100万回でも好きだと言おう 13
俺は茫然と女を見ていた。
二週間ぶりぐらいだろうか。
なのにもっと会っていなかったような、懐かしい気さえした。
俺から視線を離さずに、残りの階段を駆け上がってくる女の黒髪が肩で跳ねる。
バタバタと音を立てる落ち着きのない足音も、やっぱり短めの切りそろえられた前髪も、
迷いもなく俺に向けてくる大きな瞳も、何もかもがという名の女・・・そのものだ。
「元気そうだな」
目の前にきた女にかけた言葉はそんなもので、なのに僅かに含まれた安堵が甘く響く。
自分の声色に内心で驚きながらも女から目が逸らせない。
「跡部さん」
早くなった呼吸を宥めるように胸を押さえた女が、囁くように俺の名を呼んだ。
何度思い浮かべただろう女の顔が間近で俺を見上げている。
その瞳は涙を湛え、今にも零れ落ちそうになっている。
俺は呆れたように呟いた。
「会うなり泣くなよ」
「だって」
やはり俺の声色は優しかった。
女の大きな瞳から涙が零れ落ちる。
一粒が落ちれば、あとは次々と零れていった。
「会いたかったから」
そう苦しげに告げると、女は顔を覆って泣きだした。
「怖くて、でも会いたくて
後悔して、不安になって、もう駄目だと思って
でも会いたかったから、会えて・・・嬉しいです」
まるで泣きながら無垢な言い訳をする幼い子供だ。
零れる涙をゴシゴシと擦る小さな手も、頬に張り付く黒い髪も、涙に濡れる長い睫毛も
どうしてこう、いちいち俺に愛しいと思わせるのだろう。
「馬鹿。泣くぐらいなら、さっさと連絡してこい」
通りすがりの人間が不審そうに見ていくから。
そう咄嗟に理由をつけて、俺は女の頭を抱き寄せて自分の肩に押し付けた。
抱きしめたんじゃない。肩を貸すだけ。
自分に弁解する時点で違う。分かっていて目を背ける。
小さな体だった。
ヒールなんか履かない女だから余計に小さい。
こんなに薄く華奢な体では声量が出せないだろうに。
触れた黒髪は艶やかで、ほのかなシャンプーの香りが優しかった。
「鼻が・・・」
小さな呟きと鼻水をすする音に、思わず体を引き離す。
鼻の頭を真っ赤にした女が指で鼻水を押さえる姿に、俺は慌ててハンカチを差し出した。
つい自分のスーツに鼻水が付いていないかと確認すれば、ハンカチを鼻にあてた女が笑う。
「大丈夫ですよ」
「まったく」
雰囲気も色気もあったもんじゃない。
それがこの女らしいと言えば、女らしい。
俺は肩の力を抜くと下に見える安っぽいカフェを親指で差した。
「珈琲ぐらい奢ってやるよ」
女は泣き笑いを見せた。
やんわりと湯気のたつカップを両手で包み、女が息を吹きかける。
目は潤み、まだ鼻の頭が赤くて、白いウサギを前にしているような気持ちだ。
お互いに何から話していいのか分からずに、ただ香りもコクもない珈琲に口をつける。
カップを包む女の指には幾つも絆創膏が貼られていて、変わらずに夜の皿洗いを続けていることが知れた。
好きだと言われて応えられるわけもない。
こんなところで向かい合って珈琲を飲んでも、女に無駄な期待を抱かせるだけで良いはずがない。
頭の中を様々な思いが交錯するのに、俺は行動を起こさずに窓の外を見ている。
「アル、元気ですか?」
珈琲の注文をしてから後、はじめて聞く声に視線を戻す。
やっと落ち着いたらしい女は、恥ずかしいのか伏せ目がちに聞いてくる。
「ああ。俺が夜中に散歩に連れ歩くもんだから、すっかり夜型生活になっちまった」
「アルにも会いたかったんだけど」
そう言って俺を見る目に女の慕う気持ちを察してしまい、今度はこっちが落ち着かない。
呆れるぐらい愛犬と同じような瞳で俺を見てくるから、後ろめたい俺は目を逸らしてしまいたくなる。
