
「専務。K社との会食は土曜の夜でいかがでしょうか?」
「いや、別の日にしてくれ。土曜の夜は何も入れるな。」
「では、週明けでも宜しいですか?」
「ああ。」
書類に目を通していた手を止めて、考える素振りを見せた若い専務に秘書は目を細めた。
「専務、何かいい事でもございましたか?」
「なんだ?」
「最近・・・なんとなく雰囲気が変わられたような気がして。」
「フン。気のせいだろ。おい、企画の大山を呼べ。これじゃあ、話にならねぇ。やり直しだ。」
「かしこまりました。」
秘書が仕事の顔に戻って部屋を出て行った。
閉まったドアに溜息をついて、手にした書類を机に投げ出す。
雰囲気が変わった・・・か。
フ・・と笑みがこぼれた。
土曜の夜は大切な恋人と過ごす時間。
仕事の終わったをさらって、そのまま一夜を過ごすのが最近の週末になっていた。
おまけに。今週末はの誕生日と重なっている。
絶対に、この土曜だけは死守しなくては。
そう思っている自分が可笑しい。
今まで、これほどまでに想った女がいただろうか。
跡部グループの跡継ぎとして、この若さで専務の職についている。
息子というだけで職を与えられた無能者と言われるのは我慢出来ない。
表向きはシラっとした顔を見せながら、裏では努力をして恥じない仕事をしてきたつもりだ。
はじめは陰口を叩いていた役員達も、いつの間にか若い専務を信頼し、ついてくるようになった。
そのために。女になどうつつを抜かしている暇がなかったというのも本当。
遊びでは思い出せないくらい女達と付き合ってきた。
仕事のために好きでもない女と割り切って付き合ったこともある。
が、誰一人。本気で『好きだ』と思える女に出会ったことはなかった。
女は道具。そう思われても仕方がないような生活を送ってきたのに。
まさか、こんなところで恋をするとは思ってもみなかった。
は花だと思う。
それも決して高価な花ではない。
けれど、清楚で美しく・・・優しい花だ。
風が吹けば、柔らかく揺れて。
雨が降れば、それをそっと受け止める。
飾らず。素直に。
あるがままにある美しさ。
『景吾。大好き。』
腕の中で、はにかんだように呟く彼女。
おいおい、27の女が・・・んなに可愛くていいのかよ?
揶揄しながらも抱く腕の力が強くなる。
『愛してる』
まさか自分の口から、んな甘っちょろい言葉が滑りでてくるなんて。
どうかしている。
それでも、愛しさは止まらない。
が欲しい。を一生、自分のものにしておきたい。
だが、景吾はまだに話していないことがあった。
自分が日本でも有数のグループ企業。
跡部グループの将来を担う人間であること。
はごく普通の家庭に育ち。高卒で花屋を始めている。
景吾の名前を聞いても、跡部グループとは全く関連付けて考えられなかった。
が、だからこそ。
景吾に何の先入観も持たずにいる。跡部景吾という一人の男を愛しているだけだ。
を自分のものとしたら。否が応でも、彼女は企業の波に飲まれるだろう。
自分の母親を見ても、トップの夫人がいかに大変なのか分かる。
嫌な奴にも笑顔を見せて、下げたくもない頭も下げなくてはならない。
汚い裏の仕事だって・・・。
それに、学歴も後ろ盾もないを妻にしたら。
彼女はどんなに苦労するだろうか。
これだけ大きな組織になると、色々な奴が足を引っ張ろうと虎視眈々と狙っている。
自分は何を言われても平気だが、はそうもいかないだろう。
花を愛して、ただ純粋な心で生きている恋人に背負わせていいのか・・・
思考はいつもそこで止まる。
いつかは手放さなくてはならないのかもしれない。
そう思っただけで胸がひどく痛む。
手放すのなら、お互いに・・・傷が浅いうちがいい。
分かっているが、そんなこと出来るはずがない。
を愛しているのだから。
「宜しいでしょうか?」
ドアの外。秘書の声に、飛んでいた意識が戻る。
「ああ。」
また机の上の書類を手にして、景吾は専務の顔に戻った。
土曜日はの誕生日だった。
ドレスアップして来い。と言えば、服がないし・・・と躊躇うから。
まずはブティックに連れて行って店員に服を選ばせた。
は泣きそうな顔で遠慮して見せたが
『誕生日なんだから黙って受け取れっ』と景吾が一喝して静かになった。
淡い水色のワンピースはシンプルだったが、清楚なによく似合っていた。
下手にアクセサリーをつけるより、パールのイヤリングとネックレスで充分に美しい。
綺麗なに満足して。予約客しかとらないという静かなレストランに連れて行った。
上品にライトアップされた中庭を見下ろしながらの食事。
は落ち着かなさそうにしている。
「ねぇ、景吾。ここって・・・高そうよ。大丈夫なの?」
「バカッ。ムード壊すこと言ってんじゃねぇよ。うっとりしてろっ」
「うっとりはしてるけど。景吾が借金に追われるようになったら大変だし。」
「クッ・・・お前マジでいってんのか?」
「だって」
「心配しなくても、俺様はそれなりに稼いでる。お前が心配するようなことはねぇんだよ。」
落ち着き払った顔で食事を口にしていく景吾をはじっと見つめた。
この人は・・・何をしているの?
