僕は恋をした 2










彼女の名前はといった。


さん」と呼べば、「」でいいよと言う。
クラスの男の子も呼び捨てだからと屈託なく笑った彼女の大らかさから、僕の知らない彼女の学校生活を垣間見る。
僕は少し遠慮して、彼女のことを「ちゃん」と呼ぶことにした。


拷問のような待ち時間を埋めるが如く、彼女はお喋りをした。
僕は喋り好きなエージとの付き合いが長いから聞き上手だ。
うんうんと相槌を打っているうちに、僕は彼女の事をたくさん知った。



「その大会には前大会の記録保持者が出てるの。
 私ね、膝を痛める前に練習で大会記録を上回ったの!
 だからどうしても出たい!出て、勝ちたい!」



彼女のお喋りは走ることになると更に熱を帯びる。
大きな瞳で天井を見上げる仕草に、彼女が見ているのは競技場の上に広がる青空だと分かった。



「出れたらいいね。」
「うん、とにかく早く治さなきゃ!」



彼女の笑顔には嘘がない。
心から走ることが好きで、とても楽しそうだ。
僕には彼女が羨ましく思える。



「不二クン、どうしたの?」
「なに?」


「何か考えてるみたいだったから・・肘が良くないの?」
「そんなことないよ。思ったより順調に回復してるんだ。」


「良かったじゃない。だったら、何故?」



本気で心配してる顔だね。
心の中がそのまま出てる君の表情は見てて飽きないよ。



「僕は・・君ほど頑張れないだろうなと思って。」
「頑張る?何を?」


「器用貧乏なんだよ、僕。ある程度は出来てしまうから、それ以上の努力が出来ない。
 自分でも駄目だと思うけど・・・気持ちがね、ついていかない。
 周囲が僕に求めているものを知りながら、それには応えられない僕がいる。」


「それは、」



彼女は少し考えてから、静かに口を開いた。



「ものすごく頑張って、それでも駄目だった時が怖いから・・・本気じゃなかったっていう自分への言い訳かもしれないよ?」


「自分への言い訳?」
「物事に思いっきり向き合えば、例え結果が駄目だったとしても言い訳は必要ないと思う。」


「僕は逃げてるってこと?」
「あ・・それは分からないけど。ゴメン、変なこと言っちゃった。忘れて?」



すまなそうに肩をすくめて謝る君に僕は頭を振る。
確かに当たっているのかもしれないと、僕は素直に君の言葉を受け取った。


不思議な子だ。
もしも手塚に同じことを言われたのなら、僕はどう感じただろう。



「不二クンは故障するほど頑張ってきたんだもん。全然、違うよ。」
「いや、当たってるかもしれない。僕自身が気付いてなかったけど・・・うん、そうかも。」


「ち、違うよ。ゴメン、本当にエラソウな事を言ってしまって。恥ずかしいね、ゴメン!」
「なんで?いいよ。」



恐縮しきりの彼女に笑顔が零れる。
この冬空にアイスクリームを奢るからと彼女が言い、僕らは外のベンチで震えながらバニラアイスを食べて笑った。


彼女の近くは居心地が良くて、僕は苦労せずに笑顔になれた。
いつの間にか偶然に会うのではなく、診察の日時まで合わせて予約するようになった僕達は急速に親しくなっていった。



僕のリハビリが始まれば、彼女は外来ではなく日当たりの良いロビーで僕を待つようになった。



『ドラえもんみたいでしょう?』と、おどけながら次から次へと細々したお菓子を出してくる。
冬季限定とか新発売の言葉に弱いだけでなく、ちょっとしたオマケ付きのお菓子も大好きな彼女。
僕の前に見たこともないキャラクターの人形を出してきては、勝手にカバンへ付けてしまったりする。



「あ、また勝手につける。この前、友達に目ざとく見つけられて強請られたんだよ。」
「分かった。それ、エージクンでしょう?」


「当たり、よく分かったね。」
「なんとなくね。不二クンから聞いて、お友達の特徴を覚えちゃった。」



彼女が僕の友達を把握してしまうほど話していたんだと、その時に驚いた。
テニスと同様、胸の内も明かさないのだと手塚に言われてた僕が随分とお喋りになっていたようだ。



「見て、このアメ。陽射しに透けてキラキラしてる。」
「どれ?」



ロビーのガラス窓一杯に射しこんでくる光りに、彼女がストロベリー味のアメを細い指に挟んで見ていた。
確かに綺麗そうだと僕は思い、何も考えずに彼女の肩に顔を寄せて覗き込む。


あ、と思った。
彼女に纏わりつく甘いストロベリーの香りに一瞬で意識が持っていかれる。



「ほら、ルビーみたいに光ってるでしょ?」



無邪気な彼女は僕の変化に気づいていない。
答えない僕に痺れを切らした彼女が手にアメを持ったまま、やっと僕を振り向いた。


ビックリした顔。次には何ともいえない困った目をして俯いてしまう。
君は初めて男である僕の顔を見てしまったんだろう。


勝手に手が伸びていた。
患者を呼び出す声を遠く聞きながら、僕はショートだけど柔らかな君の髪に指を通す。
そして、ゆっくりとストロベリーの香りがする柔らかな唇に触れるだけのキスをした。


とても甘い最初のキスだった。





可愛い君。
僕はカバンに忍ばせているデジカメで彼女の姿を残していく。


松葉杖を放り出し、君が葉の落ちた寒々しい木の下でクルッと回る。
枯れた黄色が満ちた景色の中で、紺色のプリーツスカートを広げて笑う君は唯々可愛らしかった。


ファインダーいっぱいに君の笑顔。



「不二クン!」



僕を呼ぶ彼女は、いつも笑顔だった。





肘は順調に回復していき、担当医からラケットを握る許可が降りた。
それを我事のように喜んでくれた彼女の膝は、いまだ回復に向かっていなかった。


部活が終わり、ロッカーで着替えをしていたら携帯が鳴った。
ディスプレーに浮かぶ彼女の名前に、僕は携帯を耳にあてながらさりげなく部室を出る。



「もしもし?」
『不二クン・・・ゴメン。今、大丈夫?』


「うん。今、部活が終わったところだから平気だよ。どうしたの?」
『今日・・・病院だったの。親も一緒に来てて・・・』


「ご両親も?」



嫌な予感がした。
彼女の沈んだ声と両親までが外来に呼ばれたと言うことに不安が胸をよぎる。



「それで?」


『膝にね、何かできてるらしいの。それが周囲の組織を傷つけて炎症が起きてるって。』
「何かって・・」


『どうしよう、不二クン。手術するって。手術したら走れないよ。ねぇ、どうしよう?』
「分かった。ね、何処にいるの?今から行くよ。」



電話の向こうで震える声が場所を告げる。
それは僕らがいつもデートする病院近くにある公園の名前だった。




















僕は恋をした2

2006.12.23




















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