花が咲く 弐












三年前の冬は珍しく都内に何度も雪が積もった、寒い冬だった。


あれきり気持ちをほのめかすような言葉は口にせず、貞治は何事もなかったように私の傍にいた。
それが当たり前だった私は、貞治に言われた『好き』を冗談だと決めつけて忘れようとした。


やっぱり土手に行けば複雑な気持ちになったけれど、もう貞治の真意を問うには遅すぎた。



『貞治、あったかそうなマフラーしてるね。手編み?』
『そうだね・・・多分。』



貞治の物言いは曖昧だった。


隣り合ったマンションに住む私たちは約束しなくても登校が同じになることが多い。
それはテニス部の朝練がない冬の間だけだったけれど、話し相手の出来る冬の登校を私は気に入っていた。


私は見慣れない貞治のマフラーに、何の予感もなく言葉を紡いだ。





『お母さんの手作り?』


『いや、カノジョに貰ったんだ。』




あの日の空は灰色で、雪がチラつきそうに凍えた朝だった。
貞治の吐く白い息が『カノジョ』と答えた時、私の当たり前・・・貞治との日常が崩れていく音を聞いた。



『カノジョできたんだ、よかったじゃない。』



多分、そう言ったと思う。
気持ちなど一つもこもっていなかった。


私の心は凍って、もう貞治の声など聞こえていなかった。



カノジョのいる人と親しくするわけにはいかない。
というより、近付けない。


貞治に近付けば何もかもが苦しくて、痛くて、息もできない。
私が私として貞治の前に立てないことが分かれば、自然と距離を取るようになった。



貞治のカノジョは一学年上の綺麗な先輩だった。
女子テニス部の副部長だった人で、卒業を前にして先輩の方から告白したんだと人づてに聞く。



、乾君だよ。』
『そう。』



友達が肩を叩くけど、絶対に見ない。
だって、そこには綺麗な人がいる。



『乾君て個性的な容貌をしてるけど、よくよく見れば背が高くてカッコいいよね。
 カノジョさんと並んでると美男美女に見えるから不思議だよ。』


『そうね。お似合いの二人なんじゃない?』



心にもない言葉を口にすれば、胸に痛みが走る。
追い打ちをかけるように、友達は言った。



『乾君はを好きなんだと思ってたんだけどな。はずれだったね。』



泣きたくなった。


あの時、なんでもっと貞治の気持ちを聞かなかったんだろう。
何故、自分の気持ちに気付かなかったんだろう。



私は・・・貞治が好きだった。










曇り空を見上げて、取り戻せない過去を思い出していたら不二君が近付いてきた。
高校生になっても中性的な繊細さを持った彼は、男にしておくのはもったいないほどの人だ。



「これ、委員会の資料を貰ってきたよ。」
「取りに行ってくれてたの?ゴメン。言ってくれれば、私も行ったのに。」


「職員室に行ったら、ちょうど先生に会って渡されただけだから。でね、ここの部分なんだけど・・・」



不二君の白くて綺麗な指が活字の上を走る。
その手は、やはりテニス部の一線で活躍している人の手だと思う。



「なに?僕の手に何かついてる?」
「あ、な・・なんでもないの。ちょっとね。」


「ちょっと、なに?」



琥珀色した不二君の瞳に覗き込まれて、嘘のつける人間なんているのかな。
溜息をついて視線を不二君の手に戻した。



「テニスをしている人の手だなと思って。」
「ああ、これね。」



不二君がプリントを置いて、手のひらを私に見せた。
ラケットを握り続けることでできたマメは硬くなって色を変えている。


それは貞治の手のひらも同じ。



さんの手は綺麗だね。」
「ええ?普通だと思うけど。」


「じゃあ、可愛いっていうのかな。小さくて、女の子らしい手だよね。」



言って、不二君は自然な仕草で私の指先に触れた。
カッと頬が熱くなるのを感じて、慌てて手を引っ込める。


すると不二君は少し驚いた目をした後、浮かべた笑みを深くした。



さんてさ」
「な・・なに?」


「不二!」



不二君の笑顔に圧されていたら、廊下から声がして二人同時に振り返った。
そこにはメガネを押し上げる貞治がいた。



「悪いんだけど、練習メニューのコピーを見せてくれないか?」
「いいよ。いま探すから、中に入っておいでよ。」



不二君が自分の席に戻りながら誘えば、貞治は少し居心地悪そうに教室へ入ってきた。
そして何故か私の元に真っ直ぐやってきて、「やぁ」と笑ってみせる。



「この教室は綺麗だな。上の方は汚くて。」


「貞治のところは理数系だから男子が多いでしょう?だからよ。」
「確かに。ところで・・・不二とは仲がいいんだ?」



突然に意外なことを訊かれて、ちょっと言葉に詰まった。



「そんな・・・仲がいいっていうか、委員会が一緒だから。」
「ああ、うん。そうだったね。」



気の抜けたような返事をして、貞治が机の上の資料に目を落とす。
そこへ後ろからコピー用紙が差し出されてきた。



「はい、これでいい?それにしても乾が練習メニューを忘れるなんて珍しいね。」
「ありがとう。変更したい事があってね、俺のは手塚の元にあるんだ。」


「なるほどね。あ、そうだった。乾さ、ここなんだけど」
「うん?」



不二君と貞治の二人が部活の練習内容について話し出す。
なにも私の机の前で・・・とは思うけど、貞治の声が聞けるから嬉しい。
あまりジロジロと顔を見るのもいけないので、不二君に渡された資料に目を通しながら貞治の声に聞き入った。



声を聞くのも辛かった日は少しだけ遠くなった。
今は浮き立つ気持ちと不安、そして結局は少し切ない想いで声を聞く。



貞治が再び恋をしたなら、私はいったいどうなるんだろうかと思う。



















花が咲く 弐  

008/02/12




















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