた。
しかし、康行の京都代官となっていた土岐満貞(康行の弟)が嘉慶2:元中5年(1388)3月に室町幕府将軍・足利義満から尾張守護に任じられると、康行の助力をも得て満貞の尾張入部を阻止したため、康行ともども謀叛人の誹りと追討を受けて没落した。
その後の応永6年(1399)10月末、足利義満と決裂した大内義弘が反幕府勢力を糾合するとともに和泉国堺に拠って叛旗を翻すと、詮直は義弘の誘いを受けてこれに応じ、居城の美濃国長森城で挙兵に及んだ(応永の乱)。しかし幕府方に与し、堺から反転してきた土岐氏惣領で従兄弟の土岐頼益によって11月半ば頃に討ち取られた。