100万回でも好きだと言おう 17 











ここまでくると、これは忍足の嫌がらせなのではと思う。
それほどに汚いラーメン屋は触るものすべてがベトベトして、俺は出されたラーメンを食べる気になれなかった。



「食欲もないほど堪えてんのか?」
「違う。今さっき食欲が失せたんだ」



へらへらと笑った忍足は「味はええよ」と食べ始める。
隣で美味そうな音をたてる忍足を横目に、俺は渋々と箸をとった。


久しぶりに誘ってきたかと思えば、こんな店。
こっちは寝る間も惜しむほどの忙しさをぬって出てきたのにコレだ。



「新聞に会社の提携話が載ってたなぁ」
「ああ」


「ということは結婚も本決まりということか」
「・・・ああ」



ラーメンをすすりながら視線を合わすこともなく交わされる会話。
上層部だけが知っている結婚も、近いうちに社内全体へと知れ渡ることだろう。



「お前のクリニックは俺が個人で契約しているからな。社長が変わっても問題ないから心配ない」
「ということは、とうとうグループ企業の総本山に乗り込むわけやな」


「まだやりたいことがあったんだがな」



忍足が箸を止め、頭上に並んだメニューの札を見つめはじめる。
まだ何か頼むつもりかと溜息をつけば、何かを思い出すような目をした忍足が昔話を始めた。



「中坊の時や。授業で職業調べをしたの覚えてるか?」
「ああん?」


「ほら。自分がなりたい職業を調べて、みんなで発表しあうっていうやつ
 ジローが宇宙飛行士になりたいとか、宍戸が学校の先生になりたいとか好きなこと言うて調べてたやろ」


「ふたりとも下から数えた方が早い成績でデカいこと言ってやがったな」



あの頃の奴らの成績を思い出して苦笑する。
テストの度に滝や忍足たちと勉強を見てやったものだ。



「あの時は何も考えんと好きなこと言うて」
「アイドルになるってサインの練習をしてた奴もいたな」


「岳人や。今は立派な電気屋の二代目やけどな」



部室で白い紙を広げ、馬鹿馬鹿しく騒いだ光景が目に浮かぶ。



「あれ、跡部は何て書いた?」



思いがけない質問で現実に引き戻される。
箸を持ったまま隣を見れば、いつの間にか忍足の漆黒の瞳が俺に向けられていた。



「・・・忘れたな」
「嘘や。お前は白紙で提出したやろ?」



断言する忍足の口調に俺は怯む。
何が言いたい?身構える俺に忍足は、静かに・・・それでいて確実に本質をつく。



「皆が将来の話で盛り上がってる時、お前だけは何も言わずに聞くだけやった
 ひとりだけ離れた場所から眩しそうな目で俺らを見てた」


「お前、なにを」


「跡部は諦めてたんや。あの頃、既に自分の将来に対して夢も希望も持ってなかった
 あるのは目の前にある全国制覇の夢だけで、それから先の自分に対しては絶望してた。違うか?」



声が喉の奥でつまって出ない。
店内に流れるバラエティー番組の乾いた笑いが静寂から救ってくれる。


忍足の瞳がフッと和らいだ。



「先の人生は長いで?ひとつぐらい夢を見ても罰は当たらんと思うけど」
「・・・知ったようなことを言うな」



俺は他所を向いてグラスのビールを飲み干す。
冷たい液体が俺の喉と胸を焼いた。


それからの忍足はつまらないお笑い芸人の批評をばかりをして食事を終えた。





小汚い暖簾をくぐって外に出ると冷え込んでいる。
それでもラーメンを食べた体は温かい。



「じゃあな」
「これから会社に戻るんか?」


「ああ。後のこともあるからな。せっかく大きくした会社を後の奴に潰されても困る」
「大変やな。まぁ、体には気いつけて」



医者らしい心配をする忍足に手を軽く上げて背を向ける。
その背中に聞きたかった言葉がかけられた。



ちゃんな、コンクールの一次審査を通ったで」



ああ、と夜空を見上げた。
本当はのことが聞きたかった。だから忙しくても忍足の誘いを受けたんだ。



「そうか」



俺は振り向きもせず答えた。
冬の空には大きな一番星が輝いている。



「けどなぁ、難しいって言うてた。周りがみんな自分より上手に聞こえるって」
「いつものノウテンキさを発揮すりゃあいいものを」



後ろで忍足が笑う。
俺は意を決して振り返った。



「忍足、頼みがある。もしもアイツがどうしても留学をしたいと言うのなら俺が全てを出す
 その時はお前が援助するということにして行かせてやって欲しい」



ガラスの奥の瞳を見開いた忍足が、次には軽く頭を振った。



「跡部の悪いとこや。すぐに金で何とかしようとするやろ?
 そんなんされても、ちゃんは喜べへん。分かってるくせに」


「だが」



せめての夢を叶えてやりたい。



「金では買えんものがあるのは跡部が一番に知ってるやろ?」



握りしめた拳が痛い。
忍足は穏やかな笑みで別れを告げると、そのまま夜の街へと消えていった。



俺は再び夜空を見上げる。





『あ、一番星』



大きな声に空を見上げた。
ぼんやりとした小さな月が、沈む夕日を待ちかねたように現れた時だった。


は小さな手を天に伸ばした。



『月明かりに照らされたミカンって綺麗なんですよ
 空には星がピカピカ、イッパイなんです
 同じ空なのに不思議ですよね
 ココはあんなにたくさんの星をどこに隠しているんでしょう?』



