100万回でも好きだと言おう 16
休日の午後。
待ち合わせの場所には自転車と共に立つがいた。
「なんで俺がこんな・・・」
「だってお一人様一点なんです」
「ひとりでタマゴを20個も食う気か?冗談だろ」
「ガッツリ食べますよ。安くて簡単調理の栄養満点。タマゴは万能食材です」
「分かった。なら俺が好きなだけ買ってやるから特売は勘弁しろ」
「ワンパック98円なんですよ?いつもの半額、いつもと同じ金額を支払って二倍買えるんです」
「お前・・・」
が引っ張っていくのは駅前のスーパーマーケット。
アルに会いたいと強請っておいて、行き先が特売では散歩にもなりはしない。
だいたい、たかがタマゴに並ぶなど俺には考えられないことだ。
溜息を飲み込んで胸のポケットから煙草を出す。
一本を口にくわえ、火をつけようとして手が止まった。
隣にはタマゴが確実に手に入るかと前に並ぶ人間を数えているがいる。
煙は喉によくないだろう。
俺はライターを仕舞うと煙草を戻した。
同じく特売を狙う主婦や高齢者の列にアルは落ち着かない。
タマゴが確実に手に入ると安心したは、アルの視線に合わせて身を屈めると「イイ子ね」と頭の上にキスをした。
生まれて初めて体験したタイムセール。
戦時中の配給さながら店員からタマゴをワンパック受け取る恥ずかしさといったら逃げ出したいぐらいだったが
は怯むことなく次々と割引シールの貼られた品物をカゴに放り込んだ。
他人のような顔で少し離れて見ていたが、段々と哀れになってくる。
最後は俺が支払ってやろうと思ったが、はさっさとレジに並んでしまった。
結局、俺が出してやったのはタマゴワンパックの98円だけだった。
主婦たちの熱気にあてられ、酷く疲れた気がして店を出ればアルが待っている。
アルもスーパーマーケット前の電信柱に括りつけられて人を待つなど初体験だっただろう。
小さな子供に「ワンワン」などと指をさされ、不思議そうな顔をしていた。
「で?これ、どうするんだ?」
「持って帰りますよ。散歩がてら、ちょっとだけ付き合って下さい」
家に誘う気か?
思いがけないことに俺が躊躇うのにもお構いなしで、はさっさと自転車のカゴに荷物を乗せる。
「アパートの近くに河原がありますから。荷物を置いたら、そこでアルを遊ばせましょう?」
屈託なく提案する様子に、なにを期待していたのかと苦笑する。
今日でお終い、次こそ会わない。
そうやって日々を重ねているくせに馬鹿なことだと自分でも思う。
相変わらず得にも損にもならないような日々の話を面白おかしく話す。
その声色は春の日射しを思わせるほどに明るく弾む。
いったいアパートは駅から何分歩くんだと心配になるほど遠い道のりも
の他愛ない話で厭きることはなかった。
二十分ぐらいは歩いただろうか。
ひび割れがそのままになっている古いアパートの前で、が少し待てという。
買いこんだビニール袋の音も騒々しく、は一列に並んだ鉄の扉のひとつに入っていった。
二階建ての古いアパートを見上げながら彼女を待つ。
学生時代、忍足が独り暮らしをするマンションに部の奴らと遊びに行ったことがある。
うちのクローゼットと同じぐらいの部屋だなと言って忍足を拗ねさせたが、そんなものの比ではない。
なんだかんだ言っても忍足は医者の息子だし、学生が独りで暮らすには十分な部屋に暮らしていた。
こうやって生きている人間がいる。
「お待たせしました!」
俺が見てこなかったものを教えてくれる。
扉から飛び出してきたが上から元気に手を振るから、俺も小さく手を振って応えた。
「河原まで二人乗りしていきましょう」
自転車に乗ったが力強く言った。
俺はアルと顔を見合せて、呆れた溜息をつく。
「まさかと思うが俺が後ろに乗るのか?アルはどうする」
「アルは自転車と一緒に走るんですよ。よくオジサンがやってるでしょう?」
「で、お前が俺を乗せて走ると?」
「そりゃ・・・乗せてくれると嬉しいですけど」
「お前、俺を幾つだと思ってる」
「幾つになっても自転車の二人乗りって夢があるじゃないですか
お爺ちゃんがお婆ちゃん乗せてるのなんて愛があっていいなぁって
私って女子高だったから男の人と自転車の二人乗りが夢で・・・それで・・・」
アルの頭を撫でるが、微妙に恥じらいながらボソボソと続ける。
何を考えているのかと思えば、そんなことを言い出すから笑ってしまった。
