円光寺
久我龍胆

 *注* 
  増上寺をはじめとする浄土宗では、宗紋を「月影杏葉(つきかげぎょよう)」としています。同じ浄土宗であり
ながら、西山派では「久我龍胆」を宗紋としています。これは一般的に知られている西山上人が、村上天皇に
始まる村上源氏の末流「源親季(みなもとのちかすえ)」の子として誕生し、9歳の時に一門の頭領であった内
大臣「久我(源)通親(みなもとのみちちか)」の養子になったことに起因しています。その後14歳で法然のもと
で出家するのですが、西山各派ではこの「久我家の家紋」である「久我龍胆」を宗紋と定めています。
 ちなみに曹洞宗の宗紋もこの「久我龍胆」であります。実はその開祖・道元禅師の実父こそがこの久我通親
なのです。西山上人は養子、道元禅師は実子という違いはあるものの、この二人は義兄弟であり、そのため
曹洞宗の宗紋と西山の宗紋が奇しくも同じであるのです。

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 本堂の北側の奥に「聖観世音菩薩像」があります。大正
8年に日本橋で建立され、翌9年に移されました。地域の
方々、お檀家には「観音さん」と呼ばれ親しまれています。

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 話を元に戻しましょう。円光寺の山号(さんごう)は「月輪
山(げつりんざん)」といいます。正門を入って右側に本堂が
ありますが、その正面にこの山号が記されています。

  本堂から墓地に向かって行くと、右側に無縁供養塔があります。これは平成12年10月にあるお檀家の方の寄進で建立されました。(詳しくは「無縁供養と塔婆」をご覧ください)

無縁供養塔の向かい側に「十萬霊塔」があります。圓光寺が日本橋にあったころからのもので、前の無縁塔と考えられます(遺骨は安置されておりません)。

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本堂の中心にある阿弥陀如来像。浄土宗における御本尊であります。

阿弥陀如来の向かって右側にあるのが圓光大師像。「圓光大師」というのは宗祖法然上人の東山天皇から賜った謚号.。

向かって左が見真大師像。「見真大師」というのは親鸞聖人の謚号。

これら両大師像は明治時代からのものです。普段は扉が閉まっていて中は見られません。由来につきましては「圓光寺の歴史」をご覧ください。

その他

十萬霊塔のすぐ横にある門柱。円光寺が日本橋にあった当時のものを移築しました。

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 東京都世田谷区の西、環状8号線の外側に円光寺はあります。近くに砧公園、世田谷総合運動場といった
自然豊かな環境に恵まれた浄土宗のお寺です。

 圓光寺は京都東山の禅林寺を総本山とする、浄土宗西山禅林寺派の東京で唯一つのお寺です。その歴史
はさほど古くなく、明治18年に安井隆道上人が日本橋で辻説法をされたのが始まりであります。
「円光寺」として認可されたのが明治41年、本格的に現在の世田谷の地に移ったのは戦後であります。
(詳しくは”圓光寺の歴史”をご覧ください)

 簡単に宗旨についてまとめると以下のようになります。

     円光寺宗旨

宗名(しゅうめい) 浄土宗西山禅林寺派
高祖 善導大師
宗祖 法然上人(源空)
派祖 西山上人(証空・善慧)
本尊 阿弥陀如来
所依経典 浄土三部経(「無量寿経」・「観無量寿経」・「阿弥陀経」
称名 「南無阿弥陀仏」
総本山 京都・永観堂禪林寺
宗紋(しゅうもん) 久我龍胆(こがりんどう)*注*