寒い冬。


景吾は窓の外を見ながら、ぼんやりしていた。
手には数枚の書類。



「専務?どうかなさいましたか?」



そんな景吾に秘書が声をかけた。



「いや。」



短く答えて、景吾はすぐに書類へと視線を落とす。



はどうしているだろう?』



今にも雪がちらつきそうな冬の夜に。恋人は、まだ外で花を売っているのだろう。
彼女の細い体が冷えきってないだろうか?
そんなことを考えていた。





いつも移動中の車内は仕事をする。
次々と指示を出し、秘書がメールを打ったり電話をしたりと、車内は第二のオフィス状態だ。
一分一秒も惜しんで仕事を片付けていた景吾が最近見せるようになった表情に、
側近はすでに気が付いていた。



「おい。これで全部か?」


「はい。一応は。専務が気になるようでしたら、ニューヨークの方にも確認しますが。」


「頼む。」


「分かりました。どうします?結果は社に戻って待たれますか?」


「・・・・いや。寄るところがある。広尾で降ろしてくれないか。」


「それはいいですが。何か?」


「プライベートだ。・・・確認が出来次第電話をくれ。」


「分かりました。」



秘書は表情ひとつ変えずに了解して、運転手に指示を出した。





車を降りて、少し歩く。今日は広尾に店を出す日だ。


空からはチラチラ・・・と雪が舞ってきていた。
吐く息の白さが今夜の冷え込みを表している。
自然と景吾の足は速くなっていった。



「おい。花束をくれないか?」



背中を向けてバケツを運んでいたに声がかかった。
振り向かなくても分かる、大切な人の声。
けれど、こんなところにいるはずもない・・・場所と時間。



「どうしたの?」


「働き者の恋人にプレゼントしたいんだ。予算は・・・1万で。」



振り返ったが、肩をすくめてクスクス笑った。
その髪に、ひとつふたつと雪が落ちていく。



「仕事は大丈夫なの?」



話しかけてくるの息はあまり白くなくて。
冷えているだろう恋人の体に、景吾が眉根よせる。



「お前・・・冷えてるんじゃないか?」



確かめたくて伸ばした右手は、反対にの手に掴まれた。
予想に反して温かいの手に景吾が驚いた瞳を見せれば、
彼女はイタズラっぽい顔をして微笑む。



「ポケットにカイロ入れてるの。景吾・・・手が冷たいね。」



言いながら、は景吾の手を大事そうに両手で包むと息を吹きかけて温める。
そんな恋人を瞬きも忘れて見入っていた景吾。


息を吹きかけ、優しく手を摩ってくれるが、顔を上げて笑顔を見せた途端。
景吾の中には言いようもない感情が熱く込み上げてきた。
そして、気付けばの体を引き寄せて抱きしめていた。


夜といえども、広尾の駅近くは人通りが絶えない。


だが、周囲など気にならなかった。


ただ、ただ愛しくて。景吾はの体を抱きしめた。



「馬鹿。お前・・・体が冷えきってるぞ。」


「景吾、あったかい。」



抱き合って。ぬくもりを分かち合う。


酔っ払いが冷やかしの口笛を吹いて通り過ぎていった。


それでも、景吾はを離さなかった。





店を閉め、景吾のマンションに帰ってきた。


部屋に向かうエレベーターの中で抱きしめられて唇を塞がれた。
玄関を入ったところで胸のボタンに伸びてきた手。


何もかも奪い去るように景吾は恋人を抱いた。



ボソボソと聞こえてくる話し声に目が覚めた。
隣に景吾の姿はなくて、ほんの少し開いた扉の向こうから声が漏れてきている。



「分かった。明日、ニューヨークに発つ。ああ。向こうの手配は任せる。・・・10時だな。ああ。」



は毛布に包まったまま、目を閉じて恋人の声を聞いていた。
電話が終わったのだろう。扉を閉める音がして、近づいて来る気配がする。
コトン・・・と携帯をテーブルに置く音。
次には冷たい空気が毛布の中に入り込んでくる。と、同時に滑り込んできた景吾の体。


大きな節ばった手がの髪を撫でる。
優しい感触が、額、瞼、唇に落ちてくる。


おやすみ・・・小さい囁きがして、もう一度髪を撫でられた。


じっと動かずに目を閉じていた
景吾の穏やかな寝息が聞こえ始めると、そっと目を開けた。


目じりから涙がこぼれて枕に落ちていく。


愛されているから哀しくなる。
心から愛しているから哀しい。


あと何回。こうやって朝を迎えることができるんだろう。


もう何度となく考えていた。


彼が何者であろうと愛している。跡部景吾という一人の人間を愛しているのだから。


けれど現実は・・・それを許さないだろうこと。にだって分かっていた。
も子供ではない。世の中の綺麗な部分、裏の部分。綺麗なこと、汚いこと。
努力だけではどうしようもない事があることも知っている。


