観音菩薩(観世音菩薩)

2004. 9. 2

 浄土宗においてその御本尊は言うまでも無く阿弥陀如来であるが、その脇侍(わきじ・きょうじ)として観音・勢至の両菩薩が配置される。これはその所依の経典である『浄土三部経』の中の「無量壽経」にこれら2菩薩がいることが説かれていること、また「観無量壽経」に観世音菩薩を観ずる方法が説かれていることし因る。これらを総称して『弥陀三尊』とよぶ。観音菩薩は阿弥陀仏の”慈悲””救済”を象徴した菩薩であり、勢至菩薩は阿弥陀仏の”智慧”を象徴した菩薩である。観音菩薩の功徳が説かれている経として『観音経』が挙げられる。これは法華経普門品第二十五を独立させたもので、観世音菩薩を念じれば災難・恐怖から救われるという教えが説かれたものである。

 わが国においては飛鳥時代に観音信仰が始まったとされているが、当時の観音信仰は厄除けや開運授福などの現世利益が中心であったが、平安末期からの浄土信仰の発達を背景に観音信仰も来世的色彩を帯び、六観音による六道抜苦や、上記の阿弥陀との極楽からの来迎、というようなことも説かれるようになった。六観音とはすなわち聖(しょう)観音(地獄)・千手観音(餓鬼)・馬頭観音(畜生)・十一面観音(阿修羅)・准胝(じゅんてい)観音(人)・如意輪観音(天)のことで 六道 世界に輪廻する衆生を救済する観音像のことをいう。また法華経普門品に説かれるた観音菩薩が衆生を救うため33の姿に身を変じたところに因んで、平安時代より三十三観音を巡礼し、その功徳に浴そうという信仰が広まった。西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十三所の霊場巡りは有名である。

 六観音のうちの「聖観音」は通形の観世音菩薩のことであるが、阿弥陀如来の脇侍としての観音もこの聖観音である。わが 圓光寺の境内の観音像 もこの聖観音である。多面多臂(腕の意)を持たない変化しない二臂の観音を特にこう呼ぶ。厳密には頭に宝冠を載せ、天衣をまとい、肩から脇にかけて絡縛(らくはく)を飾り、腰に裳そ巻き、半裸体の姿をしている。さらに厳密には左手につぼみの蓮華を胸前に持ち、右手でその花びらを開こうとしている姿が正確な聖観音のものとされているが
一定していないようである(ちなみに圓光寺の聖観音も左手に蓮華を持っていない)。聖観音像とされるものでは、法隆寺の夢殿の救世観音や、薬師寺東院のものが有名である。

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