和田惟政(わだ・これまさ) ?〜1571

近江国甲賀郡和田村に拠った有力豪族。伊賀守。
はじめ幕臣として細川藤孝らと共に将軍・足利義輝に仕え、永禄8年(1565)に義輝が殺されたのち、僧籍に入っていた弟の覚慶(のちの足利義昭)が奈良の一乗院を脱出したのを甲賀の自邸に迎え、義昭が織田信長に奉じられて上洛するまで、陰から義昭を支援した。
信長にも重用され、永禄11年(1568)には摂津国高槻城主となる。
永禄12年(1569)、三好義継軍が義昭を京都本圀寺に攻めたときには、駆けつけて防戦した。
信長が義昭と不和になると義昭を助け、元亀2年(1571)8月28日、所領を接する池田知正と摂津国郡山で戦って討死した。法名は宗意、葬地は安土の浄厳院。
受洗はしなかったがキリスト教に深く帰依し、宣教師やキリシタンたちを手厚く保護した。