100万回でも好きだと言おう 2
エレベーターから降りたところで携帯が鳴った。
傍らの秘書が『車を確認してきます』と告げ、足早に外へと向かう。
俺は少し歩みを緩め、下からの報告を聞いて新たな指示を出した。
だいたいの用件を伝えたところで、前からバタバタと足音が近づいてくるのに気がつく。
それは若い女で、その真っ直ぐに切り揃えられた前髪と丸い瞳に見覚えがあった。
手にコンビニの袋を提げた女は俺を見るなり指をさす。
「あっ、五十円の人!!」
「はぁ?」
たまたま人のいないエントランスに女の声がこだました。
携帯の向こうからは「もしもし、社長?どうしましたか」と声がする。
俺が突然に変な声を出したから慌てているようだ。
「なんでもない。後で報告を頼む」
電話を切り、携帯を胸にしまいながら足を進める。
ニコニコしながら近付いてきた女は俺の前までくるとペコリと頭を下げた。
「先日は五十円をありがとうございました」
「いや・・・」
「あなたもココに勤めているんですか?
私、二か月前からココで働いてるんです。奇遇ですねぇ」
忍足がお気に入りの女は確かに元気そうだ。
ついでに奴の予想通り、女はうちの会社で働いていた。
「お前、何階のフロアにいるんだ?」
「四階です」
「なるほどな」
四階はデータ入力が主な業務だ。
ということは、俺の読みは当たったらしい。
ココにきて二か月だというし、派遣社員だと見て間違いなさそうだ。
「あの・・・後で考えたら、ぶつかったのは私も悪かったし、五円も拾えたし
それなのに五十円を貰ったのは申し訳なかったと思って」
やっぱりカウンターの下に転がった五円も回収したのか。
予想通りなのが可笑しくて、俺は少し笑った。
「よかったじゃねぇの。五十円は本当に要らない金だったから、気にしないでくれ」
「要らないお金なんてこの世にはありませんよ。だから」
大真面目に言うと、また女は無駄にデカい財布をコンビニの袋から出してきた。
それも財布は今時めずらしいガマ口で、女が指を突っ込むとジャラジャラと小銭の音がする。
「あ、五十円玉がない。十円玉、五枚でもいいですか?」
「勘弁してくれ。小銭を入れる財布を持ってない」
「ええっ、そうなんですか?」
「ああ。返して貰っても困る」
大きな買い物はカードだし、財布に札が入っていれば事足りる。
小銭は邪魔だし、細々と出すのは性に合わないので持たないことにしている。
釣りなどの小銭はチップ代わりに置いてくることにしているぐらいだ。
なのに女は困った顔で考え込んでいる。
すると突然に『ひらめいた』という顔をして、ガマ口からレシートをだしてきた。
なにを始めるのかと思えば、レシートに十円玉五枚を包みはじめる。
それを渡されるのは本気で遠慮したいと、俺は女の手を軽く押さえた。
「本当に要らないから」
本当にと殊更強く言い、女が包みかけた小銭をガマ口に戻させようとしたら
大きな音を響かせて小銭が四方に散らばっていった。
またしても女が財布を落としやがったからだ。
「ああっ、お金が」
眩暈がした。
忍足に電話して拾いに来させようかと思う。
慌てた女がフロアに膝をついて小銭を拾うのを見てもいられず、俺は仕方なく何枚かを拾ってやった。
不幸中の幸いか包みかけた十円玉の塊があったおかげで、言うほど小銭は散らばらなかったらしい。
いくらかを拾って差し出してやると、恐縮した女が何度も頭を下げた。
その耳たぶが赤いのに気付き、よくよく顔を見た。
色が白いからよく分かる。女は頬も真っ赤にして頭を下げていた。
二度も財布を落とした自分の抜け具合が恥ずかしいのだろうと俺は思った。
とりあえず拾い集めた金をガマ口の財布に収めた女は、今度は何が足りないとか言わずにコンビニ袋に収める。
代わりに袋から出してきたのは紫色の小さな包み。
「こ、これを代わりに」
「いや、べつに」
要らないと言いたかったが、
真っ赤に茹であがった女が下を向いたままで握った手を押し付けてくるから受け取るしかない。
これを受け取らないと、延々と何かが出てきそうな予感がしたからだ。
女の小さくて白い手から渡されたのは、封の空いていないブルーベリーガムだった。
「ブルーベリーは目にイイらしくて
その・・パソコンとか使う人には効果があると思います。だから、どうぞ」
「そりゃ、どうも」
「どういたしまして」
かみ合ってない会話のような気もしたが、女は再び頭をペコリと下げるとエレベーターに走っていった。
そして直ぐに開いたエレベーターに乗り込むと、また深々と頭を下げてドアの向こうに消えていく。
「社長、いかがなさいましたか?」
きびきびとした靴音を響かせて秘書がやってきた。
俺が来ないので様子を見にきたのだろう。
「いや、なんでもない。車は?」
「待たせてあります」
そう言って、さりげなく俺の後ろについた秘書が身をかがめた。
なにかと思えば百円硬貨を指に挟んでいる。
「まだ落ちてたか」
俺が呟くと、秘書が不思議そうに「社長の落し物ですか?」と尋ねてきた。
オフィスに戻った女がガマ口を開いて、百円足りないと騒ぐ姿が目に浮かぶ。
「そこに置いとけ。持ち主が拾いに来るだろう」
「はぁ・・・」
腑に落ちない顔をした秘書だったが、俺の言うとおりに床へ硬貨を戻した。
俺は渡されたガムを胸ポケットにしまい、車へと急ぐ。
忍足に会ったら、今日のことを話してやろう。
浮かぶ笑みをかみころしながら、俺は次の商談へと向かった。
100万回でも好きだと言おう 2
2009/01/11
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