僕は恋をした 3
寒々しい夕暮れの公園には立っていた。
二人でいる時には眩しい光りに包まれている公園も今日は色を失っている。
「!」
まだ呼び捨てには慣れない君の名前を呼べば、笑顔を作るのに失敗した君が顔を覆った。
かける言葉もなくて。乾いた音を立てて壊れていく枯葉を踏みしめ、の華奢な肩を抱き寄せる。
僕の胸元に額をつけた君が涙に震える小さな声で教えてくれた。
見つかったのは骨にできた腫瘍だった。
悪性の可能性があるということは伏せられて、ずっと繰り返されてきた検査。
その結果は幸いな事に良性の腫瘍だった。
両親は命の危険がないことに喜んだ。
そして今日になって本人に医師からの説明を聞かせた。
腫瘍は良性であるが場所が他に影響を与える場所にあること。
また腫瘍は場合によって悪性化する恐れがあること。
ゆえに手術が必要だということ。
手術は・・・から走るという大事なものを奪ってしまうものだった。
「腫瘍が骨の細胞に取って代わってて・・・今にも折れそうになってるんだって。
だから手術は避けられない・・・って、先生が」
「手術が成功すれば走れるんじゃないの?」
「無理よ。10センチ近く骨を切除するの。そこを固定して、少しずつ新しい骨ができるのを待つって。
走るどころか・・・歩くのにさえ長い治療とリハビリが必要になるの。」
ギュッとが僕の胸元を握るから、制服に皺ができてしまった。
それほどまでにショックを受け悲しむ君に僕は何を言えばいいのかも分からない。
嗚咽を漏らす君の背を撫でながら、僕は相槌だけを馬鹿みたいに繰り返す。
でもね、。
僕は君が走れなくなっても、命の危険がないことのほうが嬉しい。
走れなくなると泣きじゃくる君には言えなくて、
僕は黙って腕の中にある命の温もりを抱きしめる。
突然に姿を消した娘を探していたご両親が迎えに来るまで、僕はの背中をただ撫で続けていた。
「どうだい、久しぶりの感触は?」
「うん、まぁまぁかな。」
ラケットを軽く振った僕に乾が話しかけてきた。
何回か素振りをして、ふっと息を吐く。
今日からボールを打ってもいいと許可が出ていた。
だけど、正直言って僕に喜びがあるわけじゃない。
小気味良い音を立てるテニスボールを手に、雲ひとつない青空に向かって軽くトスを上げた。
不思議なものだね。
体が感覚というものを忘れていなかった。
「全くブランクを感じさせないボールコントロールだね。さすが天才・不二周助だ。」
「褒めても何も出ないよ。」
「なんだ、機嫌が悪いのかい?」
「別に。ただ・・」
「ただ?」
「こんな僕が優れていると言われるのはイイ気分じゃないだけさ。」
「不二?」
僕はイライラしていた。
ほぼ1ヶ月ぶりにボールを打ち、始めこそ僅かな感覚のズレを感じたものの直ぐに修復できた。
ボールは苦もなく思ったところへ飛んでいく。
自分でも拍子抜けしたぐらい、故障する前とそう変わらないコンディションに戻っていた。
周囲で見ていたメンバー達の声が耳に入る。
さすが、不二。
天才って称号は伊達じゃないね。
素質のある人間ってのは、怪我なんか関係ないってことか。
スゴイ。毎日練習している人間でも、あのコントロールは難しいぜ。
やっぱり、不二は天才だな。
やめてくれ!
どんなに天才だと周りから言われようと、自身の心が伴わなければ何になる?
あんなにも強く走りたがっている彼女の足が折れ、
たいした志もない僕のテニスが天才的だと言われ求められる。
それならば僕の足が折れてしまえばよかった。
僕はテニスが出来なくなっても、彼女ほどは悲しまないだろうから。
病室の前で、いつも僕は呼吸を整える。
笑顔を浮かべてから、の部屋をノックするのが癖になった。
彼女の前では作り笑いなんか必要なかったはずなのに、今は苦心して作ってるんだ。
「こんにちは。どう調子は?」
「今日も術前の検査漬け。」
がニコッと笑って見せる。僕も笑う。
「大変だね。」
「うん」
「・・・髪、伸びたみたいだ。」
「そう?」
「僕は切ったばかりだから。の方が長くなったかも。」
「ああ、そうね。」
小麦色だったの肌は、見る間に色が褪せて白くなっていた。
あんなにお喋りだった君の口数が少なくて、今は僕がお喋りしてる。
笑顔を浮かべながら短い相槌しか打てなくなってしまった君。
僕はもう彼女の前でテニスの事を口にできなくってしまった。
「そうだ。前に撮った写真が現像できたから、はい。」
「ありがとう。」
「可愛く撮れてるよ。どれかパネルにしてあげようか?」
彼女は唇に笑顔をたたえたまま、僕の写した写真を見ていた。
その笑顔が一瞬で消えた。
何だろうと彼女の肩越しに覗き込めば、空を見上げながら両手を広げたの写真だった。
「これ・・・ゴールインの真似だったの。」
「え?」
「胸でゴールテープをきるところ・・・」
なんで気づかなかったんだろう。
分かっていたら除けてきたのにと僕は後悔する。
だけど彼女は慈しむように写真を撫でて笑ったんだ。
それは今日、僕に見せてくれた唯一本当の君の笑顔だった。
「よかった、写真に・・・残ってて。ありがとう、不二クン。」
僕は上手く笑えていただろうか。
真似事だったとしても、君が最後に走る姿を僕は残す事ができた。
嬉しいような悲しいような複雑な気持ちで、僕は上手く笑えなかった。
もう君は走る事ができない。
こんなふうに青空の下で風と遊ぶような君の笑顔は二度と見られないんだ。
僕は君が本気で走るところを見たこともないのに。
「ゴメン」
「なんで謝るの?」
「何でもない。だけどゴメンね。」
「不二クン?」
僕は君のために何ができるだろう。
はじめて誰かのために何かしたいと思えたのに、僕はあまりに無力だ。
「大丈夫、私は覚悟を決めたの。だから大丈夫よ?」
「うん、分かってる。」
「不二クンが悩まないで?」
「僕は大丈夫だよ。」
「私も大丈夫」
「うん、」
何ひとつ、本当の言葉はない。
それでも君が笑う。僕も笑う。
あんなに得意だった笑顔が今は難しい。
僕達の葛藤をよそに、
手術は簡単に予定が組まれて実施された。
それは僕の誕生日近くの事だった。
僕は恋をした3
2006.12.24
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