「夢の二人乗りが男を乗せたうえに犬を引きつれてってのは変だろ」
「そ、そうだけど」
顔を赤くしたがムキになって顔をあげた。
俺は錆びたハンドルに手を伸ばし、肩での体を押しのける。
「自慢じゃないが俺は自転車なんぞ数えるほどしか乗ったことがないし
誰かを後ろに乗せて走ったことなんかないからな。どうなっても知らねぇぞ」
きょとんとしたが、次には一瞬で満面の笑顔になる。
小学生並みの元気な返事で、俺に自転車を預けた。
運動神経には自信がある。
要はバランスだと言い聞かせ、自転車にトライした。
中学生の時に宍戸に乗ってみろと言われた時は簡単に乗れた記憶があるが、今日は後ろに人を乗せている。
おまけに並行してアルが走るというオマケつきだ。
ふらふらとして何度か足をつき、その度にが悲鳴をあげてしがみつく。
そんなことを数メートル繰り返したのち、なんとか自転車は真っ直ぐ進むようになった。
走り出せば簡単なものだ。
直ぐに河原の土手が見えてきて、直線に続く一本の道が浮かび上がっていた。
その道の向こうには鉄橋の向こうに沈んで行く夕日がある。
川面は鮮やかなオレンジに染まって煌めき、河原の枯草も全てが一色になっていた。
「うわぁ、キラキラしてますね」
「そうだな」
「こぐの辛いですか?」
「足をブラブラさせるな」
「すみません、つい」
後ろの人間は呑気なものだ。
そういえば樺地のこぐ自転車の後ろに乗ったこともあった。
あれはあれで楽しかった思い出だ。
「おい。・・・楽しいか?」
気温が下がってきたのか風が冷たい。
「ハイ!すごく楽しいですよ。夢が叶いました。ありがとう、跡部さん」
表情は見えなくても、の笑顔が想像できた。
心の底から嬉しそうに笑っているんだろう。
頬にあたる風は刺すように冷たくなっても、背中にあるの温もりは優しい。
「もっとデカイ夢を叶えろよ」
俺の呟きに、またが笑った気配がした。
冬の夕日はせっかちだ。
惜しむ間もなく闇をつれてくるから、俺たちが過ごす時間は短い。
藍色になっていく河原では走り回るアルだけが浮いていて、俺たちの会話は段々と少なくなっていく。
俺の隣に立つは小さくて、忍び寄ってくる冬の闇に食われていくみたいだった。
「跡部さん」
「ん?」
その声は吹く風に消されそうな声だった。
「狭いですけど・・・ウチに来ますか?」
ハッとして見下ろせば、数秒ごとに深まっていく闇に俯くがいた。
細い肩が震えている気がして目を逸らす。
子供のように無邪気でも、いい大人だ。
男を部屋に誘う意味ぐらい分かっているだろう。
「いや。帰る」
低く響いた俺の声は他人の声のように聞こえた。
一瞬は体を強張らせたが頷く。
「じゃあ・・・駅が分かる道まで送りますね」
「ああ」
俺たちの間に川を渡った冷たい風が吹き抜けていき、が凍えるように身を震わせた。
暗くなった道を二人乗りできるはずもなく、が押して歩く自転車の音がやけに耳につく。
別れの予感を感じ取ったアルは悲しげに鼻を鳴らしての足に纏わりついた。
「ここを真っ直ぐ歩いて行くと通りにでますから」
行きがけに通った覚えのある道をが指す。
ぎこちない笑顔が俺の拒絶にあると分かっていて、俺は何も言えなかった。
は道に跪くとアルの体を抱きしめて頬擦りをする。
言うなら今だと思った。
俺はお前の想いに応えられない、そう言ってやらないと。
アルを抱くのつむじを見つめながら、音を紡げない唇の歯痒さにリードを握る手の力が強くなった時だ。
が顔をあげた。
闇にも輝く真っ黒な瞳が俺を見つめた。
「ごめんなさい」
「何がだ」
「迷惑なの・・・分かってて」
瞳に涙が溢れてくる。
ああ、泣くなと願うのに
月光に照らされた瞳は輝いて、月を映した川面のようだ。
「でも・・・好きなんです」
真っ直ぐに向けられる瞳に、言葉に、俺は撃ち抜かれるしかないのか。
胸の奥にジンと響く想いを前に、俺は情けなくうろたえるばかりだ。
「わるい・・」
そっと伸ばした指が触れる頬はあたたかい。
この温もりを手に入れられたなら、どんなに満たされることだろう。
身をかがめ、の瞳にある輝きを覗きこむ。
「俺は応えてやれない」
吐息の触れる距離で告げた答えに、が切なげに目を閉じた。
せめて触れるだけの口づけを。
「もう・・・会えない」
微かに触れた唇のままで、俺は別れを告げた。
100万回でも好きだと言おう 16
2009/03/30
戻る テニプリ連載TOPへ 次へ