ビター&スイート 3
「おススメ、なに?」
昨夜のスポーツニュースでインタビューに答えていた人が私に訊く。
越前クンがバイト先に偶然来て会えたのと、年の離れた兄に自慢話をしたばかりだった。
『馬鹿だな。なんでサインを貰っとかないんだ?お宝だろ』
そう言って真剣に悔しがる兄の姿に、やはり越前クンは『特別な人間』なのだと気付く。
バイトの同僚や店の職人さんが騒いでいたのも、越前クンが特別な存在だからだ。
一年足らずしか同級生でいられなかったけど、私にとっては違う意味で特別だった。
才能だとか、有名だとか、そんなところじゃなくて。
「フロマージュのタルトとか」
「どれ?」
「そこの・・・」
説明を始めると、ガラスケースに視線を落とした越前クンが頷く。
前髪から覗く黒い瞳は中学の頃と変わらずに、いつも大きくて光りを宿している。
「じゃ、それでいいや。二個」
また、ふたつ。
顔をあげた越前クンと正面から視線が合った。
その瞳に久しぶりに心を見透かされそうな怖さを感じて、不自然にならないよう目を逸らす。
タルトをトレーに移すと越前クンに背を向けて箱に詰めはじめた。
視線から逃れたことに安堵しつつも、背中が気になって仕方ない。
「何曜日にいるの?」
後ろから話しかけられた。
僅かに振り向けば、越前クンはジーンズのポケットに手を突っ込んでケーキを眺めている。
ただの雑談かと私は視線をケーキに戻した。
「ここのバイト?」
「そう」
「火、水、金と土日のどっちか」
「テニス部のマネージャー辞めたんだ」
「うん。桃先輩は大学でもって誘ってくれたけど、既にマネージャーは何人かいたし
それに大学のテニス部に残ってるメンバーって少ないからね、もういいかなって」
「ふうん。もったいないね」
箱の蓋を閉めていた手が止まる。
「アンタさ、頑張ってたじゃん」
思わず振り返った。
越前クンはガラスケースではなく、私を見ていた。
真っ直ぐに私を見て、もう一度くりかえす。
「頑張ってて、いいマネージャーだっからさ」
急に眼の奥が熱くなって慌ててしまった。
誤魔化すように「ありがとう」と笑えば、越前クンがフイと視線を逸らす。
「別にお礼なんて言わなくてもいいけど」
越前クンに『いいマネージャーだった』と認めてもらえたのが本当に嬉しかった。
人を過大も過小も評価しない、物事に嘘をつかない越前クンだから信じられる。
私なりに頑張ってきたことが報われた様な・・・そんな気持ちになれた。
「お待たせいたしました」
会計をすませ、白い箱を差し出す。
受け取る越前クンの指と、また微かに私の指が触れあった。
お互いに表情を変えることもなく、箱は越前クンの元へと渡っていく。
「さんきゅ」
「ありがとうございました」
他のお客様にするのと同じように頭を下げたら、越前クンが少し笑った。
「またね」
そう言って踵を返し歩きだした越前クンは、後ろに立つ私など一度も振り返ることなく店を出ていった。
私はガラスの向こうの越前クンが消え、日常の風景が戻ってきても動くことができない。
ぼんやりと通りの向こうを行きかう人を見ながら、またねの言葉を反芻していた。
大学の講義を終えて廊下に出たら、桃先輩が待っていた。
隣には不機嫌極まりない顔をした海堂先輩もいる。
「テニス部の同窓会?」
「ほら、ウチの放蕩息子がアメリカから帰ってきただろ?だから、さ」
「越前は忙しいだろうし無理だって言ったんだが、この馬鹿がやるといって聞かないんだ」
嬉々として計画を語る桃先輩の隣で、海堂先輩は溜息混じりだ。
文句を言いながらも桃先輩に引っ張られて出欠を取っているのだから、海堂先輩も乗り気なのだろう。
「忙しいとか言いながら越前の野郎、の店にケーキを買いに行く時間はあるらしいからな」
「そうなのか?」
驚いたふうな海堂先輩に訊かれて、まぁ・・・と曖昧に微笑む。
確かに毎日のようにテレビに映っている彼だ。
来月には日本で行われるトーナメントに初参加すると話題にもなっていた。
練習も欠かさない人だろうし、確かに多忙を極めているに違いない。
そんな中で二度もケーキを買いにきた越前クンは何なんだろう。
一度目は偶然にしても、日を空けずに二度目も。
ふたつのケーキに意味があるのかなと思う。
家族で食べるには少ない。
ならば普通に考えて、誰かと越前クンが二人で食べるのだろう。
忙しい時間をぬってまで越前クンがケーキを買っていく相手と考えたなら・・・浮かぶ答えは一つだ。
「ま、ケーキを買いに行く時間があるんだから、飲む時間もある!!だから大丈夫だ!」
「待て。アイツは二十歳になってないんじゃないか?」
「へ?そうだっけか?なら、ウーロン茶を飲ませりゃいいだろ。俺らが飲めりゃ問題ない」
海堂先輩が眉をあげ、明らかに呆れていたが話は進む。
とにかく私に断る理由などあるわけもなく、日時が決まれば連絡下さいと話して別れた。
ときめいた心は、ずっと前。
クールなように見えて、ほとばしるような情熱を胸に抱く姿に惹かれた。
誰より小さな体が目も眩むような輝きを放つのを見るたびに胸がドキドキして、
なのに普段は飄々として小さなことには拘らなくて、本当はネコとか小さなもの好きだったりして。
テニス以外は全くダメだ、使えないと桃先輩たちにからかわれ、口を尖らせていた姿が可愛らしかった。
私は越前クンが好きだったけれど、彼にとっての私はただのマネージャー。
私になど興味はないとエージ先輩と話しているのを聞いてしまったことだってある。
あの時は酷く悲しくて傷ついたけれど、今はそれも懐かしい思い出だ。
マネージャーとして認めてもらえていた。
そう知ることができたのは嬉しかったから、それで充分だと思う。
普通なら会うこともできない人と中学の思い出を共有できて、名前まで覚えてもらえている。
それは幸運なんだ。
あ・・越前クンと飲みに行くなんて知ったら、お兄ちゃんがサインって騒ぐだろうな。
考えながら騒がしい廊下の窓から空を見上げる。
その日の上空は青くて、テニスコートの上に広がっていた空の色に似ていた。
ビター&スイート 3
2008/10/02
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