ふたり 8










『景吾。お前も分かっているだろう?
 跡部家にとって、お前の結婚は好きや嫌いで決められるものではない。
 それはの家も同じだ。うちが欲しいと言って、もらえるものでもない。分かるな?』





噛んで含ませるように父親は言った。しかし、景吾はひるまなかった。
ぐっと瞳に力を入れて父親を睨むようにして口を開く。





『もう一度お願いします。家に申し入れてください。』





強く言うと頭を下げた。


そんな息子の姿を父親はじっと見て溜息をついた。


昔から手のかからない優秀な跡取り息子。我儘を言うこともなかった。
欲しい・・・という前に何事も与えてきたという自覚もあるが、
何かが欲しいと親に強請ったことなど記憶にない。


その息子が頭を下げてまで欲しいという。


跡部の家は動き出した。
家の娘を貰うために・・・。










景吾はそれで気を抜いた。


ひとまず手を打った。後は、を落とさなくてはならない。


が、今はそんな時間も気持ちの余裕もなかった。










100人もを越える部員のすべてを頭に叩き込んでいる部長の仕事は想像以上の忙しさだった。


中学最後の全国への道が始まる。地区大会から始まって全国まで。
春からすぐに試合は始まる。


今年は目をつけた1年生が3人ほどいるし、彼らを育てて全国まで駆け上がらなくてはならない。
団体は自分だけが強くても意味がない。
氷帝全体のレベルを上げるためにも、この冬から春までが勝負だと思っていた。





連日遅くまで部活。
その後更にクラブに通って自分の練習をする毎日。
景吾の一日は36時間でも足りなかった。










は心の奥に好きな人を秘めて生活している。
遠くからギャラリーに囲まれている景吾をそっと盗み見る毎日だ。





また背が伸びたみたい。


後ろの髪も伸びたな。美容院に行く時間もないのかも。


体は大丈夫なのかな。無理してないといいんだけど。





心の中では心配していても、ろくに話も出来ない毎日。
同じ学校に通って、家も隣なのに。
気が付けば1週間以上話していなかったりする。





どんどん遠くなる。好きって気付いてから・・・更に遠くなった。





でもいいのかもしれない。


近くにいれば、いつか自分の思いを知られてしまうかもしれないから。


離れて・・・遠くから片想いしているのがいいのかも。


後ろ向きに考えては、寂しくて心が泣いた。










「景吾様、お帰りなさいませ。」


「ああ。」


「先ほど、様がいらっしゃってブルーベーリーパイを置いていかれました。」


が?何で帰したんだ?」





玄関先で出迎えた執事に、ついイライラをぶつける。
もう随分とに会っていない。


学校の廊下で見かけはするが、声は聞いてないし、笑顔も見てなくて、
欲求不満が爆発しそうだった。





「申しわけございません。お引止めしたのですが・・・遅くなるからと・・・」





執事が謝っている横で携帯を開いて、の番号を短縮で呼び出す。
数回の呼び出しでが出た。





『もしもし?』


「てめぇ、帰ってんじゃねぇよ。迎えをやるから、すぐに来いっ」


『なに?え・・・だって。もう9時まわってる。』


「うるさいっ。ブルーベリーパイ食べるときには紅茶を入れて行けっ。すぐ車をまわすからな。」


『あ・・・まって。けい・・』





何かしゃべっていたが電話を切った。


執事は心得ていて、すでに運転手に指示を出している。





よし。これで、が来る。





自然に緩んでくる口元を誤魔化すように溜息をついて、急いで着替えることにした。










部屋で明日の練習メニューに目を通していたらノックがした。





「入れよ。」


「開けてよ。両手が塞がってるの。」





の声に心が喜んでいる。
それでも緩んだ顔を引き締めてドアを開けてやった。


が、の姿を見て景吾の眉が寄った。


トレイにティーセットとパイを持って入ってきたの髪はまだ生乾きだ。





「景ちゃん。ご飯食べてないんでしょ?先にパイ食べていいの?」


「お前、髪が濡れてんぞ。」


「・・・仕方ないでしょ?お風呂出たところで電話がかかってきたんだもん。
 髪を乾かす時間がなくて。」


「バカッ そういうことは早く言えっ」


「言おうと思ったら景ちゃんが電話を切ったんだもん。」


「・・・ちっ」





話しながら近くのテーブルにティーセットを並べ始めた彼女から、
お風呂上りの柔らかな花の香りがした。





くらっ・・・とする。





香水を身に纏った女達の香りとは明らかに違う。


景吾にとっては彼女の石鹸やシャンプーの香りのほうが、よっぽど胸にくる。





風邪をひかせるとマズイな。





「あっ、景ちゃん。どこ行くの?紅茶が冷めちゃう。」


「すぐ戻る。」





ふらっと出て行った景吾の背中を見つめながら、もホッと息を吐いた。


景吾に会いたくてパイを焼いた。
ほんの少しでも顔を見て、一言二言でも話せたらいいな・・・と期待して。


けれど景吾は帰ってなくて。
遅いし・・・待つのも躊躇われて帰ってきたのだ。


お風呂に入っても景吾のことばかり考えていた。


邪な思いでパイを焼いて。よく考えれば、みえみえで・・・嫌なやり方だ。
自分で自分が嫌になって落ち込んでいるところに景吾の電話がかかってきた。


この短い距離に本気で車をよこしてきた景吾。
だから断わることも出来ずに乗ってはみたものの、ずっと心が重苦しかった。
望んだようになったのに・・・なんだか後ろめたくて。





景ちゃんが戻ってきたら・・・おやすみ言って帰ろう。





そう心に決めて。いつものソファに座ると溜息をつく。


ここは好きな人の部屋。


当たり前だけど景吾の匂いがする。





この部屋に・・・彼女を連れてきたりするのかな?





