100万回でも好きだと言おう 6
女の歌を聴きに行くと言い出したのは忍足だ。
図々しい忍足に根負けしたのか、女は遠慮がちに時間と場所を教えた。
久々に聴いた歌は魅力的ではあったが、利益にもならない女の歌を聴きに行くほど俺は暇じゃない。
「おい。今日はどこの誰だ?」
「先月の28日に代議士の鈴木先生からご紹介された日野総合病院院長のご令嬢で・・・」
車を降りたところで秘書に確認すると、それは簡潔に相手の素性を説明してくれた。
そういえばそんなこともあったかと思い出せば、お疲れですねと秘書が苦笑する。
まったくだ。
三十分前まで会議室にいた。今日は殆どを会議室と社長室の往復で過ごしたと言っても過言ではない。
更にご令嬢のご機嫌伺いときたら、もう溜息しかでなかった。
約束したホテルのレストランで顔合わせをする。
確か去年も誰だかに紹介された女性と引き合わされた店だ。
「こちらが跡部景吾君だ」
「わたくしは・・・」
にこやかな笑顔を浮かべ、女が当たり障りない挨拶をする。
付き添ってきた代議士がお嬢様の経歴を並べ始めるが、誰も彼も同じようなものだから覚える気もない。
「それではここで邪魔者は消えましょう。あとはお二人で」
役目は果たしたとばかりに早々と席を立つセンセイに、選挙の票を集めるのも大変なのだろうと思ったりする。
テーブルの前の女性は判で押した様な笑顔を浮かべるばかりだ。
それにしても・・・何の特徴もない面白くねぇ女。
黙々とナイフとフォークを動かし、胃袋を満たすぐらいしか楽しみがない。
俺も愛想がいいとは言えないし、興味をひかれない相手に話を振ってやる気力もない。
とにかく代議士の顔は立ててやったのだと、明日の予定を考えたりして時間が経つのを待つ。
食事の途中で携帯が震えた。
名前を確認して迷ったが、まぁいいかと女性に断って席を立つ。
電話は忍足からだった。
「なんだ?俺は忙しいぞ」
『跡部?あんなぁ頼みがあんねん。俺、急患が入って行けそうにないんやって』
「何の話だ?」
『ちゃんのコンサート!!なっ、頼む。お前が花ぐらい持って行ってやってくれ』
「はぁ?そんなの花屋に頼めばいいだろ。切るぞ」
『もうコンサートは始まってるのに間に合わへんて。な、このとーり』
「花なんかあっても、なくても関係ないだろ」
『あのなぁ。有名でもないコがステージに立つんやで?
どれぐらい客が入るのか知らんけど、花ぐらい添えてやらんと寂しいかもしれんやろ?』
忍足という奴は細かなところまで気が回るというか、本当は医者より営業向きだと思う。
俺は息を吐いて、ガラス越しに店内のテーブルで待つ女を眺めた。
ここにいるよりはマシか?
「この貸しは大きいぞ」
『おおきに!!』
後ろでは『先生、準備ができました』と声がしている。
早口で会場の場所を告げると忍足の電話は切れた。
「え・・・お仕事ですの?」
「食事が終わったら秘書に送るよう言ってありますから」
「でも」
「病院の婿養子にちょうどいい男を知っていますので、そのうち紹介しましょう。では」
慌てる女性に笑顔を残し背を向ける。
呼び出された秘書は、俺の気まぐれになど慣れたもので恭しく令嬢に頭を下げた。
ディナーが食いかけだったが、この際は仕方がない。
一階のロビーに降り、記憶を頼りに花屋を探せばブライダルコーナーの隣に見つけた。
甘い香りの花々を前に、今から向かう相手の顔を思い浮かべる。
あの庶民的な女に赤い薔薇は似合わないな。
ふと目についたパステルカラー。
黄色やピンク、オレンジの大きな花が元気に揃っている。
目一杯に広げた花弁と色が照明に明るく映えて、なんとなく女の雰囲気に合う気がした。
「そこのガーベラを花束にしてくれ」
花束には薔薇を持って行くのが常の俺だが、あの女にはコレぐらいで十分だろうと思う。
花に負けてもいけないしな。
令嬢のために車を残した俺はガーベラの花束を抱いてタクシーに乗り込んだ。
流れていく景色を見ながら思う。
何故、こんな疲れた夜に何の利益にもならない人間のために俺は動いているのか。
気まぐれか。
ふっと体の力を抜いて目を閉じる。
忍足の野郎、今度の休みには嫌っていうぐらいテニスに付き合わせてやる。
そう心にきめて車の揺れに身をまかせた。
十五分ほどでたどり着いた先は、こじんまりとしたバーだった。
『ラ・カンパネラ』という店の名前からして、クラシックに関係することは確かなようだ。
忍足が告げた時間には随分と遅れているのだが、とりあえず店に入って花ぐらいは渡そうと考える。
重い木の扉を押せば、僅かに音が漏れ聞こえた。
もう一つ、ガラスが嵌め込まれた古めかしい扉を開けば、音が鮮明になる。
薄暗い照明とカウンター、ロウソクの灯が揺れるテーブルたち。
客たちは談笑したり飲んだりと自由に過ごしている。
そして奥にはグランドピアノが置かれ、その隣に白いドレスを着た女が立っていた。
女は歌っていた。
歌ってはいたが、これはコンサートとは呼べないだろう。
まるでBGMと同じ。客たちは飲食と談笑をしながら聴いている。
俺はとりあえず空いていたカウンターに腰を下ろした。
適当なシャンパンを頼み、不要にも思える花束を隣の席に置く。
髪をアップにした女は俺が思っていたよりもほっそりとしている。
あの髪形が女を幼く見せていたらしい。