さりげなく落とした目線を白いカップに注ぎ、女の瞳から俺は逃れた。
「後先考えずに言っちゃったから」
まったくだ。
恋愛に生きてる十代みたいな告白を気安くするからこうなる。
「でも・・・好きだと思ったら、言わなきゃって思って」
つい溜息をついてしまった。
忍足に口説く気力を失わせた女は純粋というより、幼すぎる。
流されそうになった感情が立ち直るのを感じて、俺は女と視線を合わせた。
「お前、俺の何を見て好きだと言うんだ?」
「なにって」
「それなりに理由があるんだろう?」
全部だとか、格好いいとか、昔から嫌になるほど言われた理由なら速攻で断ってやる。
待ちかまえる俺に、女は恥ずかしそうに体をすくめて口を開いた。
「はじめは変わった人だなぁと思ったんですよ
浮世離れしてるって言うか、普通のことも知らないのに変に堂々としてて
そんな人、周囲にはいないし面白いなぁって」
俺からすれば、女のほうが変だ。
「でも・・会うたびに思ったんです
跡部さんは何を探してるのかなって。いつも何かを探してるみたいだったから」
意外な言葉だった。
女はカップに手を添えたまま、真っ直ぐに俺を見ている。
まったく躊躇いのない視線に俺は眉を寄せた。
「探してる?なにをだ」
「何かとは具体的に言えないけど・・・寂しそうだったから」
寂しいだと?
俺の困惑など気付かずに、はにかんだ女が続ける。
「なんかほっとけないって思えちゃって
そしたら跡部さんのことばっかり考えて
もっと笑ってくれたらいいなとか、寂しくなかったらいいなって思ってたら
いつの間にか・・・好きになってました」
カップのぶつかる音や客の囁き声が俺の沈黙を埋めてくれる。
女は自分の告白に照れたようにカップに口をつけた。
腹の底から苛立ちが湧いてきた。
こんな女に分かったようなことを言われたのが無性に腹立たしい。
「馬鹿馬鹿しい。お前の勝手な思い込みだ」
弾かれたように女が顔をあげる。
その瞳に不思議な色を浮かべているのを見て、ますます怒りが湧く。
「俺は何も探しちゃいないし、寂しくもない」
年下の女に何をムキになっているのか。
思いながらも止められない。
突然の怒りに女は一瞬怯えた表情を見せたが、直ぐに切なく目を細めた。
「跡部さん、今も辛そうな顔してる
私・・・ごめんなさい。あなたに笑ってて欲しかったのに
嫌なこと言わせて、ごめんなさい」
また涙を浮かべた女が俯いた。
途端に頭が冷えた。
いつだったか、忍足が言った。
『あまりに無垢で美しいものに手を伸ばすのって怖いやろ?
眩しすぎると目を逸らしたくなるって言うか、ここでハマったら自分はどうなるんやろうとか』
ああ・・・と俺は自分の口を押さえ、窓の外に目を向けた。
人が行き交う窓ガラスに映る俺は情けない男の顔だ。
「すまない」
窓ガラスに映る女は小さな手で涙を拭い、首を横に振る。
「泣くな。俺が悪かった」
俺は額を支え目を閉じる。
当たっていたんだ。
心の底を覗きこまれた気がして腹が立った。
お前は悪くない。
俺の隠した心に触れたのが、悪意じゃなく好意なのも分かっている。
なのに・・・傷つけてしまった。
「俺もだ。お前には笑ってて欲しい」
後悔の滲んだ俺の声に女が顔をあげた。
辛くあたっても俺を見つめる女の瞳は変わらない。
「だから、もう泣くな」
そっと手を伸ばし、女の頬に流れる涙を拭った。
きょとんとした表情。
そこからだ。
ゆっくりと花の蕾がひらくように、女が笑った。
頬に零れる涙は花びらに落ちた朝露のよう。
俺の前に白い花が咲いた。
100万回でも好きだと言おう 13
2009/03/09
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