柔らかな春の陽射し。
海は沖まで鏡のように輝いている。


波も穏やか。
うららかな午後・・・という風景。


景吾が笑っている。
彼が体を低くして視線を合わせるのは、小さな男の子。


ああ・・・この子。生まれてくる子供だ。
頭の中で思う。


夢だと分かっていながら見ている感覚。


声は聞こえない。子供の顔もよく分からない。
けれど景吾の笑顔だけは、はっきりと分かった。


楽しそうに何事か話している二人。





なんて幸せな夢。そして・・・なんて残酷な夢。





「・・・。」





遠くで声がする。意識が段々浮上して、覚醒したくないと心が足掻く。


けれど幻は消えてった。
柔らかな陽射しに解けて。





うっすらと目を開けると、心配顔の祖母が覗き込んでいた。





「そんなとこで、うたた寝してたら風邪をひいてしまうよ?大事な体なんだから気をつけないとね。」


「おばあちゃん・・・ありがとう。」





いつの間にか自分にかけられていた毛布を手に起き上がった。


一緒にひとしずくの涙が落ちる。


ハッとして頬を拭った。泣きながら夢を見ていたのだ。
祖母は黙って温かいお茶を淹れている。


何も言わないでいてくれる祖母がありがたかった。


今日は健診。
祖母の家の近くで見つけた産婦人科にかかる。


感傷に浸っている場合ではない。子供を一人で守っていくのだから。
心に言い聞かせて、空を見上げた。


夢と同じ。雲ひとつない、よいお天気だった。










到着ロビーで景吾を待つ片岡の表情は暗かった。


昨夜の景吾の状態を思い出しただけで溜息が出る。
電話ではなく面と向かっていたのなら、間違いなく殴り飛ばされていただろう。


社長の怒りも治まらなかった。


それはそうだろう。
息子が勝手にほぼ決まっていた婚約をぶち壊してしまったのだから。


今、本社内は混乱していることだろう。





上海は、サン関連の仕事だった。
行かせたのは社長だ。
絆を強めるためにサンに関わらせたいのと、結婚相手の娘とも会うよう指示を出しての事だった。


不機嫌な顔をしながらもおとなしく指示に従った景吾に、片岡も胸を撫で下ろしたのだった。


だが、片岡は上海への同行を景吾に拒否された。
日本に残るよう言い渡され、彼は若い第二秘書を伴って出発してしまった。


景吾に不信をかっている今の状況では仕方ない・・・と思いながらも複雑な心境だった。
が、日本に片岡が残っていることを知った社長から、嫌な仕事を与えられた。


それが、を遠ざけることであった。


もうそろそろ、景吾を乗せた飛行機が第ニターミナルに到着するだろう。
この時間になっても片岡は迷っていた。





ポケットに入ったままの合鍵と指輪。
そして、もうひとつ。片岡が偶然見つけてしまった病院の診察券。


を見送った後、すべての片づけを確認していて・・・偶然見つけてしまったゴミ袋の中の文字。


『塩谷マタニティクリニック』と書かれていた。
ハサミで切断された診察券。裏を見たら初診は今月だ。


別に彼女が妊娠しているという証拠にはならないだろう。
どこか別に具合が悪くて受診したのかもしれない。


そうは思っても、予感がして・・・片岡は落ち着かなかった。


そして、病院に出向いたのだ。
窓口で調べてもらえるよう頼んだのだが・・・
プライバシーに関わることだから告げられないと断わられた。


だが、だてに長く秘書を続けているわけではない。


家出した妻で、やっと居場所を掴んでここまで辿り着いた。
多分自分の子供を妊娠しているはず・・・等々、でまかせを並べ立てた。


とうとう医師まで引っ張り出してきた。
困り顔の医師がカルテを広げたとき、チラッと見えた文字を即座に記憶する。


結局受診した日にちだけしか教えてもらえなかったが、もう充分だった。





テストパック(+)
ss9w FHB(+)
EDC 00.08.28





病院を出るとすぐにメモを残し、その足で友人の医者を尋ねた。





妊娠反応 あり
妊娠9週 胎児心拍 確認
分娩予定日 8月28日





片岡は薄闇になった歩道を歩きながら胸が潰れそうだった。


最後まで、一言も妊娠について触れなかった彼女。
子供はどうするつもりなのだろうか?


