ビター&スイート 2
「お前、俺に会うより先に行っただろ?」
電話をとるなり、話し始めた桃先輩。
このまま切ろうかなとも思ったけど、暫くは日本に居る予定だし後が面倒になりそう。
仕方なくカルビンを膝にのせて話を聞くことにした。
「どこへ?」
『どこへじゃねぇよ。だよ、!』
「桃先輩さ、いつから名前を呼び捨てするような仲になったの?」
つい不機嫌な声が出た。
俺が『』と呼んでるのに、桃先輩が呼び捨てしてるなんて腹立たしい。
『お前なぁ、六年も音信不通で文句言ってんじゃねぇぞ
俺らは皆が『』って呼んでるの
ちゃんづけしてるのなんて不二先輩と大石先輩ぐらいのもんだぜ?
つけ加えると堀尾だって呼び捨てしてるからな』
溜息が出た。
誰にでも名前を呼ばせるなんて、らしいといえばらしいけど。
「話って、そんなことっスか。忙しいんで、もう切りますよ」
『あ、怒るなよ。気の短い奴だな
とにかく、せっかく帰ってきたんだから皆で集まろうぜ
もちろんも呼ぶしよ。いいだろ?』
また溜息が出る。
桃先輩の誘いを断れないのが、また腹立たしかった。
入学当初からのことが目についていた。
透けるように色が白くて、髪も瞳も色素が薄くてハーフみたいだったから目立つ。
体も華奢で見るからに線の細い女の子だったのに、テニス部のマネージャーとして加わってきた。
その頃は乾先輩がマネージャー業を兼ねていて、
それで充分に事が足りていたから女子のマネージャーに対して誰も期待をしていなかった。
きっと先輩のうちの誰かを狙って入部してきたんだとか陰口も叩かれてたっけ。
だけどは愚痴も言わずに黙々と働いた。
誰も認めなくても、仕事がなくても、自分で仕事を見つけては動いていた。
はじめは気にも留めなかった存在が少しずつ大きくなる。
丁寧に片付けられた倉庫や揃えられた備品、綺麗に洗われたマットやタオル。
乾先輩とは違った方法で本当の裏方としては働いた。
真っ白の肌が赤く焼けた頃、手塚部長がを認めた。
それから俺が渡米するまでの数か月、いつもテニスコートの隅にはの姿があった。
ある時、自分でテーピングを巻いていたらに声をかけられた。
「越前クン、手伝おうか?」
「アンタに出来んの?」
「あ・・あの、勉強はしてるけど。ダメなら言ってね」
遠慮がちに言うと俺の前に膝をついてテーピングを巻きはじめた。
天使の輪ができたつむじを見ながら、触ったら気持ち良さそうな髪だなと思った。
艶のある髪からは甘いシャンプーの匂いがする。
そして手際よく巻かれていくテーピングは文句のつけようもない。
「どう?」
「まぁまぁ」
「そう、よかった」
が俺を見上げて笑った。
琥珀色の瞳に光りが溢れて、すごく綺麗だった。
今思えば、分かる。
だけど俺は子供で、テニスしか見えなくて。
越えるべきは山のようにあって前ばかり見ていたから、簡単なことが分からなかった。
気付けばの隣にはエージ先輩がいた。
無邪気なエージ先輩は人目もはばからずに『ちゃんが、好き』と口にする。
は困ったみたいに笑ってたけど、俺はすごく苛立った。
はエージ先輩が好きなのか、そうじゃないのか。
どっちでもいいからハッキリすればいいと腹を立てた。
なんでそんなに苛立つのか理由も分からずに、俺は二人から目を背けた。
「ね、ね、おチビも思うだろ?ちゃん、お人形さんみたいで可愛いよね」
「別に。何とも思わないっス」
「ちゃんは、おチビの趣味じゃないんだ」
「全然興味ない」
「ヨシ、ライバルがひとり減ったぁ。あとは桃だな」
エージ先輩が大喜びしているのを横目に特大の溜息をついた時、俺は部室の影でボールのカゴを抱えたと目が合った。
今の話を聞かれたと直ぐに分かった。
途端に胸の奥がキリキリと痛む。
その痛みの意味も分からず、走り去るの背中を追いかけることもしなかった。
それからは俺に近づいてこなくなる。
マネージャーとしての仕事は普段通りにしてくれるし、別に困りはしない。
ただ視線を合わせたり、ハッとするような綺麗な笑顔を俺には見せてくれなくなった。
そんな中、渡米。
親父とはグランドスラムをとるまで帰国しないと約束しての渡米だった。
がむしゃらにテニスをして、着実にランキングをあげてきた。
何度もあと一歩のところまできて逃した約束。
その度に歯噛みしながら思い出すのは、何故かのことだった。
アメリカに渡って、五年。
ランキングの上昇も頭打ちになってしまった頃、親父が渡米してきた。
説教でもしにきたのかと思えば、久しぶりに打ちにきたという。
話すより打つ方が早いっていう親父の考えは嫌いじゃないから相手した。
その途中だ。
親父が衰えを知らないショットを繰り出しながら訊いてきた。
「リョーマ。お前、惚れた女はいないのか?」
「別に、いないけど」
「それだ。それがお前の足りないところだな」
「言ってる意味が分からないんだけど。テニスと何の関係があるわけ?」
「あるある、大ありだ。男ってのはな、惚れた女がいてこそ強くなるってもんだ」
「・・・バカバカしい」
「バカバカしいもんか。なら試しに好きな女のために戦ってみろ
グランドスラムなんぞ楽勝だぜ?俺だってなぁ、」
馬鹿な親父の戯言だと思っていた。
最後にポツッと『母さんが寂しがってるし、何とかしろよ』と言われたのは堪えたけど。
好きな女のためって言われても。
そう考えた時に浮かんだのは琥珀色の瞳だ。
はどうしているだろう?
俺より僅かに目線が上だった彼女の瞳は、今ならずっと下にあるはずだ。
そう思ったら、無性に会ってみたくなった。
会うためには勝たなきゃ帰れない。
親父との約束を果たさないと帰国できないんだから。
そして渡米して六年目。
俺は一年をかけてグランドスラムを達成した。
ビター&スイート 2
2008/09/30
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