100万回でも好きだと言おう 11
アルを手元に置いたのは正解だった。
犬は嘘もつかないし、無駄な駆け引きも必要ない。
純粋に飼い主である俺を慕い、俺の後を追う。
そんなアルの存在に癒されているのを感じる。
「そろそろ散歩に行くか?」
携帯のメールを確認した俺が誘ってやると、アルは嬉しそうに尻尾を振った。
深夜の散歩が始まったのは、アルを手元に置いて直ぐだった。
実家の広い敷地で育ったアルに、俺の住むマンションは狭い。
日中の世話は専門の者に頼んではいるものの、夕方から後は帰りの遅い俺を待つのがストレスだろうと思った。
そこで始めたのが深夜の散歩だ。
歩きはじめて気付いたのだが、深夜に犬の散歩をしている人間は多い。
みんな考えることは一緒かと思えば、それもいいかとやみつきになった。
だが、今夜の散歩は特別だ。
俺は大喜びのアルを車に乗せて、深夜の散歩に出発した。
「アル〜!!」
自分を呼ぶ声に顔をあげたアルが飛び跳ねる。
薄暗い外灯の中に手を振る女が浮かぶと、アルは俺を急かすようにして駆け出した。
「お前のテリトリーにはコンビニしか存在しないのか?」
「どこにでもありますからねぇ」
お互いが挨拶もせずに始める会話。
コンビニ袋を手にした女と会うのは何度目か。
「どうです?限定販売の塩キャラメルまんです」
しゃがみ込んだ女はアルの容赦ない全身体当たりの歓迎を受けながら、屈託ない笑顔を俺に向けた。
資金がいるのだと女は言う。
海外に留学するために必要な金なのだと。
そこで女はカンパネラのマスターに頼みこみ、皿洗いのバイトまで始めていた。
訪れた店でカウンター内にいる女を見つけた時は、シマッタと思ったものだ。
あれからアルに会わせてくれと何度もメールが来ていたが、適当に受け流していた。
しかし面と向かって期待に満ち溢れた目で強請られると俺も弱かった。
夜に車を飛ばしてまで犬を連れてきた俺を知ったら、忍足は腹を抱えて笑うだろう。
自分でも付き合いの良さに呆れるのだが、これもアルのため。
女に会えて大喜びするアルを見ながら、予想通りだと思う。
仔犬だった頃のアルは、一目でジローを気に入り、それから後も奴にだけは子供のように遊んでもらいたがった。
一年ぐらい会わなくてもジローのことは忘れないアルだから、
気にいったであろう女のことも忘れていないと思っていた。
繁華街から少し外れたぐらいでは公園などありはしない。
終電があるからと、女と過ごせる時間は僅かだった。
車で送ってやれば・・・そんな考えが頭を掠める。
だが、アスファルトに膝をついてアルを抱きしめた女が、
笑顔で提案したのは「ひとつ先の駅まで歩きませんか?」だった。
「すぐ先に駅があるだろ」
「それじゃ直ぐすぎるでしょ。いいじゃないですか、アルの散歩にもなるし。それに」
わしゃわしゃとアルの頭を撫でて女が立ち上がる。
その時、闇の中にあっても街の明かりを集めた女の瞳が輝いた。
「少しでも長く一緒にいられるでしょう?」
一瞬だが胸の奥が妙な反応を示した。
言い表せない困惑に眉をよせたが、女は「ねぇ、アル」と話しかけている。
それで一緒にいたいのがアルなのだと気付いた。
自意識過剰だと苦笑する。
俺は仕方ねぇなと手にしたリードを女に渡してやった。
賢いアルは誰が相手でも無茶な歩き方はしない。
それでも隠しきれない嬉しさが、リズミカルに揺れる尾に表れていた。
犬を挟んで歩きながら、俺はアルを通して女の表情を窺う。
さっきのは何だったんだと考えた。
女は幼い子供と一緒に歩いているかのように、アルに対してよく話しかけ、よく笑う。
犬好きには違いないが、さっきのはソレだけか?
