100万回でも好きだと言おう 12
「娘は好奇心が旺盛というか、これと思ったら何でも挑戦してみないと気がすまない性質でね
バラの育て方を学んでくるとフランスに留学して、先月やっと帰国したんだ
末の娘なもので、少し我儘に育てすぎたかと反省しているところだよ」
「あら、何でも本物を見て学べと教えたのはお父様よ」
世界に名を知らしめる会社の創業者一家に生まれた女性は華やかな笑顔を見せた。
料理を学びたいとイタリアへ、その前はドイツにも留学していたらしい。
おかげで語学は堪能だし、社交的なうえに、容姿、家柄共に申し分ない。
跡部の家が乗り気になる気持ちも分かる。
だが俺の感触では、この縁談は決定ではない。
知名度、資金力、政治家とのパイプ、どれをとっても此方よりは上の相手。
この縁談がまとまれば、日本経済に影響を及ぼすような提携も夢ではなくなる。
ある意味、双方が利益を計算しつつ進められているプロジェクトだ。
俺は選ばれる立場なのだろう。
他にも候補はいて、どこが一番の利になるか検討中というところか。
「それは頼もしい
これもわりと凝り性で趣味の幅は広いですから、気が合うかもしれません」
今まで一度も見合いに同席したことのなかった父親に「これ」呼ばわりされるのも、
俺のことを知ったように紹介されるのも、おとなげないが気分が悪かった。
表情には出さなくても愛想を振りまく気分にもならない。
聞かれたことには端的に答え、失礼がないようには振る舞う。
「景吾君は若いのに落ち着いている。さすがですな」
「いやいや、まだまだですよ」
「お父様、私たちは二人でお話をしてもいいかしら?」
食事もそこそこに席を立つ娘に、先日も経済情報誌のトップを飾っていた父親が目を細める。
娘の態度に脈があると感じたのか喜んで送り出した。
そして俺も席を立つ。
しっかりやってこいという父の視線を背に感じたのが、みょうに滑稽で可笑しかった。
手入れの行きとどいたバラの庭園を二人で歩いた。
冬枯れの庭だが、季節に合わせた他の花が植えられて見られないこともない。
バラの花が咲く時期には多くの客を集めることで有名なのだ。
その頃の美しさが想像できる庭だった。
所々で足を止め、女性は留学した成果の知識を披露してくれた。
俺も花はバラが好みだから悪くない会話だ。
「今度はイギリスで学びたいわ。庭園にも興味があるんです
だから結婚しても自由に好きなことをさせてくれる人が希望なのですけど・・・
跡部さんは許して下さるのかしら?」
口元に涼やかな笑みを浮かべた女性の目が俺を試している。
随分と率直な質問だと思った。
自分の希望を叶えられるだけの財力と度量の広さがあるなら結婚してやってもいいということか。
ふとバラのアーチに触れた女性の爪に目がとまった。
白く艶やかな手に細い指。輝く指輪と美しく塗られた爪には傷一つない。
何度も俺に差し出された手も白くて小さかった。
その小さい手は昼間はパソコンのキーボードを打ち、夜は皿を洗って酷使されている。
だから爪は短くて、指の関節が荒れていた。
しかし小さくて荒れた手は器用にミカンの皮を剥き、木に上り、一つのものを二つに分けることができた。
「知りあいに声楽をやっているものがいます
そいつも留学をしたくて、資金稼ぎのために昼夜を問わず働いている」
「まぁ、大変ですのね。お気の毒に」
心底そう思ったらしい女性の答えに俺は目を伏せた。
気の毒の一言で済んでしまう。
住んでいる世界が違うんだ、俺たちは。
俺は視線をあげ、笑顔を作った。
「あなたにそんな不自由はさせない。どこにでも行って、好きなようにすればいい」
他人が聞けば突き放したように聞こえるかもしれないが、彼女は満足げに微笑んだ。
父親の存在が俺に変わる。
彼女にとっては、それだけの違いなのかもしれなかった。
縁談は水面下で進むだろう。
事業の拡大に向けて来年の秋には挙式できるよう努力しろと、父親から念押しされて閉口したが、
あの後すぐに彼女が渡米してくれたおかげで、面倒な仕事が減った。
わざわざ海外にまで追いかけて行ってデートに誘うほど俺は暇じゃないし
