検地(けんち)

田地を測量し、面積や生産高を算定すること。
領主はこの検地結果をもとに租税収入の算出や軍役の賦課などを行ったため、検地とはすなわち領内を掌握することであった。
古来から検地においては6尺(約1.81m)平方を1歩(現在でいうところの1坪)と呼び、360歩を1町または1町歩として基本単位としていた。1歩からの収穫が1人1日分の糧米、すなわち1町の土地からの収穫が1人1年分の食糧に相当していたのである。
戦国時代の初期は「差出検地」と呼ばれる自己申告制が主流であったが、時代が降ると共に領主直属の奉行人が直接に検地を行うようになっていった。これによってごまかしや目こぼしが利かなくなり、従前よりも負担が重くなることが明らかであったため、農民層や小領主らは検地に反発し、闘争を起こすこともしばしばであった。
とくに羽柴秀吉はその政策において検地を重視し、自勢力下の生産高、そこから導かれる租税収入や軍事動員力の掌握に努めている。
また、検地とは領主が拝領者(土地の支配を任された者)に対して行うものであるため、検地を受け入れるということは、命じた者に服属したということを意味することとなり、統制力を強化することにつながっていった。秀吉が命じて全国的に行った検地をとくに『太閤検地』と呼ぶが、この太閤検地とは所領を把握すると同時に、秀吉の威を天下に示すための政策でもあった。