
はビルを見上げて息を止めた。首の後ろが痛くなるほどに見上げた高層ビル。
前面ガラス張りのビルは鋼のような硬質の輝きを放っていた。
「これが本社ビルだ。」
景吾が感情のない声で告げた。
それは跡部グループの中枢を担う本社ビルだった。
圧倒的な存在感で一等地にそびえている。
今さらビルを見て驚くことはない。
何故なら、が店を出していたのは・・・この本社ビルの前だったから。
本社前は広場になっていて、近くには弁当屋などのワゴン車も出ていた。
「この最上階に俺のオフィスがある。だから・・・お前に出会った。」
は言葉が出なかった。
今、隣にいる恋人が・・・跡部グループの専務。
いずれはグループの頂点に立つ人間。
私は?私は、ただの花屋。
普通の家庭に育ち、可もなく不可もなく生きてきた。
ワゴン車一台であっても、夢の城を持って頑張ってきた自負はあるけれど。
あまりにも住む世界が違う。
普通なら・・・出会うこともない人。
景吾は苦い思いでの横顔を見つめていた。
名を知って近づいて来る女なら泣いて喜ぶだろう、跡部というブランド。
だが、にとっては戸惑いと怖れしか感じられないだろう跡部という名前。
初めて愛した女。
その彼女に自分の素性を明かした。
怖い。彼女は離れていくかもしれない。
それに・・・俺は耐えられるか?
を知り。
初めて感じる愛する人を失うかもしれないという恐怖。
景吾の握り締めた拳は知らずに白くなっていた。
が下を向いた。そして、ひとつ息を吐く。
「ねぇ、ひとつだけ聞いてもいい?」
「何だ?」
景吾の声にが顔を上げる。
彼女の瞳は涙に揺れていて、景吾は別れの言葉を予感して心が凍る。
だが・・・の問いは景吾の予感とは違っていた。
「景吾は・・・私でいいの?」
景吾は一瞬瞠目したが、次にはフッと息を吐いて微笑んだ。
「バーカ。俺は、お前がいいんだよ。」
「私も・・・私は跡部景吾という人を好きになった。景吾だから・・・好きなの。
だから・・・私の気持ちは変わらない。」
言いながら、の頬に涙が滑り落ちていった。
そんなに景吾が出来ることは。
華奢な体を抱き寄せて、力いっぱい抱きしめる。
首筋に顔を埋めて呟く言葉。それは、まるで祈りを捧げるように。
「お前は、俺が何をしてでも守ってやる。だから・・・ずっと俺の傍にいろ。頼む・・・いてくれ。」
の温かな手が背中にまわったのを感じて、抱く腕の力を強くした。
離しはしない。
心の中で何度も繰り返しながら、失わずにすんだ大事な恋人を抱きしめ続けた。
玄関で靴を脱ぎ、自然と笑みになる。
廊下にこぼれるリビングの灯り。
「帰ったぞ。」
「あっ、おかえりなさい。」
リビングのドアを開けたら、対面式の台所に立つが顔を上げて微笑んだ。
最近の景吾は父母のいる跡部邸に戻らず、ほとんどをマンションで過ごすようになっていた。
それに比例して、がマンションで過ごす時間も多くなっていく。
の車を止めるために駐車場まで契約してしまった景吾だ。
誕生日の夜にはマンションのカードキーをに渡した。
『越して来い』と何度も言ったのだが・・・遠慮するは頷かない。
仕方がないと、毎日のように理由をつけて呼び出す作戦に出た恋人に。
困惑しながらも傍にいられるのが嬉しくて、ついつい甘くなってしまうだった。
「腹が減った。」
「食べてこなかったの?」
「お前がいるのに、何が悲しくて、むさ苦しい取引相手と飯を食わなきゃなんねぇんだ?」
バカバカしい・・・とスーツをソファーに投げてネクタイを緩める。
「親子丼よ?」
「・・・しけた夕飯だな。」
「あら?ほうれん草の白和えも付けるけど。」
「フン。早く出せよ。」
景吾が好物なのを知っていてクスクス笑う恋人に眉をしかめながらテーブルに着く。
実家では食べられない家庭料理だ。
母親が料理をしているのなど数えるほどしか見たことがない。
遠足だって、雇われている料理人が作ったものを持たされた。
見栄えもよく豪華な弁当に周囲は羨ましがったが・・・本当は友達の弁当の方が羨ましかった。
形の悪いオニギリを旨そうに頬張る友達。
どんな味がするんだろう?子供心に思ったものだ。
休日の朝はに無理を言って、オニギリを握ってもらう。
理由は教えてないから・・・ただのオニギリ好きだと思っているだろうが。
美味しい。
のあたたかさが、そのまま握りこまれているようなオニギリは・・・景吾の好物だ。
庶民的な料理が並ぶテーブルは温かくて、いつも景吾を癒してくれる。
湯気の向こうで微笑む恋人。花の絶えない部屋。
幸せ・・・だと思う。
この幸せを失わないように。
景吾もも。ただ、目の前の人が大切で。
あなたが笑えば・・・私の心に花が咲く。
ずっと・・・ずっと・・・傍にいて?
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