以前と同じ日常。
景吾と出会う前の自分が過ごしてきた日常だ。


朝、市場に行き仕入れをすませたら街に出る。
昼間はOLや買い物の主婦達が店を覗いていく。
客と会話を交わしながらの販売は楽しい。
少しずつではあるが、リピーターの客もついてきた。


夜は少しお酒の入ったサラリーマンやカップルが店を覗いていく。
恥ずかしそうに彼女への花束を買う男性達に笑顔がこぼれる。





「今日は結婚記念日なんだ。」


「まぁ、それはおめでとうございます。1本バラの花をサービスしときますね。」


「え?あっ・・・いや。悪いね。」





綺麗にリボンを結んで、客に花束を渡す。
男性は、ほんの少し頭を下げると大事そうに花束を抱えて人ごみに消えていった。


今夜も冷える。





     景吾。





唇だけで名前を呼んで。は冬の夜空を見上げた。


今夜も自分の部屋に戻り、独りで眠る。





「専務。今晩は、サングループの尾田社長とディナーが入っています。」


「尾田社長?なぜだ?今回の件に、あそこは関係ないだろう?」


「そうですが。尾田社長も偶然こちらにいらっしゃっているようです。
 サンとはお付き合いもありますし無視というわけにはいきませんでしょう。
 それに社長からのご命令でもあります。」





社長の命令・・・つまり景吾の父親の命令だ。


何が悲しくて渡米してまで日本の取引先相手と飯を食わなきゃなんねぇんだ。


チッと舌打ちをして景吾はスーツに袖を通した。















昨夜もに電話した。
ニューヨークは深夜の1時。やっと仕事から解放されての電話。


日本は午後3時。
が仕事をしている時間なのは分かっていたが我慢できなかった。





『景吾?今、大丈夫なの?』


「それは俺のセリフだ。電話・・・いいか?」





電話の向こう、車の行き交う音がひっきりなしに聞こえている。





『うん。ちょうど人通りが減ってる。ねぇ、そっちは何時?』


「夜中の1時まわったとこだ。」


『明日も早いんじゃないの?早く寝たほうが』


。」





心配するの言葉を遮った。





「声が聞きたい。お前の声を・・・聞かせてくれ。」


『・・・景吾。無理はしないで?』


「ああ」


『帰ってきたらオニギリを作ってあげる。』


「ああ」


『待ってる。』


「ああ」


『会いたい。・・・景吾。』


「俺もだ。」





景吾は目を閉じて、雑音が混じるの声を聞いていた。





触れたい。抱きしめたい。・・・会いたい。





まだ。たったの4日間。禁断症状もいいところの自分に苦笑いを浮かべる。





『すみません。これ、おいくらですか?』





受話器から聞こえてきた声に客が来たことを知った。





。切るぞ。また・・・電話する。」


『うん。分かった。でも、無理しなくていいからね。』


「お前に電話するのが無理なわけないだろ?じゃあな。」





そういって切った。
電話の向こうで笑ったの笑顔を思い浮かべながら。















「専務、いらっしゃいました。」





夜。ホテルの最上階で相手を待ちながら、またのことを考えていた。
仕事だと割り切って立ち上がった目の前。
顔見知りの尾田社長の隣に、若い女性が立っていた。





「やぁ、跡部専務。ニューヨークでお会いできるとは思っていませんでしたよ。」


「お久しぶりです。こちらは・・・」





社長と握手をしながら、頭の中を探ってみるが見た覚えのない女性だ。





「うちの次女だよ。今ね、大学を卒業後に中国へ留学させているんだが。
 私がこちらに来たから呼んだんだ。久しぶりに親孝行でもしてもらおうと思ってね。
 ほら、佳織。ご挨拶を。」


「尾田佳織です。いつも父がお世話になっております。」





景吾は口をつぐんだ。頭の回転が速い彼には察しがついた。
わざわざ日本を離れたニューヨークで、今回の件に関係ない取引相手とディナーをする意味。
父親の命令。尾田社長に連れられてきた娘。


これは跡部と尾田の顔合わせだ。





「とにかく席に。それにしてもお嬢様が中国に留学とは驚きました。」





景吾の様子を察して、素早く片岡が話を繋いだ。





「いやいや。これからは中国がマーケットだからね。これにも勉強をさせておこうと思ってね。」


「なるほど。中国はどちらに?」





片岡が間に入って、気まずくならずに時間は過ぎて行った。
が、景吾は必要以上のことはしゃべらない。
仕事に関しては完璧な受け答えをしたが、プライベートに触れられると途端に不機嫌になった。


話を聞く限り、尾田の娘は頭の回転も速く、なかなかの女性のようだった。
育ちのよさがそのまま出ているようなしゃべり方で、
茶碗ひとつ洗ったことがないような綺麗な手をしていた。
細い手首にはブルガリのバングルタイプの時計が揺れて光を反射している。


時々視線を寄こしては微笑んでみせる彼女に、
最後まで景吾は笑顔ひとつ見せずに食事を終えた。





「跡部専務。来春には佳織も帰国させる予定だ。その時には、また会ってやってくれたまえ。
 君らが仲良くしてくれると、わが社も安泰だ。」


「私は、」


「専務!すみません。こちらに来てからトラブル続きで専務の体調がすぐれないのです。
 わざわざお越しいただいたのに申し訳ございません。」





この場で断わろうとした景吾の言葉を遮って片岡が前に出る。





「そうだったのか。何か・・・様子が変だと思っていたが。それは無理をさせたね。
 とにかく顔合わせは出来たんだし。こちらのことは構わないから、戻って休んでくれたまえ。」


「ありがとうございます。」





片岡がでまかせを言いながら場をおさめている間、景吾は拳を握り締めていた。















「お前、知っていたのかっ?」





車内に景吾のイライラした声が響いた。





「存じませんでした。私が連絡を受けたのが昨夜でしたから。」


「だが今朝の時点では知っていたと言うことだろうっ。何故、俺に話さなかったっ」


「専務っ!落ち着いてください。話したら・・あの席に行かれましたか?行かなかったでしょう?
 相手はIT企業でトップのサンです。
 失礼があっては、たとえ専務であっても許されるものではありません。」


「お前・・・」


「専務。お気持ちは分かりますが・・・もう少しご自分の立場を考えてください。
 今日の態度、もしも社長が傍にいらっしゃったら。考えただけでゾッとします。」


「クソッ。帰ったら社長と話す。時間をとってくれ。」


「・・・社長は明日から上海の予定です。帰国されてからになりますが。」





景吾は返事をしなかった。
親子なのにアポを取らないと会うこともできない。


なのに、自分の知らぬところで親によって将来が勝手に決められていく。





窓の外。





華やかな電飾も、流れていく景色も、景吾の心には何ひとつ映っていなかった。




















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