予定より一日早く景吾は帰国した。


いつも以上の集中力と決断力で、ニューヨークでの取引は成功をおさめた。
支店の人間が持て余した取引をたったの5日でまとめあげた手腕は景吾の名をあげる。


だが、景吾に笑顔はなかった。
あとのことを片岡に細かく指示すると、彼を残して機上の人になった。





『専務。私はずっと専務の傍にお仕えしてきました。
 私なりに・・・あなたに仕えることを誇りにして努力してきたつもりです。
 決して監視をするために傍にいたのではない。それだけは、ご理解下さい。』





空港に向かうタクシーに乗る時、片岡が苦しそうに言った。
あの夜以降、必要なこと以外一切口をきかない景吾に片岡も胸を痛めていた。


決して景吾を不幸にしたいわけではない。
近くにいるからこそ、人には見せない景吾の努力を誰よりも知っている自負がある。


だからこそ、景吾には・・・
跡部グループの頂点として揺ぎ無い地位を手にして欲しいと願っていたし、
そうすることが自分の務め、片岡の夢でもあった。


広尾で見た恋人達は・・・美しかった。
愛し合っているのが、側で見て分かるほどに。


景吾のあんなにも柔らかな笑顔を初めて見て・・・片岡はマズイと思った。


ここ最近の様子で景吾に女性がいるのは分かっていたが。
これは、本気だ。


それも、普通の女性。


どう考えても住む世界が違う。跡部の家が受け入れるとは思えない。
景吾の性格からして、親に言われておとなしく引き下がるとも思えない。


そうなると跡部家内がもめる事になる。
それはたちまち企業内を駆け巡るだろう。


足を引っ張ろうとする勢力は幾らでもいるのだ。
こんなことで、自分が大切に仕えてきた景吾を失脚させるわけにはいかない。





だから、片岡は社長に告げた。
危険な芽を早く摘むために。





景吾は眉根を寄せて片岡の顔をじっと見る。
だが


『あとは頼む』


それだけの言葉を残して背を向けた。





片岡は小さくなるテールランプを見送って、小さく溜息をついた。










長いフライトを終え、成田には午後到着した。
しかし、そこには片岡の手配した車と第二秘書が立っていて景吾を落胆させる。
日本を離れている間に溜まってしまった懸案を出されては、放棄するわけにもいかない。


結局、その足でオフィスに向かい。すべてを片付けたら深夜になっていた。



『専務、夕飯はどうしましょうか?』



途中聞かれたが『いらない』と答えた。
のオニギリを食べようと思っていたからなのだが・・・連絡さえとる時間がなかった。


そして機内食以外はコーヒーしか胃に入れていない状態で、
車に乗り込んだ時には深夜の2時をまわっていた。





仕事に縛られて自分の思いどおりには動けないもどかしさ。
僅かな自由時間も取れない現実に苛立ちながら、景吾はマンションに帰る。





一日早い帰国。
は恋人が帰国したことも知らず、自宅で眠っているだろう。
朝になったら電話して、出社する前に必ず会おう。
5分でもいい。顔を見て・・・に触れたい。


恋人に飢えている自分に苦笑しながら重い足取りでマンションの鍵を開けた。


暗い玄関。
手探りで明かりをつけ、女物の靴があるのに目を見開いた。


手にしたスーツケースを玄関に置きざりにし、急いで寝室のドアを開ける。
誰もいない。ベッドメイキングされたままのベッド。



どこだ!?



リビングのドアを開けた。ここにもいない。
だが、間接照明がぼんやりと点けられていた。
暖房もついていない、冷えた室内。



?」



返事がない。


でも・・・見つけた。会いたかった、恋人を。





はソファで眠っていた。
仕事の帰りに寄ったのだろうか。コートを着たまま小さく体を丸めて眠っている。


毛布もなく、ただが抱きしめているのは・・・景吾のローブだった。



俺の代わりに抱いているのか?
こうやって、ずっと俺を想って過ごしてたのか?



景吾はソファの前に膝をついて、そっと手を伸ばした。
つややかな髪に触れると、溜息が出た。


頬に触れる。


沁みてくるような温かさにホッとした。


親指で唇に触れる。それだけじゃ足りなくて・・・唇を寄せた。


優しく触れるだけのキス。






愛している。愛してる。愛してる。



何度も心の中で繰り返して。
溢れる想いのままにキスをした。



「ん・・・」



が身じろぎして、薄く目を開ける。
景吾は優しく頬にかかった髪をどけて、耳にかけてやった。



「おい。んなとこで寝てたら風邪ひくだろ?ベッドに抱いていってやろうか?」


「え・・・景吾?なんで?」



ハッとした表情を見せて飛び起きたは、乱れた髪を手ぐしで直し慌てている。
その仕草が可愛らしくて、景吾は自然と笑顔になっていく。



「それ。そんなもん抱きしめてねぇで、実物に抱きついたらどうだ?」



景吾が顎での抱きしめている自分のローブを指すと、途端に彼女が赤面した。
えっと・・・あの・・・違うの・・・などと。何が違うのか分からないが、しどろもどろで言い訳をしている。


その姿も景吾には愛しいばかりで、言葉もなくニヤニヤ笑ってを見ている。
が、あまり苛めても可哀相なので、彼女の前に腕を広げてやった。



「おら、帰ってきたぜ?お前の・・・もとに。」



瞬きを忘れたの瞳。次には嬉しそうに細められていく。
伸びてきた白い手は景吾の首にまわされて、柔らかな体が腕の中に飛び込んできた。
それをしっかり受け止めると、やっぱり・・・の体からは甘い花の香りがした。



「お帰りなさい・・・景吾。」


「ああ。・・・ただいま。」



帰ってきた。帰ってきたのは俺だけじゃない。
お前も、俺の腕の中に帰ってきた。


ほんの僅かな隙間も許さぬように、ぎゅっと抱きしめる。
誰にも、この幸せを奪われないように。



抱きしめあって、キスをして。
会えなかった時間を埋めていくように触れ合った。










明け方。


炊き立てのご飯でがオニギリを握った。
二人とも夕飯を食べてなくて。お腹をぐうぐう言わせて笑った。


が台所に立つ間も景吾は離れない。
後ろから腰に手をまわし、の肩に顎を乗せて手元を覗き込んでいる。



「これ、梅ね。隣は、おかか。で、こっちは昆布。鮭。ねっ、覚えて?」


「馬鹿。んなもん覚えなくても食えば分かるだろうよ。」


「そんなこと言って、梅ばっかり残してる・・・とか後で文句言うんだから。」



どれがどれか分からなくなるほど沢山のオニギリを握りながら、恋人達はじゃれあう。



なんでもない時間。



でもそれは、朝陽のように輝いて美しい。



その儚いほどの優しい時間を。大人の二人は知っていて口にしない。



別れの言葉など、今は知らなくていい。



愛している・・・と。



その言葉だけを告げよう。今、だけは。




















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