ふと思ったら胸が痛くて、苦しくて・・・たまらなくなった。





駄目だ。やっぱり早く帰ろう。





そう考えたとき、ドアが開いて景吾が入ってきた。
手にはドライヤーを握っている。





「髪、乾かさねぇと風邪ひくだろ。」


「ううん。大丈夫だよ。あの・・・もう帰るし。」


「帰る?帰すと思ってんのか?ああ?」





立ち上がったの隣まで歩いてくると、景吾はの肩を押さえ込んで座らせる。


あ・・・いや。と身じろぎするを目で制して、コンセントにさすとスイッチを入れた。





「け・・景ちゃん?」


「じっとしてろ。やけどするぞ。おら、そっちに寄れよ。俺が座れないだろ?」





の肩を小突いてスペースを開けさせるとソファの上に膝を付いて景吾は髪を乾かし始めた。


手触りのよい、しなやかな髪に目を細めながら髪を乾かしてやる。





始めは「やめてくれ」と慌てていたも。黙ってろの一言で静かになった。


緊張しているのか・・・肩をすくめて小さくなっていた彼女。


が・・・そのうちに体の力を抜いてきた。


そっと覗き込んだら、は少し頬を染めながらも気持ち良さそうに目を閉じている。





女の髪を乾かしてるとこなんて。他の誰にも見せられねぇな。





思いながらも悪い気はしない。というか、むしろ幸せな気持ちだ。


髪を乾かしながら意識して触れる耳や首筋に、胸がときめく。










        ・・・好きだ。


        景ちゃん・・・好き。










心の中に溢れてくる想いは、ドライヤーの音にかき消されてお互いの耳には届かない。





だが。景吾の我慢も限界だった。





ドライヤーが止まり。は、ゆっくりと目を開いた。


後ろの髪を乾かすからと、ソファに斜めに座って景吾に背中を向けている。


ありがとう・・・と言って後ろを振り向こうとしたとき。


背中から手が伸びてきて体を包まれた。





「けっ、景ちゃん?」


「疲れてんだよ。ちょっと、抱きしめさせろ。」


「で・・でもっ」


「動くなっ。黙ってろっ」


「・・・・・・。」





何が何だか分からないが、背中から抱きしめられている。


長い腕が自分の胸で交差されて肩を包まれる。


髪を梳かれて力が抜けていた体が一瞬で固まり、
体中の血液がもの凄い勢いで全身を駆け巡る感覚。





景ちゃん、どうして?





聞きたいのに聞けなくて。
景吾に聞かれてしまいそうな鼓動が頭に響いてくる。


背中にピッタリ引っ付いた景吾の体は温かくて。


甘えるように頬を髪に寄せてくる景吾の仕草が優しくて。


まるで愛されているような錯覚を覚えてしまう。










景吾はの充電中。


目を閉じて、に触れ、香りに酔い、ぬくもりに甘える。


が何か聞いてくれば正直に「好きだ」と告げてもいい。










        キス・・・してえ。





        しちまうか?










部屋に満ちる甘ったるい雰囲気に、景吾はすっかりその気になっていた。










コンコン。ノックが響く。


が弾かれたように顔を上げて身をよじった。


そして景吾の腕から抜け出してしまう。





「景吾様。様のほうからお電話がありました。
 様は私どもがお送りしますとお返事いたしましたが・・・よろしかったでしょうか?」


「ああ。それでいい。」


「あのっ、私・・・もう帰るからっ」





ドア越しの会話に、が口を挟んで立ち上がった。


咄嗟に景吾はの腕を掴んだ。





「帰るのか?」


「うん。遅いし・・。ごめ・・ん。」





下から見上げてくる景吾の瞳がいつもと違っていて、はまともに見られない。


目をそらしたまま景吾の手に触れて、そっと・・・外した。





「じゃあ・・・おやすみ。」


っ。」


「ん。」


「また、来いよ。」


「・・・・うん。」


「おやすみ。」





諦めたように景吾が息を吐きながら別れの言葉を口にした。


は景吾の顔を見ないままドアに手をかけて廊下に出る。





ずっと胸がドキドキしている。





今のは・・・なんだったの?





混乱した頭。何故か膝に力が入らなくて階段でよろけてしまった。










跡部家の車に乗るとき、無意識に見上げた景吾の部屋。


バルコニーに景吾が立って、を見ていた。


目が合って。でも・・・何も言えず。


ただ燃えるようにキツイ瞳で見つめてくる視線が痛くて・・・


は黙って車に乗り込んだ。










小さくなるテールランプを見送った景吾は、目を閉じて夜の空気を吸い込んだ。





少しはお前に近づけたか?





次は・・・逃がさないぜ?覚悟しな。










クッ・・・と景吾の笑いが夜風に紛れていった。



















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