恋人なのに。肝心なことを教えてもらえない。それが・・・寂しい。
「ねぇ、お願い。ちゃんと話して。あなたは何をしているの?何故、教えてくれないの?」
「・・・・。」
「私・・・あなたのことを知りたいのに。私には教えられない?」
さっきから食の進まない。
景吾は迷った。すべて真実を告げるか?だが・・・
「俺は・・・ある会社の跡継ぎだ。だから、ある程度は金が自由になる。それだけだ。」
「・・・・ひょっとして結婚してるの?」
「はぁ?んなわけないだろっ。どこからそんな・・・?」
は顔を覆った。細い肩が震えている。
「あのマンション・・・本当の家じゃ・・・ないでしょう?それぐらい分かるよ?
あなた・・・大事なことを何も教えてくれないから。すでに・・・家庭があるのかな・・・って」
「お前。んなこと考えて・・・俺の傍にいたのか?」
確かに。あのマンションは景吾の隠れ家的マンションだった。
仕事で遅くなったときや独りになりたいときに使っているマンション。
普段は郊外にある跡部家に帰っている。
生活の匂いがしない部屋に。いつからかも気がついていたのだろう。
「あなたが・・・普通のサラリーマンじゃない事だって分かった。
付き合えば付き合うほど・・・私が愛していい人じゃない気がして・・・」
初めての朝から。もう数え切れないほど、景吾のマンションに泊まった。
ただ幸せだった週末のデートも。回を重ねるごとに見えてくる景吾の背景に・・・は怯えた。
二人で過ごしていても頻繁にかかってくる電話。
仕事の電話に対応する景吾の様子に、彼が人に指示を出す立場であることを知った。
いつ行っても美しい部屋。問えば、毎週ハウスキーパーが入ると言う。
愛車のポルシェ以外にも、黒塗りのベンツで現れたこともある恋人。
普通のサラリーマンでは考えられない。
仕事や家族について質問しても、いつもはぐらかされて。
まともに答えようとしない景吾に不安が募った。
でも、聞けなかったのだ。
景吾を愛しているから。彼を失いたくなくて・・・聞けなかった。
もし、家庭のある人でも。気づかないフリをしてでも傍にいたかった。
景吾と別れたくなかった。
顔を覆ったまま泣いているを見つめてから、景吾は一度目を閉じた。
もう・・・手放せねぇ。
ポケットに手を入れて、誕生日プレゼントを取り出す。
静かに席を立ってテーブルをまわり、泣いているの左手首を掴んだ。
頬に流れる涙もそのままにが顔を上げると、優しい微笑を浮かべた景吾がいた。
「。悪りぃ。お前に・・・辛い思いをさせたな。心配するな。
お前は・・・絶対離さない。お前は・・・一生俺のものだ。」
いいながら。
左手の薬指にはめられていったのはプラチナにダイヤモンドが埋め込まれているリング。
「景吾・・・」
「いいか?何があっても・・・俺から離れるなよ。」
言い聞かせるように強く言って。輝くダイヤモンドにキスを落とした。
は言葉もなく頷く。
誰もいない個室。
二人は誓いのようにキスを交わした。
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