産んでも、産まなかったとしても。


どちらにしても、自分はとんでもない罪を背負ってしまった。
目の前が暗くなるような気持ちで帰った。










上海便が到着したアナウンスが流れて我に帰る。
もう、時間がない。


真実は自分だけが握っている。


あとは、それを伝えるかどうか。





片岡は睨みつけるかのように到着の案内が流れる電光掲示板を見つめた。










見慣れた風景を小窓から見下ろす。
空港には片岡が待っているだろう。


昨夜のやり取りを思い出して、景吾は眉間に皺を寄せた。


とにかく、恋人を取り戻さなくてはいけない。
そのためには・・・顔も見たくないが片岡から真実を聞き出すしかないのだ。





『彼女はアパートを引き払いました。鍵と指輪をお預かりしております。
 それ相当の小切手もお渡ししました。彼女は納得して身を引かれたんだと思います。』





らしくない深夜の電話があった翌日。
何か引っかかった景吾は何度もに電話をしたのだ。


けれど、一切通じない。
午後には『現在使われておりません・・・』というアナウンスに換わってしまい、
さすがに景吾もただ事ではないと気付いた。


片岡に電話をしても知らぬ存ぜぬ。社長は捕まらない。仕事も終わらない。


とにかく、計画したことを実行するしかない。


逸る気持ちを抑えて、景吾は当初の計画通りに物事を進めていった。
仕事は必ず・・・完璧に成功させる。
尾田の娘に会いに行き、直接断わる。


縁談を破談にするには、社長や幹部の目が届きにくい海外が一番だと判断した。
幸いなことに、未来の婿がやってくる・・・というので尾田社長も上海に顔を出した。


そして、景吾はすべてをやってのけたのだった。


景吾のおこした行動は、直ぐに本社に伝えられた。
サンからは『業務提携白紙』の連絡が速攻で送られてきた。


慌てた片岡が連絡を寄こして、そこで初めての決断を聞いたのだった。





腹立たしかった。怒りのままに片岡を責めて電話を切った。
でも、その夜・・・寝ないで考えたことは。


すべては自分が悪いという結論だった。


なぜ、もっとアイツに正面から向き合わなかった?
抱きしめて、傍にいて。なのに、肝心な言葉を与えてやれなかった。


を失うことばかりを恐れて、現実を告げずにうやむやにしてきた。
人の心に聡い彼女が、それに気付かぬはずがない。


それでも不安を口にしなかったのは、が覚悟をして自分の傍にいたということだ。
だから、あっさりと思えるほど綺麗に身を引いたのだろう。





俺は・・・アイツの何を見てきたんだ?










          ねぇ・・・景吾。声を聞かせて?


          そうよ、寂しくて泣いてるの。だから、声を聞かせて?


          ・・・愛してるわ。心から。


          ・・・ありがとう。景吾。忘れない。












きっと、泣いていた。今なら分かる。


景吾はワイシャツ姿のままベッドに座り、明けてくる空を見ていた。
オレンジが空を染めていく。





綺麗だな。





ふと、思えた自分が可笑しくて笑ってしまった。
と出会うまで、そんなことを感じる心がなかった。
夜明けの空は何度も見たが、夜が明けるという事実しか見ていなかった。


花の香り。繊細さ、美しさを教えてくれたのも
心に降り積もるような愛しさを与えてくれたのも


すべてに・・・生きている意味を与えてくれた。大切な人。





愛した女と生きること。それは当たり前のことなんだとよ。


分かるか、


愛した男と生きるのも、当たり前のことだろう?


だから、俺は逃がしはしない。





心に決めて立ち上がった。


今日が帰国。戦いは・・・これからだ、と。





そして、到着した日本。





景吾は胸いっぱいに、彼女のいる日本の空気を吸った。




















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