次の土曜日。
そろそろ店じまいを・・・と思ったところに、また声がかかった。



『おい、来てやったぜ。』 顔を上げれば、あの日の客。


『はい。お待ちしてました。』



は微笑んだ。そう本当に待っていた。
気にしないフリをしながら・・・どこかで待っていた。


の微笑みに、景吾も目を細めて笑った。





それから毎週のように男はやってきた。
何度目かの夜。



『腹減ってんだ。付き合えよ。』



やっぱり片づけをしている頃にやってきた景吾に誘われた。
躊躇わなかったといえば嘘になる。


でもは頷いた。
頷かずにいられなかった。


いつの間にか土曜日がにとって特別な日になっていたから。



『お前がよく行く所に連れて行けよ。』



そう言われて、お気に入りの定食屋に連れて行ったら呆れられた。
仕事の後に寄る安くて家庭的な店。
どっしりしたオバちゃんが営む陽気な店には、
仕事帰りのサラリーマンやタクシーの運ちゃんで混んでいる。



『お前、女ひとりでこんなところに出入りしてんのか?』


『うん。なんで?ねっねっ、何食べる?おばちゃん、今日のおすすめ何?』



マジマジと見つめてくる景吾に苦笑しながら、オバちゃんおすすめのサバミソ定食と好物のコロッケ定食を頼んだ。
やってきたふちの欠けた食器に本気で嫌そうな顔をした景吾だったが、サバに箸をつけてを見た。


美味しいでしょ?目で問えば、フンっと顔を背けてパクパクと食べ始めた。



『おい。そっちのコロッケも寄こせよ。』


『いいけど。じゃあ、そっちのお新香一切れ頂戴。』



狭いテーブルに額を付き合わせ。
野球中継の解説とおじさんたちの笑い声が響く店で食べる定食。
二人でいるだけでいつもの何倍も美味しく感じた。



『お前。名前は?』



食事の合間にさりげなく聞かれた。
そういえば、名前さえ知らない人と食事をしてたんだと可笑しかった。



。あなたは?』


『俺は・・・跡部景吾。歳は、いくつだ?』


『女に歳を聞くの?』


『俺は27。』


『うそっ!同級生だわ。』


『マジか?どこの学校だった?』



思いがけず同級生だった二人。
景吾はをもっと年下だと思っていたし、は景吾を年上だと思っていた。


出身校は違っても話が弾む。
時間は瞬く間に過ぎていった。


店を出て別れるとき。
景吾が携帯を出してきた。



。お前の番号、教えろよ。』



・・・と名前で呼ばれたことに吃驚していたら。



『俺のことは景吾でいいから。』 と言われた。



景吾が番号を簡単に打ち込むと、すぐにの携帯が鳴り始める。



『それが俺の番号だ。登録しとけよ。』



ニヤッと笑うと、じゃあな・・・と背を向ける。
着信履歴の残った携帯を握り締め、は景吾の背中が見えなくなるまで見送った。





そして。出会った雨の日から4ヶ月も過ぎた頃。季節は夏になっていた。



「もしもし?」


『俺だ。お前、この台風に店だしてねぇだろうな?』


「いくらなんでもねぇ。今日は臨時休業よ。明日は定休日だから久しぶりの連休。」



携帯を耳に当てながら窓の外を見る。激しい風雨がガラス窓を叩いていた。



『なら、いい。今から迎えに行く。家、どこだ?』


「ちょっと、台風よ。」


『休みなんだろ?俺も台風のおかげでレセプションが潰れて時間が出来た。
 おらっ、さっさと言えよ。』



20分後に着く。



そう言ったとおりに彼はやって来た。
古いアパートの前で風に吹き飛ばされそうになりながら待ってたの前にシルバーのポルシェが止まった。



嘘でしょ?



左側の窓があき


「濡れるぞっ、さっさと乗れよっ」  と急かされる。


仕方なく助手席に滑り込んではみたけれど。一瞬のうちに濡れてしまった。
初めて乗った外車は居心地が悪くて困っていたら、すっと手が伸びてくる。


濡れた額に景吾の手が触れて、体がビクッと跳ねた。



「な・・・何?」


「お前は出会った時から雨に濡れるのが好きな女だな。」


「好きで濡れてるんじゃないもの。」


「そうか?」



話しながら近づいて来る景吾の顔。


どこかで分かっていた。こんな日が来ることを。


額に触れていた手は滑り落ちていき、そっと持ち上げられた顎。
は自然に目を閉じた。


ゆっくりと重ねられる唇に・・・



ああ。この人が好きだ。



と、は思った。






車が向かった先は景吾のマンション。
一等地に立っている高級マンションの最上階だった。



「ねえ、あなたは・・・何者?何をしているの?」



問う言葉は、すべて彼の唇に飲み込まれていく。
それでも知りたくて。



「何者でもないだろ?俺は跡部景吾。お前にイカれちまった男だ。」



それだけが返ってきた言葉。
他にも聞きたいことはたくさんあったのだが、そんな余裕はすぐに奪われて。



気がついたときには台風が過ぎ去っていた。





目覚めれば広いベッドに独りの自分。誰の気配もない。
ノロノロと起き上がり周囲を見渡すとベッド脇のテーブルにメモと1万円札が置かれてあった。





   『すまない。朝一番から会議があるから先に出る。お前は好きなだけ寝てろ。

   シャワーでも何でも好きなように使っていい。帰る時にはメールしろよ。

   鍵はすべてオートロックだ、そのまま出てくれ。家まで送ってやれないからタクシー呼べよ。』





走り書きでも綺麗な文字。1万円札はタクシー代のつもりなのだろうが。
千円で充分の距離。



あの人・・・1万円札しか持ってないんじゃないよね?



そんなことを思いながら、景吾の匂いがするシーツにもう一度潜り込んだ。



結局、が部屋を出ようとしたときには昼過ぎになっていた。





   『今から出ます。シャワーだけ借りました。ありがとう。タクシー代はいらないわ。

   もう電車が動いてるもの。また夜にメールします  』





メールを送信して外に出たら台風一過だった。
湿度も高いが、空は真っ青。雲ひとつない。


大きくひとつ深呼吸。


体の中が満たされているのに気付いて・・・自然と笑顔がこぼれた。



『好きだ・・・。あの日。一目ぼれだったのかも・・・しれねぇ。』



遠のく意識の中。確かに、景吾の囁きを聞いた。



うん。それは・・・私も同じ。好きよ。



眠りの沼に引きずり込まれながら思ったこと。ちゃんと言葉に出来ていたかしら?



曖昧な記憶に苦笑いを零しながら駅に向かった。



ふいに流れてきたメールの着信音。恋人からのメールだと知らせてくれる。





   『なんだ、帰るのか。そのままいりゃあいいのに。お前、俺には遠慮するなよ。

   絶対にだ。とにかく仕事が終わったら電話する。気をつけて帰れよ。』





彼らしいメールに、また笑って。
は歩き出す。





道端に咲いた向日葵が日を浴びて輝いていた。




















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