f     フェードインする恋心 3












柚木先輩にとっては、ただの遊びだった。


あっさりと出た予想通りの答えなのに、いつもどおりに笑えない私がいた。





あの日以来、柚木先輩の車が家の前に停まることはなかった。
一方的な電話やメールが途絶えれば、私から先輩に連絡することはない。
どこに居ても見かけた美しい黒髪と立ち姿は、いつの間にか私の前から消えてしまっていた。



「そういえば、ちゃん知ってる?
 柚木先輩って外部受験なんだって。それも経済学部。音楽、やめちゃうんだよ。」



校庭の銀杏が黄色に染まる頃、天羽ちゃんが雑談の合間に口にした言葉に私は酷く驚いた。



「嘘・・・だって火原先輩はそのまま内部進学だって。」


「火原先輩はね。柚木先輩の進路を知ってたのは金やんだけだったみたいだよ?
 なんかもったいないよねぇ、あれだけの才能を持ってるのにさ。
 いったい何になるつもりなんだろう。やっぱ柚木グループの中のどれかを継ぐんだろうねぇ。」



天羽ちゃんの言葉が頭の中をぐるぐると回る。
柚木先輩が音楽をやめるなんて考えてもいなかった。


つい最近まで自分を誘って楽譜を見に行っていた。
フルートも自らの手で美しく磨き、とても大事にしていたのを知っている。
ねだれば「演奏代は高いぞ」と冗談めかしながらも、澄んだ優しい音色を聴かせてくれた。



『先輩、音楽が好きなんですね。』
『そうだな。俺にとっては唯一の真実だ。』



そう言って、慈しむようにフルートを撫でていたのに。


結局、私には柚木先輩という人が分からないままだった。
俺様で、我儘で、自己中心的・・・ああ、違う。


柚木先輩はいつも他人に細やかな気を配っていた。
皆が憧れる『柚木梓馬』という人間を演じるかのように生活し、
私が人を騙していると抗議すれば、「みんなの夢を壊すのも悪いだろう?」と笑った。
自分を抑え、完璧な人間として存在する息苦しさはなかったんだろうか。



『お前は馬鹿だな。
 音にも馬鹿正直さが出ていて、飾り気も色気もない。
 でも・・・どこか温かい。それはそれで、お前らしいよ。』



そう言って私の頭を撫でた先輩の瞳は言葉以上に温かかった。
私には優しい人だったんだ。



会いたい。



唐突に浮かんだ思いを飲み込んで、無理に笑って天羽ちゃんに相槌を打つ。


私が会いたいと願っても、もう先輩には会えない。
気まぐれで伸ばされた手を振り払ってしまったのは私なのだから。





土浦君は私の音色が変わったと言う。
月森君にも同じようなことを言われたが、私には分からない。
ただ黙々と練習に打ち込んでいる。



「柚木先輩、外部を受けるんだってな。最近は登校もしていないらしい。」



鍵盤から指を離した土浦君が言った。
私はヴィオリンをおろし、小さく息を吐く。



「別れたんだな。」
「違うよ。」


「まだ付き合ってるのか?」



驚いた声色の土浦君に笑顔を見せ、首を横に振る。



「はじめから付き合ってないの。柚木先輩の気まぐれっていうかね。」


「なんだよ、それ。
 じゃあ、柚木先輩に婚約者がいるっていうのは本当だったのか?
 決まった奴がいて、にちょっかい出したってことなのか?お前、それ知って?」



土浦君が椅子から立ち上がり、大きな声を出す。
突然の大きな声に身を震わせて彼を見上げた。



「おい!答えろよ、!」


「婚約者・・・いたんだ。」
「やっぱり知らなかったのか?あの野郎・・・」


「違う、知ってた。」
「どっちなんだよ!」



土浦君の剣幕に涙が出そうになる。
私の瞳を見た土浦君はハッとして視線を逸らすと「悪りぃ」と呟いた。
このまま黙っていたら柚木先輩が悪者になってしまう。



「結婚を誓い合った恋人がいるって・・・先輩は言ってた。
 その時はあまり深く考えてなくて、そうかって。
 私たちは本当に付き合うとかそんなんじゃなかったし・・・」


「じゃあ、は柚木先輩が好きじゃなかったのか?」



土浦君に訊かれて、直ぐに言葉が出なかった。



ユノキセンパイガ、スキ?



土浦君の言葉を理解するより先に、大きな手が私の頬に触れていた。
目の前に土浦君のブレザーがあるのに全てが滲んでいく。



「馬鹿。泣くほど好きなくせに、なんでもないフリするなよ。
 傷ついてる時には傷ついてますって言えばいいんだよ。」



涙を拭ってくれた土浦君がグシャグシャと私の頭を不器用に撫でる。
それは柚木先輩と違う手だったけれど、とても温かくて優しい仕草だったから泣けた。



暗闇が明るくなっていくように分かっていく。
私の心が見えていく。


そうなんだ。
いつの間にか私は柚木先輩が好きになっていた。



好きだから、
他に好きな人がいて私に触れる柚木先輩が許せなかった。悲しかったんだ。



私は、私だけを愛してくれる柚木先輩が欲しかった。



「恋をしてるお前の音も、恋を失くしたお前の音も、全部がお前の音だよ。」



土浦君の言葉が私の中に溶けていく。




















フェードインする恋心 3 

2007/11/19

フェードインする恋心
コは相手にしないプライド
リードする時は、いつもさりげなく
スして良いのは貴方だけ
ルーされた告白の行方

お題 キミにうたう「すき」のうた 様より



















戻る     コルダ連載TOPへ     次へ