景吾が跡部グループの跡継ぎと知って、なりに調べた。
知れば知るほど、彼の住む世界と自分の住む世界が違うことを思い知らされた。


愛があれば・・・というけれど。そんな生易しい世界で彼は生きていない。


悩んで。苦しんで。それでもはここに居る。
無防備に眠る景吾の寝顔を見ている。


は決めていた。


時間の許す限り・・・彼の傍にいよう。
そう、長くはないかもしれない。それでも、精一杯愛していこう。


彼の愛情に嘘がないのは分かっている。
痛いほど・・・愛されているのを感じるから。


だから、後悔しない。痛くても、逃げない。


出会えたことが奇跡。愛し合えたことも奇跡。
この奇跡、大切にしたい。


別れはいつか来るだろう。
それが明日なのか・・・何年先になるのか分からないけれど。


彼に「さよなら」と告げる、その一瞬まで。


愛し続けていこう。





ひとり枕を濡らしながら、はいつまでも景吾の寝顔を見つめていた。










翌朝。早朝からスーツケースに荷物を詰める景吾の広い背中をは見ていた。
すでにワイシャツに着替えている彼の背中は、恋人ではなく企業人の背中をしていた。


スーツケースを閉めて振り返った景吾は、扉にもたれて立っているに微笑みかける。



「おい、なんだ?見惚れてるのか?」


「ふふ。そうよ。素敵だな・・・って見惚れてた。」


「馬鹿。」



自分でふっておいて妙に照れた景吾が可笑しくて。
がクスクス笑っていると『いつまで笑ってるんだ?』と抱きしめられた。
ワイシャツに頬を寄せて景吾の香りを吸い込む。



「お前。俺が帰ってくるまで、ここを使えばいいだろ。」


「ううん。やっぱり家に戻るわ。」


「何故だ?ここのほうが中心地にあるし便利だろ?」


「でも・・・景吾のいないこの部屋は広すぎるわ。落ち着かない。」


・・・。」


「だから、自分の家で待ってるわ。」



分かった。と、諦めた景吾が唇を寄せる。
は甘いキスに身を任せた。



「じゃあ、いってくる。」


「気をつけてね。」


「できるだけ連絡するが・・・毎日は無理かも知れねぇ。」


「いいの。無理しないで。」


「ああ。・・・愛してる。」


「私も、愛してる。」



エレベーターの前で最後のキスをして。
景吾が優しく微笑んで、扉の向こうに消えて行った。


の体が途端に冷えていく。心も。すべて。


外までは見送りに行かない。下には会社の人間が迎えに来るから。



これから一週間。景吾が日本にいない。



私は・・・耐えられるだろうか。



は自分の体を抱きしめるようにして、景吾の部屋に戻っていった。










「専務、おはようございます。」


「ああ。」



秘書の片岡がにこやかな笑顔で立っていた。
すぐに運転手がスーツケースを受け取ってトランクに運ぶ。


片岡が開けた扉に乗り込む前に、景吾は自分の部屋を見上げた。
最上階の部屋。下から見てが見えるはずもないのだが、確認せずにはいられなかった。



「部屋に恋人を残していらしたんですか?」



車に乗り込んだ景吾の隣に座った片岡がさらっと言った。



「・・・・。」


「沈黙は肯定ですね。あの・・・花屋の女性ですか?」


「片岡、お前。」


「遊び・・・ではないようにお見受けしましたが。少し、問題があるかもしれませんね。」



広尾で車を降りたあとをつけられていたのか・・・と景吾は舌打ちをした。



「あなたは近い将来、この跡部グループを継承する人間です。
 夫人も、それなりの方を選ばなくてはなりません。」


「大きなお世話だ。」


「・・・専務。あなたはただの男ではないんですよ?
 関連企業、その下請けの社員まで入れたら・・・ 億単位の人間を動かす企業のトップになるんです。
 好きや嫌いで生きられる人間ではないんです。」


「・・・・・。」


「悪いことはいいません。傷が深くならないうちに手を切った方がお互いのためです。」


「・・・今日の予定と昨日の詳しい報告書を見せろ。」



ピシャリと景吾が言うと、片岡は口をつぐんだ。
これ以上は聞く耳を持たない・・・という強い意思を感じたからだ。


片岡が、ふう・・・と溜息をつく。
彼はノートパソコンを広げながら、最後にひとつだけ付け加えた。



「この件は、会長と社長の耳にも入っています。」


「っ!?」



一瞬だけ景吾の目が見開かれたが、片岡の事務的なスケジュール説明が始まって何も言わなかった。







心の中。恋人の名を呼ぶと・・・胸が痛んだ。




















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