がネオンの上に広がる夜空を振り仰いで訊いてきた。
俺にはこれが見慣れた夜空だが、はそれが不思議だと言う。



街が明るいからだと答えるのは簡単だった。
だが俺は言わなかった。


ポケットに手を突っ込み、と共に白っぽく煙る夜空を見上げる。
輝きの強い星だけが俺たちの頭上に見えるが、
その向こうには数えきれないほどの小さな輝きが見えなくても存在している。



まるで人と同じだ。
成功した一部の人間が光り輝く後ろには、小さな輝きを放つ無数の人間がいる。
見えはしなくても絶対に存在しているんだ。



夢を抱いて都会に出てきたも、故郷では輝く星だったはずだ。




ただ愛しかった。
夢を抱き、好きな歌に愛情を注ぐ小さな輝きが愛おしくてたまらなかった。


この手のひらに壊さないよう守りたかったのに。










数日後のことだった。


突然に提携先の会長であり婚約者の父親と彼女が会社に現れた。
跡部のグループ企業の中では小さい方である俺の社に、こんな大物が現れるとは思っていなかった社員たちが慌てる。
何を見にきたのかと俺も驚きはしたが慌てることもない。
将来の息子の仕事ぶりを見たかったと言われれば、突然の来訪も歓迎するしかなかった。


午後に予定してあった仕事はキャンセルして社内を案内する。



「勝手な父で、ごめんなさい」
「別に構いません」



耳打ちするように謝罪する婚約者に好い笑みを浮かべてみせた。


俺がここの社長に就任してからの業績は右肩上がりだ。
その点に会長は興味を持っているようで、わりと細かなことまで質問してくる。
各フロアを見たいという会長に付き合って、俺は重役を引き連れてまわった。



「四階はデータ入力が主ですから、特には」
「まぁ、雰囲気だけでも見せてもらおう」



のいるフロアには正直行きたくなかった。
だが断る理由もなければ行くしかない。
フロアの入り口で簡単に説明してと腹をくくり、俺はが働いているだろう四階に降りた。


この階は主に課長が管理し、せいぜい部長クラスまでしか顔を出さないフロアだ。
そこに社長をはじめ重役が揃ってやってきたという事態に現場はざわめく。
思わずデータ入力する女子社員たちに目を走らせたが、の姿はなかった。


今日は勤務じゃなかったか。
コンクールも近いし、毎日は出ていないはずだ。


ほっと肩の力が抜けるのを感じながら簡単に説明し、再び最上階へ戻ろうとした時だ。
秘書が押したエレベーターを待っている俺の耳に、バタバタと階段を昇ってくる足音が聞こえた。


だれの靴音とも分からないのに予感がした。
カシャカシャとビニール袋の音もする。



「なかなか立派なものじゃないか」
「・・・ありがとうございます」



会長が機嫌よく褒めてくれているのに気が削がれる。
響いてくる靴音に俺の鼓動が段々と大きくなり、降りてくるエレベーターの数字が待ち遠しい。



早く、降りてこい。



そう強く願うのにエレベーターは無情にも上の階で止まった。
同時に階段からの足音は大きくなり、俺の隣に立つ彼女が何気なく振り返る。



「あ〜、疲れ・・た」



息を切らせて階段を昇ってきた声に俺は強く目を閉じた。
自分のフロアにスーツ姿の人間が物々しく存在しているなど思ってもみなかっただろう。


もちろん俺がいるなど予想もしていなかったはずだ。



何かが落ちる音と一緒に小銭が散らばる音が重なる。



「君っ」
「す、すみません!」



誰かの叱責する声と泣きそうな声が重なる。



「まぁ・・大変」



婚約者の呟きに俺はゆっくりと目を開いた。



がいた。



耳を真っ赤にしたがコンビニ袋を手にしゃがみ込んでいる。
落とした大きなガマ口財布からは小銭が散らばり、役員たちの足元に転がっていく。
誰も拾おうとしない中、は肩を震わせながら小銭を拾う。



俺は自分の靴に当たって止まった五十円玉に手を伸ばした。



「社長、わたくしが」



焦った秘書が小銭を拾い始める。
その声に顔をあげた


俺と視線が合うと今度こそ泣きそうな顔をした。



「五十円だ」



親指と人差し指に摘まんだ五十円。
その下にがぎこちなく手を差し出してくる。
向けられた手のひらはやっぱり小さくて水仕事のせいで荒れていた。



そっと震える手に五十円をのせてやる。
微かに触れた指先から温もりを探す自分が滑稽だ。


この期に及んでまで真っ直ぐ向けられる瞳に
俺は笑ってやろうとして失敗した。



到着の音がしてエレベーターが開く。
から目が離せない俺の肘に婚約者が軽く触れた。



「エレベーターが着ましたわ」



俺はフロアに蹲ったから視線を逸らし、会長たちと共にエレベーターに乗り込む。
乗り込んで振り返ると、散らばった小銭の中では俯いていたまま床に膝をついていた。





そしてドアが閉まっていく時、床に落ちた涙を俺は見た。




















100万回でも好きだと言おう 17 

2009/03/31




















戻る     テニプリ連載TOPへ     次へ