クラシックギターに合わせて歌うのは、ヘンデルの「私を泣かせてください」だ。
卓越した技術があるわけでも、飛びぬけた声量があるわけでもない。
これぐらい歌える奴は山のようにいるのだろう。
だけど女はただ純粋に歌っていた。
足りないものは多くても、人間の直向きさは胸を打つ。
「彼女いいでしょう?」
シャンパンをカウンターに出した店の主人らしき男が声をかけてきた。
俺は視線だけ受け止めてグラスを手に取ったが、主人は気にしたふうもなくにこやかだ。
「若い音楽家たちの情熱が眩しいくらいですよ」
こんな店もあったのか。
名を残すことも、華やかな舞台に立つこともなく消えていく人間が殆どの世界で、
小さくても表現する場を提供しようとする者がいる。
ここの主人も心から音楽を愛しているのだろう。
そして、ここに集まる客も。
はじめは歌など聴いてないかのに見えた客たちだったが、
彼らが自分たちの時間も楽しみながら耳を傾けているのが分かった。
俺は肩の力を抜いて、冷えたグラスに口をつける。
こんな空間も悪くない、そう思えた。
歌い終わった女が頬を紅潮させて頭を下げた。
温かな拍手を客から送られ、子供のような笑顔を浮かべる。
俺はカウンターに金と花束を置いた。
「この花束は歌姫に」
「ご自分で渡されてはどうですか?喜ぶと思いますよ」
主人は勧めるが、俺は首を横に振った。
ああ、そうだ。言い忘れていたことがある。
「その花、メガネをかけた関西人からだと伝えておいてくれ」
これで忍足からの頼まれごとは終えた。
俺は振り向くこともなく心地よい店を後にした。
すぐに車を呼んでも良かったのだが、今夜は歩きたい気分だ。
この前も忍足たちとのんびり歩いた。
昔はなんとなく歩くことなど絶対になかったし、そんな気もなかったが・・・
自分も段々と歳を取ってきたんだと思う。
テニスコートに吹く熱い風と輝く太陽が、もう俺の傍にないのと同じ感覚だ。
夜空を見上げ息を吐けば、冷えた空気が白くなった。
「五十円の人!!」
珍しく感傷に浸っていたのに、人を呼ぶのには不適切と言わざる得ない呼び名だ。
俺は溜息をつくと足を速める。さっさと車を拾っとけばよかった。
「待って!えっと、あの・・・あ、あ、あ、あなんとかさんっ」
カッと靴を鳴らして振り返る。
「跡部だっ」
怒鳴ってから、唖然とする。
女は吐息が白くなる夜に、ドレス姿のままで走ってきていた。
ご丁寧に俺が置いていった花束まで抱えている。
足を止めた俺の前まで走ってきた女は、
苦しげに胸を押さえて息をすると「そうそう、跡部さん」と笑いだした。
「お前は人の名前も覚えられないのか?」
「覚えてた。覚えてたんだけど、慌ててたから度忘れしちゃて」
「度忘れだと?」
コイツは馬鹿なのか?
真剣に考えた時、女が顔をあげた。
「来てくれて嬉しかった」
大きな瞳だ。
その瞳に月光か街の明かりか・・・どちらにしても輝きを集めて笑っている。
「本当に嬉しかったです。ありがとう」
言ってペコリと頭を下げると再び俺を見上げて微笑んだ。
欲も嘘も打算もない。
ただ嬉しいと瞳が俺を映していた。
「お前、うちの犬に似てるな」
「はい?」
「俺の飼ってる犬がお前と同じ目をしてる」
思いついたままを口にした。
俺にしては結構な褒め言葉だったのだが、女は途端に口を尖らせた。
「友達にも犬体質だって言われたことがあるけど・・・そんなに?」
つい笑ってしまった。
なるほど。犬体質とは上手くいったもんだと可笑しくなる。
コイツはまだ主を持たない子犬だ。
好奇心旺盛で人懐っこく、可愛がってくれる人になら誰にでも擦り寄っていく子犬。
俺は自分のジャケットを脱ぎ、女に差し出した。
なんですかコレと顔に書いてある女に溜息をつき、俺の手でジャケットを肩に羽織らせてやる。
「え、あ・・いや。わ、悪いですから、これ」
「見てる方が寒々しいんだよ。追いかけてくるなら何か着てこい」
肩がむき出しになった細身のドレス。
色白の肌と白のドレスが藍色の闇に浮かび上がって、見るからに寒そうだった。
「あ、足は近くにあったスニーカーを履いたんだけど」
白いドレスの裾をあげれば薄汚れたスニーカーが出てきて呆れた。
色気も何もあったもんじゃない。
「とにかく店に戻れよ。風邪ひくぞ」
「でも・・・上着」
「貸しといてやる。ただし汚すなよ」
「いつ返したら」
「忍足に返しとけ。俺は急患で来られなかったアイツの代役だ
その花束も忍足からだから、礼はアイツに言えよ」
女は素直に頷いてから、ぎゅっと花束を抱いた。
じゃあなと背を向けて数歩進んだところで、後ろから女の声が続いた。
「跡部さんが店に入ってきたの、直ぐに分かりました
とても嬉しかった。だから一生懸命に歌いました。本当にありがとう」
俺は一瞬足を止め、僅かに顔を後ろに向ける。
大きなジャケットを肩にかけた女は小さくて、抱えたガーベラの花が白に映える。
軽く片手をあげて、また歩き出した。
後ろから「さようならっ」と幼稚園児のような挨拶が聞こえてくるが、もう振り向かない。
ワイシャツから直に伝わってくる寒さが気持ちいい。
都会の空にも、きらめく星が一つ見えた。
キリリク『100万回でも好きだと言おう6』
2009/01/20
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