少しでも長く一緒にと言われて、正直・・・俺は戸惑った。
胸がざわめき、それと同時に腹の底がひんやりと冷えるような感じがした。
瞬間浮かんだのは、女に想いを寄せられたら不味い。それだった。
「跡部さん、ハイ。半分」
「ああ?」
リードをひく女がガサガサとコンビニ袋の中を探り、小さめのキャラメルまんとやらを出してきた。
それを慣れた手つきで半分に割って差し出してくるのだが、
一個の物を半分に分けるなんてことに慣れていない俺は手を出す気になれない。
「ほら。さっきの塩キャラメルまんですよ」
「結構だ」
「ええ!!なに言ってるんですか、限定販売ですよ?」
「それがどうした?」
「レアですから、食べないと一生後悔します」
「俺は絶対に後悔しないぜ」
半分に割れた塩キャラメルまんからは白い湯気がのぼっている。
俺は物欲しそうに見上げているアルの頭を軽く押さえてから、女に意見した。
「だいたい名前からして不味そうだ。それに俺は人と物を分けて食べる趣味はない」
「またそんな寂しいことを。美味しいものは分けて食べると二倍も美味しくなるんですよ」
「どういう理屈だ」
女が半分に割った塩キャラメルまんを勢いよく食べた。
熱っと呟いて、唇から白い息を逃しながら天を仰ぐ。
「う〜ん、微妙な塩味がイケてる」
何がどうイケてるんだか。
内心で呆れている俺を悪戯っぽい目をした女が見つめてくる。
ついでにアルまで、同じ目をして俺を見上げていた。
「なんだ?」
「どうイケてるんだと思いませんでした?」
「はぁ?」
「一緒に食べれば、もっと文句も言えるし。反対に、思ったよりイケると納得するかもしれない
どっちも食べなきゃ分からないし、それが楽しいんです
ひとつのものから、話が広がるでしょ?お互いの好みとか、考えとかも分かるし
もしも二人共が『美味しい』って思えるものだったら、『美味しいね』って言いあえる
それって、すごく楽しいし・・・・幸せでしょ?」
女の後ろには深夜も営業しているカフェがあった。
ガラス張りの店内は外を歩く俺たちから丸見えだ。
恋人たちが肩を寄せ、何事かを囁き合っているのが見える。
俺は目をそむけて歩きだす。
「そうまで言うなら、まるまる一つ買ってこい」
「あ〜、それがピアノの調律が来るんで・・・つい節約してしまいました」
「ピアノ?」
「1LDkにグランドピアノがあるんですよ、うち」
「よっぽと広い部屋なのか?」
「いいえ。六畳です」
「冗談だろ」
「毎日ピアノの下で寝てるんです、私」
俺は足を止め、それは冗談かと女の顔を眺めた。
眉を情けなく下げた女が『地震が来ないことを祈ってるんですけどねぇ』と笑うから、
俺は溜息と一緒に手を差し出した。
女に向けた手で、モノを寄こせと示す。
パッと笑みを明るくした女は、分けた塩キャラメルまんを俺の手のひらにのせた。
じんわりと広がる温もりは、仔犬のアルを抱きあげた日を思い起こさせる。
それは懐かしく、心地よい温もりだった。
「・・・不味い」
「まぁ、普通にキャラメル食べたほうが美味しい気もしますよね」
「なら食わせるなっ」
少し冷めてしまっただろう塩キャラメルまんは、女と同じで微妙に外した味だった。
ゆうに二十分は歩いただろうか。
くだらない話なのに、時間はあっという間に過ぎる。
地下鉄への入口が見えてくると女は足を止め、携帯で時間を確認した。
「あと十分くらい時間があるかな」
「それしかないのか?なら、早く行け」
「走れば三分でホームに行けますよ」
「最終なんじゃないのか?さっさと行けよ」
え〜と口を尖らせた女が、アルの前にしゃがみ込む。
別れたくないよねぇと白い手がアルの頭を撫でた。
寂しげに鼻を鳴らすアルに肩をすくめ、俺は女からリードを受け取り歩きだす。
歩きながら迷っている。
車で送るといえば時間も気にしないですむし、女を夜道に独りで帰らせることもない。
だが車は繁華街の中心に置いてきてしまった。
ここから取りに戻るとすれば、また二十分以上を歩かなくてはならないだろう。
足は地下鉄の入り口で止まった。
地下鉄に続く薄暗い階段は、闇に口をあけた穴のようだ。
その中へ女が降りていくのかと思う。
「お前・・・」
「はい?」
「街中まで戻らなきゃいけないが、俺の車に乗って帰るか?」
大きな瞳が俺を見上げたが、直ぐに逸らされた。
伏せられた瞳がさまよい、細い指が戸惑ったように唇に触れる。
アルと長くいたがっているくせに、二つ返事ではない。
迷う様子を怪訝に思っていると、再び携帯の時間を確認した女が小さく息を吐いた。
「今夜はいいです。言いたいことが言えなくなっちゃいそうだから」
「言いたいこと?」
「アル、また会えたらいいね」
女は俺の質問には答えずに、アルと視線を合わせて柔らかく頭を撫でた。
それから顔をあげて視線を合わせると
女は真っ直ぐ俺を見て言った。
「あなたが好きです」
その衝撃をどう言えばいいだろうか。
俺は間抜けにも瞬きさえ忘れて女の顔を見ていた。
「は、恥ずかしいので帰ります!!それじゃあ、おやすみなさい」
女は勢いよく頭を下げると、俺の言葉も待たずに地下鉄の入口に飛び込んでいった。
転んでしまうんじゃないかと思うほど慌てて階段を下りて行き、すぐに女の姿は見えなくなる。
一度も振り返らずに、あとには地下から響いてくる靴音だけを残して去っていった。
俺はアルのリードを握ったまま、暫く暗い階段を見下ろしていた。
若い男が俺の隣を過ぎて階段を下りていくのに、やっと我にかえる。
「行くぞ、アル」
西か、東か。目的も考えられずに歩きだす。
気付けば俺は自分の口元を押さえていた。
それは・・・好きだと言われてしまった俺の方が恥ずかしかったからだ。
100万回でも好きだと言おう 11
2009/02/24
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