俺の想い・君の想い 〜後編〜
火原と並んで夕焼けの中を帰って行くの背中を見送る。
俺は直ぐに背を向けたけど、火原は名残惜しそうに見送り続けていた。
火原の恋は純粋で臆病だ。
今時、小学生でもしないだろう幼い恋。
俺は別に後ろめたくはない。ただ少し居心地が悪いだけだ。
一度は迎えの車に乗ったが、少し寄る所があるからと途中で降りる。
そう長い時間はないだろう。それでも俺の足はが待つ小さな日本茶専門店に向かう。
日本茶と和菓子しか出さない喫茶店は、そうそう学生が足を踏み入れる場所ではないから逢瀬には調度いい。
薄暗い店に入るとは唐津の茶碗をジッと見つめていた。
伏せた睫毛の影が白い頬に落ちて綺麗だ。
俺を待っている横顔は確かに美しいかもしれない。
「何を見ている?」
「あ・・柚木先輩。」
俺を見上げたがパッと笑顔を浮かべた。
花が咲いたような笑顔に満足して隣に座れば、は青い茶碗を俺に見せて『深海の色みたいでしょ?』と笑った。
「ずっと忙しそうだったから会えるとは思ってませんでした。」
「忙しいよ。毎日毎日、いい加減イヤになるくらいにね。」
「そうなんですか・・・大変ですね。」
「お前は変わりないか?」
「ハイ。元気ですよ?」
おおよそ恋人同士とは思えない会話に苦笑する。
注文を取りにきた和服姿の女将に徳島の煎茶をお願いして、女将が背を向けた途端掠めるようにの唇に触れた。
目を閉じる暇も無かったが真っ赤になって俯くのが可笑しい。
「今更照れるなよ。」
「だって・・急だったし。」
「いちいち宣言してからしなきゃいけないのか?冗談だろ。」
「そ、そうですけど・・・久しぶりだし、こっちは柚木先輩が近くにいるだけでドキドキするんですから!」
「へぇ。そんなにドキドキするのか。可愛いことを言うじゃないか。」
「もう、からかわないでください!」
年季の入った木のテーブルに頬杖をついての表情を楽しんだ。
一年たっても飽きない女とは不思議だ。
ずっと俺のことは『先輩』と呼ばせている。敬語だって続けさせてる。
どこで誰が見ているとも限らないし、二人きりじゃない時にウッカリ恋人気取りの言葉が出ては困ると俺が禁止したからだ。
は文句を言わない。
泣きもしない。怒りもしない。我儘も言わない。
全て俺の希望を受け入れたうえで笑っている。
だから思う。
コイツは馬鹿なんじゃないかと。
いいや・・・違う。
コイツは賢いのかもしれない。
もしも多くを望んできたら俺はを切らなくてはいけない。
それが分かっているから何も求めないのかもしれない。
「この前、先輩が好きな漆器のお店を覗いてみたんですよ。輪島塗の文箱がすごく綺麗でした。」
「ああ、いいな。俺は随分と顔を出してない。小皿は出ていなかったか?」
「出てましたよ。えっとですね・・・」
が話してくれる他愛ないこと。
俺はの瞳を見て、柔らかな唇から紡がれる言葉に耳を傾ける。
女将が運んできてくれたお茶の香りと手のひらに馴染む唐津の茶碗。
心地いい時間だと思う。
もう少し。あと十分。
いや・・一分でも長く、この心地よい時間を味わいたい。
「先輩、時間は大丈夫ですか?」
時間はない。
けれどに気遣われて俺は不機嫌になる。
「俺を帰したいのか?」
「そんなこと。ただ・・・遅くなると困るんじゃないかと思って。」
そう。また、お祖母様に説教されるんだよ。
そういや今日は姉の嫁ぎ先の親戚だったかが来るからと言われていたんだ。
「こうやって会えて嬉しいけど、先輩に迷惑をかけるのは嫌だし。」
「お前が本当に物分りのイイ女で助かるよ。」
苛立ちと嫌味をこめて言えば、が小さく首を傾けて笑った。
「本当は一分でも長くって思ってるんです。でも・・・その一分のせいで失いたくないもの。」
何をとは訊かない。
はやっぱり心の強い女だ。
馬鹿であり、賢い女。
「馬鹿。なら素直にそう言えよ。」
困ったみたいにが肩をすくめた。
俺は財布から札を出して立ち上がる。
は席を立たない。
俺が出た後も時間を潰し、間をおいて店を出るのだろう。
「もう行く。今晩は客が来るんだ。」
「そうですか。」
「また電話する。」
「期待しないで待ってます。」
「期待ぐらいしろよ。」
そんな諦めた顔で笑うなよ。
本当は知っているんだ。
は諦めているんだ。
望むこと、期待すること、そんなものは捨ててしまっている。
いつかは必ず来る別れを覚悟しながら、俺と共に今ある時を大事にしようとしている。
一分一分を慈しむようにして。
俺を好きになんかならなければ、もっと幸せな恋ができただろうに。
「」
「はい?」
「辛いなら別れてやる。」
瞳を大きく見開いたが直ぐに笑顔を取り戻し首を横に振った。
「無理ですよ。」
だって・・・私が好きなんですもの。
愛しいと思ってしまう。
どんなに言葉を偽っても、冷たい態度を取ろうとも、溢れてくる愛しさはどうしようもない。
「電話、必ずするから。」
短く言って誰も見ていないのを確認してから軽く唇を重ねた。
今度は目を閉じて俺を受け入れたの頭を軽く撫で、気持ちを振り切るように背を向けた。
急がなくては。
そう思うのに振り返って店を見上げてしまう。
闇に浮かぶ店の窓から優しい灯りが漏れていた。
あの中では何を思っているだろう。
こんなに愛しいと思ってるのに、お前は寂しいんだろうな。
俺と同じくらいに、きっと。
俺の想い・君の想い 後編
2007.03.08
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