相手をしないで済むのなら、それに越したことはない。
足に纏わりつくアルを撫でながらリビングに入ると上着を脱いで私用の携帯を確認する。
そこには忍足からのメールが来ていた。
またしても穴場の定食屋を見つけたという誘いだ。
他に重要なメールや着信がないことを確認して携帯を閉じた。
真正面から告白されてから、女とは連絡を取っていない。
むこうも言いっぱなしで、もう丸々十日は過ぎただろうか。
同じビルにいながら擦れ違うこともなく、このまま忘れていく存在のはずだ。
なのに俺は携帯を確認している。
アルの頭を撫でながら、その瞳に女の面影を見る。
真っ直ぐに俺を見て、あなたが好きですと言った。
面と向かって、あれほどストレートに告白されたことなど成人してから後の記憶にない。
女が飾りも駆け引きもなく告げた言葉はインパクトが大きくて、
俺は狼狽し、がらにもなく恥ずかしくて堪らない気持ちになった。
前もって告白するような雰囲気があれば、言わせないように仕向けることもできたのに
可能性を考えているうちに先制パンチを食らった感じだ。
こうなったら接点を持たないほうがいい。
実際に連絡も取っていない。
なのに俺は、あれから何も言ってこない女が気になって仕方ない。
「どうしてるんだかな」
携帯をテーブルの上に置き呟けば、
言葉の意味が分かるのか、アルが寂しそうに細く鳴いた。
更に音信不通のまま三日が過ぎた。
告白しておいて放置かよと携帯を開くたびに思う。
ビルを出ると無意識に探している姿があって、俺は何をやっているんだと溜息が出た。
なにか言ってきたら断ってやる。
そんなふうにも思うのに、肝心の女から何も言ってこない。
今さら振るためだけに俺から連絡するのも変な話で、なにもしようがなかった。
「社長、少しお休みになっては?」
秘書に声をかけられて、手にした資料から顔をあげた。
時計を見ると既に四時間も座りっぱなしだ。
パソコンの画面と資料ばかりを見ていたから目は疲労し、体も固まっているような気がする。
俺は目頭を押さえ、背にした窓に向って椅子をまわす。
西日が鮮やかなオレンジの光線となって、ブラインドの隙間から射していた。
「外に出てくる」
デスクからタバコとライターを出し、ワイシャツのポケットにねじ込み立ち上がった。
社長室のある廊下は静かだ。
昇ってくるエレベーターの音が聞こえるほどの静寂の中に俺は立つ。
今日も独りだ。
だが独りでいい。
テナントの客が使わない社員用のエレベーターに乗り込み下へ行くボタンを押す。
ひとつ、ふたつと数字が小さくなり、時々エレベーターが止まったが、
俺の顔を知っている社員たちは深々と頭を下げて乗り込んでこない。
女のいるフロアーで止まるだろうか。
俺は自然と下がっていく数字を数えていた。
5、4、3とあっさりと過ぎていった数字に肩の力が抜ける。
そうそう偶然などあるはずもなかった。
夕暮れの街は人が多い。
人を避けたいと行き場所を探せば、すぐにコンビニが目についた。
店の入り口に貼られた大きな肉まんの写真を眺め、
ふと見てしまったガラスに映る自分の姿に居心地の悪い思いをする。
俺は視線を逸らすと足早にコンビニを離れた。
この街に人のいない場所なんかない。
たくさんの人間が俺のことなど気にも留めずに過ぎていく。
そんな人間たちを上から眺め、ライターの火をつけた。
歩道橋の上で西日を眺めながら煙草をふかす。
ゆるゆるとビルの間に沈んでいく夕日は燃え落ちていくようだ。
俺は古びた鉄の手摺に背を預け、下を行き来する車の音を聞いていた。
「跡部さん!!」
その声に振り返った。
反動でくわえていた煙草が足元に落ちる。
歩道橋の階段に、真っ白のハーフコートを夕日に染めた女が立っていた。
こんなに人がいる中で、お前はいつも俺を見つけてしまう。
俺は探せないのに。
お前はいつも。
100万回でも好きだと言おう 12
2009/03/07
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